「万里の長城はローマのシルクロードだった」が隠されている理由
万里の長城と言えば、北方遊牧民族(モンゴル)から守るために、中国の皇帝が短期間で完成させた防御壁、万里の長城は北方民族の攻撃に備えた城壁!と言うのが巷の定説だが、実は、ローマが作った交易路(シルクロード)だっという話、防御壁であったことを強調する(後付けの)砲台は結構多い、ディズニー作品では、「中国製だぞ!」強調用の中国風「万里の長城」も登場、Max Igan in Conversation with Jason Breshears #2 June 16th, 2023プロパガンダ一杯で、だいたい、実はローマが作ったんです!ナーんて、言えないだろうし、先にポイントを指摘しておくと、長城の構築様式は、グレコローマン様式で、構築(幅や高さなど)単位は欧米のフィート単位、作られた年代は後世(紀元後)ではなく、紀元前200-130年くらいで、建設には90年前後かかったとか、ローマによる交易路建設の特徴の一つにあるのが、古い建物(BC18-15世紀?)の上に建てること、*中国内の巨石上の構築(下の写真参照)情報は超タブー!?ローマ人が設計し、中国人が建設従事した、*19世紀、北米の鉄道網敷設の労働力は中国人だったが、 この構図に似る、*この時代、大量の労働者動員を可能にしたのは、 Opium(アヘン)の威力と言われている、当時のメイン交易商品は、中国が金を購入、ローマがシルク(&胡椒)だった、長城(交易路)には約2.5万の塔があるが、Stand Up June 27th, 2023 MaxIgan出入り口であり、各塔の間隔はきっちり1マイルをキープし、ロジスティック機能を有していた、*交易路は交易物資のための運搬ルートで、 塔はその活動を支えた、(Amazon物流センター!?)*中国~ローマ、18ヶ月と言われた運搬旅程で、毎日行き交う クーリー(中国の人夫集団)の宿泊/食料調達場所だった、*間隔1マイルは、クーリーのビジネス精算にも活きた、ちなみに北から中国が襲われたと言う記録は見つかっていない、以下、Max IganとJason Breshearsのチャット動画の解説を、forbiddenknowledgetv&自分の勝手要約で、グラハム・ハンコックは、我々は"記憶喪失症の人種"だと。クリフ・ハイは、この戦争が終われば、ハザリアン・マフィアから聞かされた嘘の数々から抜け出すのに100年以上かかるだろうと。しかし、それが完了すれば、私たちはフリーエネルギーを開発し、環境と適切に関わり、最終的に自分たちが何者であるかを知ることができるだろうと。Archaix.comのパブリッシャー、ジェイソン・ブレシアーズによる歴史解明の仕事は数年前に始まった。Archaix.com(翻訳)それは私たちの歴史のパズルを組み立て直すことで、私たちの差し迫った未来がどのようなものになるかを示す一例となっている。The Great Wall of China or the Great Silk Road of Rome?2023/6/25 forbiddenknowledgetv中国の万里の長城か、それともローマのシルクロードか?マックス・イガンがジェイソンのテキサスの自宅で、彼と共に、偽の歴史、万里の長城の歴史について語ります。上の長城のルートの形を見れば、一目瞭然、城壁は北からの侵略に対するものではなく交易路だった、交易路として至便な多くの分岐路、ジェイソンは古い記録本『イラストレイテッド・ワールド・ヒストリー』から引用。 2万5千の監視塔(タワー)を備えた高さ40フィート、全長5千マイルの城壁を、たった10年で建設したと言われている中国の秦の始皇帝について、100年以上前にすでに物語(プロパガンダ)が出来上がっていた。皇帝は自らの統治に関する歴史的記録のほとんどすべてを焼却/破棄、学者700名も生き埋めにして処刑していた。エスタブリッシュメントは万里の長城が本当は何であったかを隠しているが、その真の機能についての手がかりは簡単に見つけることができる。マックスいわく;万里の長城はモンゴルの牧畜民の侵入を防ぐために建てられたと言われているが、万里の長城がそのような戦いの舞台となったという記録はないし、遊牧民から身を守るために、なぜこのような頑丈な構造の広大な建造物が必要だったのかもわからない。古地図や発掘された古い絵図をもとにすると、古地図には城壁(交易)ルート(赤いところ)が既に記されている、万里の長城は実は古代のシルクロードであり、中国、インド、中央アジア、中東、さらには遠くギリシャまでを結ぶ高架道路だった。赤いラインは現在のハイウェーだが、この図と先ほどの下図を重ねると、上海/北京ルートなどとほぼ一致する、万里の長城は中国のみにあることになっているが、非常に古い地図では、ユーラシア大陸のコーカサス地方にも同じ構造の万里の長城が見られる。 上図の拡大図で、コーカサス山脈沿いに、城壁(交易路)がイラストで示されている、大コーカサス山脈コーカサス山脈で分断されている共和国群北コーカサス4ヶ国(ダゲスタン、チェチェン、イングーシ、北オセチアーアラニア)の旅ダゲスタン共和国の街デルベントにある北コーカサスで最大最古の砦、ナルィン・カラ「ナルィン・カラはダグ・バルィ“山の壁”として知られる巨大な要塞システムの一部を形成。