中越沖地震の現地報告会に参加
午前中 関学の震災復興制度研究所の研究会で、中越沖地震の現地報告会。 3年前の中越と中越沖は 断層が縦ずれの珍しいケースという話からはじまり、市街地家屋の層破壊(1階が壊れ2階がそのまま落ちている状態)が多い など。 素人の強みで、「ご質問は」ということで、そもそも縦ずれ以外にどういうずれ方があるのか阪神淡路大震災はどうだったのかと。(まわりも、うなづいていたので やはり皆疑問だったようだ。)→普通は横ずれだそうな。淡路に残る 野島断層も 横ずれの結果と。 また層破壊については、阪神淡路大震災でこの家屋崩壊が注目されたそうで、道理で報告のたびに出される写真に いささか12年前の光景が フラッシュバックとなる。 帰りは、お互い近隣でともに街作り会議で奮闘した方と久しぶりにいっしょに。甲東園駅近くで昼ご飯。 話は自然、震災とその後の生活再建。 ことしは能登半島が3月25日、中越沖が7月16日と半年たたぬ内に続いたのに、被災者の仮設住宅入居を機として 今ではめっきり報道も少なくなり 関心も薄れているのではと・・・。 3ヶ月過ぎ、半年過ぎてからはじまる生活再建こそがいわば もうひとつの地獄というか・・・正念場というか・・いよいよ しんどい。はず、経験上。(しかも そのころ周りから「いつまでも被災者じゃないんだから」とか「どう生活落ち着いた?」とか云われ出す。あのなー、ただの引っ越しちゃうねんで!と 今なら言い返すが。) 加えて 阪神淡路大震災を機に立法された 被災者生活再建支援法が いかに使い勝手悪く 糠法か(ざる法は編み目が粗くてちゃんと取り締まれない。 糠とは 糠に釘からの連想で打てども打てども手応えがない。)。家の再建そのものには支給されるお金は使えないし、商店は支給の対象にならないので 自宅兼店舗の場合(たとえば中越沖の実例では 床屋さん)がまったく対象外。会社が無事なサラリーマンよりも そういった自営業の場合が再建は大変なのに 法の精神が 全く生かされていない 等。昼ご飯終わっても 議論続く。 まもなく能登半島地震から半年。 いったん家に帰り すぐさま支度してユニバへ。暑さと 報告会のいささかの衝撃からか ぼーっとしていてJR神戸を乗り越して新快足でそのまま明石まで。戻りでは須磨、鷹取ともとの激震災害地を車窓から・・。 この後は ごく私的記載ですが、試合で大久保選手が担架でピッチ外に運ばれたとき 12年前の あの日近隣で目にした まったく風景の変わった街で そこかしこで目にした光景が一気に一瞬よみがえり・・(いつもは そんなことないのですが)。災害とサッカーを混同するのは 双方に失礼なのは分かっていますが・・。コーナーキックする北本選手にむかって思わず「あだを討て」と心中で叫んでいました。スタジアムの暑さもあり 午前中のインパクトもあり 少々意識混濁 心中混迷気味か。うーん。補記:わがやのCATVで録画放送を見たところ・・・北本は当然ながらCKでなくて、ゴール前で待ち受けていました。わたしのイメージのなかでは神戸はえぬきのクニが大久保のあだを取ったという様に脳内で結びついてしまって・・・しかも大久保は相手と競ったとはいえゴールポストに腹をぶつけた感じでした。