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まろ0301

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2020.06.06
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カテゴリ:カテゴリ未分類

世界史A フランス革命

 

さて、今日は、P85の「フランス革命」です。世界史の中でも、かなり有名なところで、宝塚で何度も取り上げられた『ベルサイユのばら』は、革命の始まりの部分を題材とした漫画です。

まずは、フランス革命はなぜ起きたのか、その原因についてなのですが、これは簡単に言ってしまえば、それまで社会の下層にいた人たちが、「仕方ない」と諦めていた社会の構造、貧富の差に対して、「これはおかしいんじゃないか」と声を挙げ、行動に移す人たちが出てきたということになります。

中世という社会は身分社会で、衣服、持ち物、言葉、財産、食べるもの、住むところ、すべて身分ごとに決まっていたという社会です。P855行目には(1       )(アンシャン・レジーム)と書いてありますが、それがどんな状態であったのかというと、上の方に載っている風刺画<アンシャン・レジーム>を見てもらえばよくわかります。第一身分である(2        )と第二身分である(3        )とが、第三身分である

(4         )の上に乗っかっているという状態です。第一身分と第二身分は基本大金持ちのくせに、「免税特権」〔税金を免除されている〕を持っており、広大な領地を持ち、政府の中では高い官職を独占していたのです。

 「詳覧」P196の真ん中に乗っている絵〔教科書に載っているモノと同じ〕には、身分ごとの人口、どんな人々が含まれていたか、彼らがどんな党派〔政治的なグループ〕を形成したかを示すとても大切な図ですから、これから先、何度も見返す必要が出てきます。

 さて、第三身分は、大きく分けると農民(2000万人)と、市民(450万人)に分けられます。第一身分のなかにも、第二身分の中にも上級、下級があるのですが、第三身分の農民と市民たちとの間にはさらに大きな貧富の差があることがわかります。

 

 さて、農民の中で、もっとも貧しい人たちはどんな生活をしていたのか?革命の当時、たまたまフランスを馬車で旅行していたアーサー・ヤングという人が詳しい日記を残しているのですが、こんな一節があります。

 

 道がわからなくなったので、誰かに聞いてみようと思ったが、誰もいない。少し離れたところに、動くものがあるので、声をかけてみると、近づいてきた。顔も手足も真っ黒けで、腰がまがった老婆であった。話を聞いてみると、「最近は作物がとれないので、ひどい時代です」というようなことを言った。しかし、よく話を聞いてみると、老婆と見えた女は、まだ二十歳の娘だったのだ!

 

 朝から晩までの激しい労働で、腰は曲がり、見た目はまるでお婆さんのようになっていた二十歳の娘。そしてあと注目しなければならないのは、「最近作物がとれない」という点です。実はこの頃、地球規模での気候変動が起きていて、平均気温の低下が見られています1782(天明2)年に日本でも、「天明の大飢饉」が起きています。フランスでも、気候の寒冷化のために収穫量が減少していたのですが、年貢は納めなければならない。納められなくなったら、領主様から借金をしなければならないという悪循環に陥っていたのです。

 

 さて、この頃、フランスの王様はどんな生活をしていたのか?少し遡りますが、教科書P73、「詳覧」P176に肖像画が載っている「ルイ14世」。「侵略戦争を繰り返し」、壮麗な「ヴェルサイユ宮殿」を建設させ、「朕は国家なり」〔私が国家である〕という言葉を残した人ですが、フランスの財政を悪化させます。「詳覧」に載っている「ルイ14世の一日」、あるいは「18世紀のヘアカタログ」には、驚かされます。ストッキング履いているのは当時の最先端のおしゃれ。

 

 次の「ルイ15世」。この人も大変に豪勢な生活を送り、湯水のように金を使い、「我が亡き後は大洪水」(「後は野となれ、山となれ」)ということばを残した人でした。この王様の時代に7年戦争、北アメリカでは(5         )戦争に敗れて北アメリカの領土をすべて失います。

 それを引き継いだのが「6       」。むちゃくちゃ地味な王様で、趣味といえば狩猟と、錠前(要するに鍵ですね)作り。ところが、王の位に就いたのが、1774年。敵対していたイギリスを困らせるために、植民地であったアメリカを援助します。貴族のラ・ファイエットなども海を渡って植民地側を助けます。これでまたお金を支出するということになりますし、結婚したマリー・アントワネット〔オーストリアの女帝マリア・テレジアの末娘〕の浪費によって財政赤字はどうしようもないところまでいってしまいます。

 財政は破綻状態。ルイ16世は、財政顧問のテュルゴーやネッケルという人物と相談。これまで税を免除していた僧侶や貴族たちから税を取り立てるという方針を立てます。ところがこれに反発した僧侶や貴族たちは、王に対して「(7      )を開いてください!」と要求します。(7)は、三つの身分、第一身分(2)、第二身分(3)、第三身分(4)が集まって開かれる会議で、国王が新しい税を国民に課す場合に開催される会議です。国王の力が強大であった時代には開催されなかったのですが、(6)の力を弱体化させようとたくらんだ貴族たちが強硬に(7)の開催を要求、(6)はこれを認めることになります。