このシステムには海岸から山地へ延びる全長40キロメートル以上の壁も含まれていた。西アジアと南コーカサス地方とを北方の遊牧民から防御する施設として設計された。」「シルクロード」は隠蔽され、「砦」を強調するために大砲設置!?グレコローマン様式に注目イングーシ共和国のコーカサス山脈にある塔 2020年2月13日解説ではやはり「敵の防御用」となっているが、明らかにシルクロードのタワーと一緒で、宿泊/食事などロジスティック用かと、コーカサス諸国の世界遺産(アッパースヴァネティ地方)ジョージア共和国のタワー群この事実から、万里の長城は果たして中国人(皇帝)が作ったのかと言う疑念が湧いてくる。万里の長城の構造がグレコローマン様式であり、何千ものローマ時代のアーチがあちこちにあることに気づけば、この疑問は氷解する。これはタワー内部だが、レンガ壁のつくりはローマ様式、宿泊施設(現代)、レストラン、橋のアーチ、この交易路問題のハイライトは、上海通路の城壁の末端にある。上海突堤から日本、インドネシアへ船便が出ていた!?そこは波止場だったーー。拡大又、古代世界の防衛建築では、両側に城壁を設けることはなかった。交易路両脇の欄干の同じ形状に注目、北から攻めてくるのであれば北側が重装備になるはず高架道路の両脇にあるクレネレーション(矢あるいは銃を発射する定間隔のすき間のあいた城のてっぺんにある城壁)は、この建造物がモンゴルの蛮族を防ぐために築かれた城壁だったという嘘を暴露している。これは侵略を防ぐための城壁ではない!侵略者を防ぐための壁が空洞であるはずがないからだ。この城壁の下に部屋やトンネルがあるのをご存知ですか?マックスいわく、「5000マイルある城のようなものだ」。万里の長城が本当にシルクロードであったとすれば、安全な旅を容易にする高架道路として、あのように建設された理由が説明できる。万里の長城の幅は13~16フィートで、古代中国の道路の標準的な幅ではない。ローマは橋の建設、水道橋、運河工事、建物の基礎、道路など多くのことを標準化しており、ローマ帝国の地方領土全体と道路はすべて標準化されている。ちなみに中国の橋の様式、中国の建物、中国が対照的美しさを重んずるのに対し、ローマはユニフォーム性を強調した、25,000の塔(タワー)間の距離が5,430フィートで統一されていることも、偶然の一致ではない。これは中国の単位ではなく、ローマ時代の単位で、5,000ペデスと呼ばれ、5,000ペデスは1マイル。等間隔(1マイル)に設置された塔これは5,430ブリティッシュ・フィートであり、アメリカ人が使う単位。インチ、フィート、ヤード、マイルの長さと覚え方万里の長城には、巨大な巨石ブロックを使ったもっと古代のオリジナルな建設が見られる地域がある。BC15-18世紀(?)の巨石(構築物?)の上に交易路が敷かれている、しかし、中国共産党もエスタブリッシュメント(中国共産党を作ったハザリアンマフィア)も、中国のピラミッドについて話したがらないのと同じように、中国の巨石建造物について話したがらない。この巨石建築は紀元前18世紀から15世紀の標準的なもので、残りの壁は窯で焼いた粘土レンガである。そして、中国の労働者が建設したのは確かだが、元の巨石建築にレンガを追加する設計をしたのは古代中国人ではないと考える理由を説明しよう。(先ほどの巨石も参照)ローマ人は、バールベック(レバノン)やシルクロードにあったペトラ(ヨルダン)のように、古い建造物の上に建物を建てることが多かった。人影と比較すると、一枚岩の大きさが分かる!?これは、さらに多くの魅力的な事実を含む、非常に興味深く、示唆に富む話題であるーー。つまるところ、万里の長城は実際には長城街道であったことが明らかになるわけだーー。クーリーの集団、中国で発掘されたコンスタンティヌス帝のコイン、マックスは言う、一度目にしたら、それが本当は何なのかがはっきりするだろう。交易路であり、宿泊施設であり、貯蔵庫であり、出口であり、まっすぐ横断する幹線道路であり...Glory of Ancient Silk Road 2019年12月26日イラン観光局(翻訳) (拡大図)事実上、中国を横断してヨーロッパに至る、これまでに建設された最大の幹線道路なんだ。本当に信じられないよ。(ここまで)長城がシルクロードだったとは、チョットしたカルチャーショックだが、それ以上に、(2人の会話では、時間の関係で出てこなかったが、)個人的に、最大の関心事は、ローマがBC15-18世紀の巨石構築跡に、交易路を敷いていたこと、パールベックの巨石は有名だが、中国の巨石上の交易路は興味深い、中共政府/エスタブリッシュメントが、中国シルクロードの「ローマ構築」を隠すのは、自分たちの沽券にかかわることでもあるし、分からないでもないが、結局、ここに行き着くかと、「巨石構築物を作ったのは誰か?」やはり、彼らの正体は触れられたくない!?参考)なぞは巨石構築物だけではない、中国の巨大ピラミッドは、オフィシャル情報が隠されているが、米軍パイロットが、偶然、上空から撮影に成功している、中国(西安)の巨大ピラミッド中国がピラミッドを秘密にしている理由 2019年2月20日