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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年02月01日
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カテゴリ:神秘体験空間
 前回は、王家の紋章と、生命の樹との関係性について紹介した。そして、紋章の一角獣と獅子が、生命の樹での峻厳の柱と慈悲の柱の象徴となり、均衡の柱を支えていることを暗示した。

 また、生命の樹が、アイン、アインソフ、アインソフオウルというように、三位一体の創造を基にしていることから、世の中の陰と陽と、その均衡が生じていることがわかる。

 その三位一体の元が、唯一の宇宙意識のホアであり、ホアが顕現した状態をアインと呼ぶようだ。古代では、ホアは、人間にはわからない存在なので、閉じた眼で象徴化され、人間に感じ取れるようになった状態を、開いた眼で象徴化し、アインと呼んだようだ。

 それでも、アインは無の意味をもつ。

 このアインが、後々に、言い伝えられて、プロビデンスの目となり、誤って伝わったのがルシファーの目である。古代では、唯一の無の存在なので、「1つ目」と呼ばれた。

 この1つ目が、一角獣として伝わったようである。人間でいえば、松果体にあたる。一角獣が、馬に角が生えたユニコーンとして伝わったのは、霊能者が、馬をみると、まるでユニコーンのように、馬のエーテル体がみえるからだという。

 大仏の額にある白毫(びゃくごう)も、この万物を見通す角(眼)を表している。

 古代人のエーテル体も、松果体のところで角が生えていたそうで、角の生えた姿は、肉体ではなく、エーテル体をみていたそうである。だから、現代人でも、心眼を獲得すれば、馬はユニコーンにみえるはずである。

 人間の場合、松果体のエーテルはだんだんと肉体のなかに入ってきて、現代人はもはや角のようにはなっていないという。物質主義に進むにつれ、第3の目が退化してきたわけだ。

 マンガの、ゲゲゲの鬼太郎の父の目玉親父は、この第3の目の象徴とも捉えることができる。目玉親父が、お椀のなかの湯で、お風呂につかる姿は、大本教の「円に点」のマークにもみえる。

 さて、第3の目と呼ばれる額のチャクラは、第6のチャクラとも呼ばれ、2枚の花弁の白い蓮華の形に描かれるので、2本の角にもみえたに違いない。

 節分の季節だが、2本の角の赤鬼は、第3の目をもった赤いオーラの持ち主ということがわかる。赤いオーラは活発さを表すので、絶ちに終えない。端的にいえば、赤鬼とは、悪徳な霊能者のことである。

 死んでも悔いを残して憑依しているわけだから、悪さをするわけだ。霊能者のなかには、死後も、現界に執着があるので、他人の肉体にとりつこうとするようだ。だから、平将門の怨念や、菅原道真の怨念や、崇徳天皇の怨念などを鎮めるのが陰陽師の仕事であったわけである。

 鬼(おに)は、古代ヘブライ語では、「苦しめる、厄介な」という意味で、悪霊のことを指すようである。「鬼」という言葉は、古代では、物質の塊に使われてきたようだ。

 このような意味で、「鬼は外、福は内」という節分の掛け声と豆まきを考えると、面白い。鬼は、一般的に、邪気とされているが、仏教でいうところの、執着心と捉えられる。

 季節の変わり目には、いままでの気持ちが残りやすく、かえってそれが新しい季節の到来の邪魔になる。そのような気持ち、執着をなくすために、豆をまくわけだが、この豆(まめ)だが、こじつけなのだが、「まに」と捉えると、フトマニのマニを連想する。

 だから、福豆は、フトマニになる。古代ヘブライ語では、マニは、「神の言葉」という意味をもつようだ。フトは、英語のPUTの語源で、「置く、受ける」という意味をもつそうである。ちなみに、マニは、英語のマニフェストの語源で、「明らかにする」という意味をもつ。

 フトマニは、前回紹介した、元素の周期表にも似ている、以下のものである。

 hotsuma-tsutae2_01.gif

 恐らく、邪気の鬼に対しては、フトマニの神の言葉を降ろし、発音することで、邪気を退散せしめよ、という意味が、節分の豆まきに込められているのだろう。恐らく、空海あたりの密教者がはじめたのだろう。

 だから、「オニハソト フクハウチ」を以下のフトマニの発音と対比させると、フトマニの意味がわかるかもしれない。空海の真言宗にも関係するのではなかろうか?

 futomani.gif

 このフトマニ、生命の樹となんらかのつながりがあるように思われる。古代人は、生命の樹で、神々と交信していたが、生命の樹の知識が失われるにつれ、話せなくなっていった。仏教の曼荼羅図は、このフトマニを基にしているようにもみえる。

 また、元素の周期律表を、生命の樹と捉えると、面白い。





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Last updated  2013年02月04日 11時17分12秒
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