 ヴェルサイユで(7)が開催されることになり、各身分ごとの選挙が各地方で行われることになります。当時盛んであった啓蒙思想、つまり、人間の理性を重視し、人間はもともと平等であるという思想が、かなり広く影響を持っていた関係で、貴族や聖職者でありながら平民として立候補した人物もいたりします。

※ちょっと一言

 「啓蒙」の「啓」とは「開く」という意味があり、「蒙」は、「草が生い茂っていて見通しが悪い」という意味を持っています。ですから、「啓蒙」とは、「生い茂った草をさっぱりと切って見通しが良くなった状態」と言えるのです。

 

 さて、いよいよ(7)1789年の55日に開催されることになりますが、議題は税金問題だけにとどまりませんでした。地方出身の平民代表は、様々な要求を提出しますが、ここで問題が起きてきます。それは、議決方法です。第三身分は、他の身分の倍の議員の数を選出するという要求を勝ち取っていたのですが、議決は、身分ごとに行うということが提案されました。つまり、第一身分と第二身分が手を組めば、第三身分は勝ち目がありません。第三身分は身分別ではなく一人一票の議決方式を提案します。貴族や聖職者の中からも第三身分に合流するものも出現、彼らは、(8)と称することになります。この事態に(6)は議場を閉鎖しますが、(8)の人々は場所をテニスコートに移し、「(9)が制定されるまで解散しない」と誓い合いました。これがp85の下の図、「テニスコートの誓い」です。

 (6)は、(8)を軍隊を使って解散させようとしますが、市民たちは(8)を守ろうと行動を起こします。「詳覧」p196の「フランス革命下のパリ」という地図の左下に、「アンヴァリッド(廃兵院)」という建物がありますが、市民たちはここで銃を手に入れます。あとは火薬です。右端下のほうに、「バスティーユ牢獄」がありますが、銃を持った市民たちはここまで行進し、火薬の引き渡しを牢獄の司令官に要求します。彼は引き渡しを拒否、興奮した市民たちはバスティーユの守備隊と交戦、ついにバスティーユを占領、これが、1789714日。フランスではこの日は「革命記念日」として盛大にお祝いがされるのですが、ことしは、どうでしょうか。それまでにコロナウィルスの蔓延が収束すればいいのですが。

 

 革命の最初の時期、指導者としては、「詳覧」p197に載っているミラボーとかラ・ファイエットが登場します。この時期に、ラ・ファイエットによって「三色旗」(フランスの国旗)が作られるのですが、左から「青」「白」「赤」の組み合わせは、もともと「青」と「赤」がパリの市章であったところへ真ん中にブルボン王朝の「白ユリ」の「白」をもってきています。すなわち、「パリ市民と王との友好」を示すマークであったわけですが、情勢はますます緊迫していきます。

 「詳覧」p197の下の「5 革命期のフランス」という地図の中で、サーモンピンクで塗ってある部分があります。これは「大恐怖(17897月から8)が及んだ地域」と書いてあります。

 「大恐怖」とは、「農民たちに広がったパニック」を言います。その原因は、「パリで、市民たちがヴァスティーユを襲ったので、その仕返しに貴族たちの手下たちが農村を襲いに来る」という「うわさ」、いまでいう「フェイク・ニュース」だったのですが、農民たちは、「やられる前にやってしまおう」とばかりに領主の館を襲い、家具などを窓から投げ落として破壊、さらに「借金証文」を見つけ出して燃やしています。

 これにショックを受けた領主(貴族や聖職者)は、p86に書いてあるように、(8)は、

(10       )の廃止、を宣言、人間の自由・平等・国民主権、言論の自由、私有財産制などをうたった(11         )を採択したため、「大恐怖」は、8月には収まります。

 P86下の「11」は、その後、何年、何十年という時間と人々たちの努力の結果、「実体のあるもの」になっていくのです。「日本国憲法」第12条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によってこれを保持しなければならない」と書いてあるのは、そういう意味なのです。守る努力をしない権利はなくなってしまうのです。逆に、守り、広げる努力をすれば、新しい権利を勝ち取ることもできるのです。

 

 






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Last updated  2020.06.06 22:13:07
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まろ0301@ Re[1]:「おむすび」から「虎に翼」へ(10/13) maki5417さんへ 歩くことには支障はなく…
maki5417@ Re:「おむすび」から「虎に翼」へ(10/13) 5月の24日に交通事故に遭い左肩と左の大腿…
まろ0301@ Re[1]:入院と退院(08/31) 嫌好法師さんへ とにかく命があった事、…
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