カテゴリ:軍事遺産・産業遺産・地質遺産
6月に 大阪城公園内にある 旧陸軍第四師団司令部庁舎を アップした時 真田山は?の コメントを頂いてたのです。 で、遅ればせながら 行ってきました。 その時の 続きの つもりなもんで 大阪城で降ろしてもらって スタート! (真田山陸軍墓地へは JR環状線玉造駅から5分) 2014年10月10日 左、大阪歴史博物館と 隣はNHK大阪放送会館。
南に向かって 歩くと 難波宮跡
道中・・・ 前面だけ お洒落した喫茶店。
派手なマンションは 植物も自由奔放♪
目指す 真田山陸軍墓地(大阪靖国軍人墓地)は 真田山小学校の近く の ハズなのに 入り口は どこなんやろ
ぐるぐる ぐるぐる まわって・・・ 周辺の人に 何度か尋ねて 大阪城から 約40分! ようやく宰相山(真田山)という 小さな丘へ。
この辺りは 高射砲陣地跡とか。
案内板によりますと
本墓地は 日本で最初に設置された 陸軍墓地で 現在の面積は 約15090平方メートル。
小学校(正面奥)に 譲渡したそうな。
小学校設立の時に こちらへ移動って 何処かで 目にしたような 破損墓碑塚260以上。
正面から。
このような陸軍墓地は戦前 全国で80箇所以上に。 それらの中で もっとも大きな規模を持つ 真田山陸軍墓地は 終戦当時の景観を よく残していると言われています。
墓地内には 約5100基の個人墓碑、
痛んでます。。
4万3千余の遺骨が納められている 納骨堂。
墓域は 将校、下士官、兵卒、軍役夫の 4区分になっていて 将校の墓地の広さの規定は 4坪弱だそうですが 墓石は 自由なようで 最大は こちら 高さ2メートル50センチらしいです。 この墓地で最も高い墓石は 4メートルとか。
二基の弔魂燈に挟まれ、 日清戦争のはなくて 日露戦争と満州事変の合葬墓です。
明治三七八年戦役将校同相当官戦病死者合葬碑
自分は 裏側から入って 正門から 帰りました。
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