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伊藤千尋さんの講演会を聴き、 病院での付き添いを終えて戻ってきたら、 とんでもないニュースが流れていた。 ★★群衆が津波のように逃げまどった …秋葉原通り魔、犯行を再現 (6月8日20時0分配信 産経新聞) 世の中が嫌になったら人を殺す? 殺すのは誰でもよかった? おもわず背筋が寒くなった。 こんな事件が近頃あまりにも多すぎる。 中でもこれはひどすぎる。 今日の講演会で千尋さんは言っていた。 いま世界の潮流は「共生」の社会だ。 ともに生きようと助け合う。 弱いものを排除せず、 ともに生きる方法を探し出す。 それにくらべて日本はどうだろう? 年間3万人が自殺し、 強いものは弱いものをいじめ、 弱いものはさらに弱いものへと 凶行の刃を向ける。 そんな社会が生き易いだろうか? 日本が追従しようとしているのは そんなアメリカ型の弱肉強食社会。 でもそれはもう世界では少数派だ。 みんなが生き易い社会へと変えていくのは 私たち市民一人一人の意識と行動だ。 (一部うるとび訳) その言葉に勇気をもらい、 日本の未来にも一縷の希望を抱いたのに、 東京ではなんというおぞましい事件が おこっていたのだろう…… 将来に夢や希望を感じられず、 世の中が嫌になったら 人を殺して刑務所に行きたい、 人を殺して死刑になりたい、 安易にそんな発想が出て来る。 どうせなら他人を道連れに破滅してやれと、 「相手は誰でもいい」といいながら 「自分よりも弱いもの」へと刃を向ける。 あるいは自らの命を絶ってしまう。 日本はいったいいつから こんな悲しい国になってしまったの? 悪いのはもちろん人を殺した犯人だ。 でも犯人をそこまで追い込んだ 日本という社会の責任はもっと大きいと思う。 そういう社会にしてきた政治家の責任と 言い換えてもいいかもしれないよね。 少なくとも今の自公政権が続く限り、 日本の未来が明るいなんて思えない。 強いものはより強く、 弱いものはどうぞ勝手に消えてください、 というような政策を展開する彼らには、 「共生」なんて国家哲学はあり得ないだろう。 それでもまだ我慢強いこの国の国民は 変化よりも忍耐を選択するつもりなのかな。 私たち一人一人は誰だってお互いに助け合って ともに生きていける社会を望んでいるはずだよね? でもどうして表に出て来るものは こんな悲惨な事件ばかりなんだろう? 日本を変えるのはやはり無理なんだろうか? 自分の理想とする社会がある場所に逃げ出す方が ずっと賢い生き方なんだろうか? 私には康夫ちゃんや千尋さんのように 行動する勇気をくれる人や、 信頼できる沢山の仲間がいるのに、 それでもなお消しきれない絶望感があるよ。 今回の事件はそれほどの衝撃だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
June 9, 2008 09:06:12 AM
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