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知人の娘さんが宮沢賢治の研究者で、近々古本店も開かれるという事なので、5回連続の学習会の第一回に妻と出席した。賢治には以前から関心があり、『銀河鉄道の夜』、『よだかの星』などの代表作には目を通してきた。 ただ、「目を通した」と書いたのはまさにその通りで、「読んだ」とはとても書けないことを思い知らされた。第一回という事もあって、今日はさしづめ「入門編」であったのだが、研究者の読み方と私のような素人の読み方とは天と地ほども違うという事を思い知らされた。 『アメニモマケズ』を例にとる。 まず、①題名がないこと。②ノートに書かれたこの作品には推敲のあとがないこと。賢治は推敲の鬼で、『銀河鉄道』など7回も書き直したというのに。③「玄米四合」。農作業する人間にとっては、これぐらいは必要な量である。周囲からも「もっと食べないと」と勧められていたのに、賢治はもう玄米四合食べるだけの体力がなかった。④最後になって、「ワタシ」が出てくる。「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」という形で。つまり、ここまで書いてきた様々な事柄は賢治には「できなかったこと」あるいは「やろうとしたけれど不十分なこと」だったのだ。 長岡輝子さんの朗読を聞いて、この詩に対する理解が深まり、どんな状況で書かれたのかも学んだはずなのに、まだまだ理解が薄っぺらい。 ただ、まだ知らないことがいっぱいある=学ぼう、という気持ちを持てただけでも良しとしよう。次回も参加しよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2022.04.18 21:57:11
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