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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年01月07日
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カテゴリ:軟弱日本を斬る!
 年末年始は食中(あた)りと風邪で、闘病生活を送っていました! そんでもって、今日から始動したいと思います。

 今年の干支は、「癸巳(みずのとみ)」で、「平成」の名づけ親とされる安岡正篤氏の書によれば、「癸」は、冬の終わりに現われる水脈の合流を模した字とのことで、眼に見えない法則のようなものを意味するようです。

 だから、手偏をつけると、「はかる」という字になるそうです。眼に見えない法則を良くはかる、つまり知るということで、宰相を、「揆」と表現することもあるそうです。「揆一」とは、宰相が、一体化して事を進めることに相当する表現で、その逆の「一揆」は、その悪しき意味で伝習されたそうです。

 つまり、法則に一致させるために、はかるのは良いですが、はかるのを一致させるために、一見識しかもたないのは駄目ということで、反発を招き、一揆になるわけです。要するに器の問題で、小器量だと混乱するわけです。昨年の不正選挙が悪しき例です。

 そして、「巳」は、地中から気(エネルギー)が現われる様子を模した字で、まるで蛇のようなので、民間伝習では、蛇となったそうで、従来の因習生活に終わりを告げることを示し、已む(やむ)と同じ意味をもつそうです。脱皮という意味にもとれます。

 だから、「癸巳」は、簡単に言えば、価値観の転換が起こりやすい年ということになるでしょう。60年前の「癸巳」の1953年を調べれば、この傾向が伺えるはずです。

 年末年始はウンウン魘されながら、TVなどをみていたのですが、特にこれといって面白いのもなかった感が残っていたのですが、たまたま眼についた、学生に政治問題を討論させる番組に、相変わらずのマスゴミの偏向性を伺わせるものがありました。

 そもそも、世間しらずの学生に、政治問題を議論させるのは、無理があり、作為を感じざるを得ません。政治とは、人民の世話を仕事としたものですから、学生は、第一経験量が不足している。生活費や学費を不平不満を押しとどめながら、自分で稼いでいる経済的に自立した人が、一体どれぐらいいるのでしょうか? 大体は、家族の援助なしでは、学生生活を送れない人ばかりでしょう。

 むしろ、学生なら、その本分である勉強路線で、マスゴミのデータの取り上げ方に疑問を投げかける姿勢が欲しかったです。マスゴミの出すデータなんかは、ほとんどがパクリなんですから、パクリ元を探れば、いかに怪しいかがわかります。大体が官僚の天下り先の団体が出しているデータです。

 特に、怪しいデータを基にしたパネラーの根拠のない抽象的発言の多さに辟易してしまいました。「世界一」とか、「世界と比較して」とかの表現が多いのですが、データの取り方で変わってしまうことを理解していないのが問題です。データの調査には、サンプル数と、抽出の仕方や、平均の取り方などを吟味しないといけません。作為的なデータばかりです。

 例えば、平均と中央値では全く意味が異なりますし、標準誤差はつきものです。もういい加減、統計データの胡散臭さに気づくべきでしょう。そもそも非線形現象を、無理に線形化しても、無意味な空理空論を招くばかりなのです。例えば、動いている動物を止めて観察できるわけがありません。死んだ動物を見に行く人は標本の専門家しかいないでしょう。

 ほとんどが、嘘データを基にした感情論なのですが、特に眼について酷かったのが、「農家への補助金が多すぎる」という発言で、農家の補助金よりも多い原発への補助金は問題にしていないことです。電力は生活必需品という逃げ口上ですが、農産物だって生活必需品です。むしろ極論すれば、電力よりも食料の方が必須です。このような誤った誘導が多すぎるわけです。

 また、日本の税金をルクセンブルクと比較していましたが、ルクセンブルグは、王族の隠し財産や金融業で成立している国(北の首領様の隠し財産もあるという噂)で、GDPが名目上いいからといって、日本の財政よりも遥かに悪いことを度外視しているところなど、誘導発言が頻繁にみられた。外国人が隠し財産ができるから、税金が安いわけで、財政赤字が多いのも当然のなりゆきです。

 どこかの塾講師のお決まりの競争原理美化発言には、はっきりいってウンザリしました。某関西一の大学の講師を、大学では競争がない、と愚弄していましたが、確かに客員や、三流大学ならまだしも、一流大学の正教授に、競争がないというのは言いすぎに思いました。少なくとも、それなりの競争はあります。塾講師の方が、学生でもなれますから、民間だからといって、競争原理を美化するのはやりすぎです。

 塾経営は、大学受験で成り立っている現実から考えるなら、大学があっての話なので、大学がなければ、塾など、本来は、不必要で、学生には大学に入ってから、研究や真の勉学に勤しむ競争や機会を与えるべきで、塾の勉強は、不必要な競争の範疇に入るわけです。

 見方を変えれば、塾は、大学入試のような不必要な引っ掛け問題の勉強で、大学での本来の研究や切磋琢磨の競争の機会を阻んでいるとも考えられるわけです。塾のせいで、大学生が、大学に入ってから勉強しなくなるとも考えられるわけです。多くの東大生が、五月病になるのは、塾の競争のせいという指摘もあります。

 米国の学生と比較すると、一般的に、高校までは日本のほうが優秀な成績なのに、大学に入ると、日本の学生が遊んでしまうのは、塾のせいという噂もあります。つまり、不必要な競争に神経が衰弱させられるからと考えることもできます。逆の意味で、官僚になる者のなかには、その不必要な競争の勝者意識が強すぎて、大学をでてからも、大学入試の模試自慢をする輩がいるのも頷けるわけです。

 そういう精神を消耗させるような不必要な競争の典型が戦争であることは明白です。

 この不必要な大学入試のための勉強は、誰でも入れる大学が沢山でき、また少子化することで、皮肉にも、塾経営を圧迫することで、社会的に証明されました。必要な競争なら、大学や学生の増減に左右されることはないからです。あの塾経営者の発言はまさに馬鹿発言の典型でした。本当の教育者なら、大学に入った後や、卒業してからのことを考えるはずです。教育とは、人生の後半に成果として花を咲かせるものなのです。

 ともかくも、専門家といわれる連中が、いかにハッタリ屋やカマシ屋なのか、を再確認する番組でした。馬鹿馬鹿しくて、途中で消しましたが、相変わらず、あんなことをやっているマスゴミは、お笑いだけにしたほうがマシだと思う結論に今更ながら達したのだった。お笑いなら、お笑い専門でやるべき。 
 
 学生の諸君は、エクセルがあるのだから、少なくとも、自分でデータをつくりましょう。ネットに出ているデータの比較論でも面白いです。私のつくったデータとは違いますね、というような学生がいたら、面白かったのだが、皆金太郎飴のように、マスゴミの論調に洗脳されている者ばかりで、自分は違いますねと、独自の視点を持つ者は皆無だった。やはり無いものねだりなんだろう。

 あの学生たちの専門はなんなのだろう、ただそれだけが気にかかった。理系だったら、データの出し方に拘りがなければおかしいよ。結局、宗教の洗脳とかわりがないのがいかにも残念だった。

 結局、お笑いにより、学生は、どれだけ洗脳されやすいか、の実験番組だったということなのだろう。 





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Last updated  2013年01月07日 19時06分15秒
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