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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年02月21日
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カテゴリ:神秘体験空間
 前回までに紹介してきたように、サンヘドリンの魔の手は、日本では、自民党という利益団体に現われている。笹川の世界紅卍字会、児玉の勝共連合、岸の統一教会で、第2次世界大戦中は、国民が戦地で苦しむなか、三井、三菱、大倉財閥とともに、麻薬で大儲けしたそうである。陸軍の多くが麻薬中毒者だったという噂もある。北がいまでも麻薬に手を染めているのは、陸軍の名残りともいえる。

 だから、太平洋戦争は、麻薬戦争ともいえる。戦後、GHQにより財閥解体が行われたのは、麻薬事業が陸軍諜報部からCIAに渡ったことを意味する。以下のサイトは、そのような話が掲載されている。

 ☆  ☆  ☆

 日本人が知らない 恐るべき真実
 http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/

 ☆  ☆  ☆

 以上のサイトなどを読むと、サンヘドリンの日本への魔の手はイエズス会にはじまったようである。恐らく、それ以前にもあったのだろうが、記録として表には出ていない。そこで、イエズス会の話を、上記のサイトから一部抜粋して紹介する。

 ☆  ☆  ☆

 以下は『天皇のロザリオ』(鬼塚英昭著)から引用です。

 イギリスの歴史家ジョージ・サムソン卿は『日本-文化小史』の中で、あるスペイン船長の話を書いている。日本との取引交渉に難渋するスペイン船長に、日本人が「スペイン国王はどうしてこれだけの領土を支配できたのか」と質問した。

 その船長は「簡単なことだ。原住民を改宗させるために宣教師を送り込む。改宗者が十分そろったところで軍隊を送り、改宗者が現地政権に反抗するようにしむける。そしてスペインが占領するのだ」と答えた。

 (偽キリスト教は植民地支配のために利用された。イエス=キリストを抹殺し、自分たちが偽キリストとして振舞っている。それにこの手口は、いまでもCIAがお得意とするところで、いまでは、偽キリスト教ではなく、民主主義教となっている。本当の民主主義なら、格差社会はあり得ないはずである。)

 1549年にキリスト教を伝えるため来日したイエズス会宣教師フランシスコ・ザヴィエルの隠れた使命も、日本の占領にあったのでしょうか?

 小岸昭(京都大学教授)の『十字架とダビデの星』の中に、ザヴィエルが描かれている。

 「旧キリスト教徒の高位聖職者たちは、マラーノを正しい信仰に背いた「呪われた者」としてマラーノ憎悪を煽り立てていた。大航海と植民の拡大政策による国家の経済的発展とともに、いちじるしく力をつけてきた信仰中間層を封じ込め、かつカトリック王国を宗教的に浄化する必要を痛感していたジョアン三世は、1536年、ついに異端審問所を開設するに至った。この時、火炙りの刑に震え戦った改宗ユダヤ人のなかに、祖国を脱出し、新天地たる黄金のゴアに向かう者が少なくなかったのである。」

 小岸はマラーノについて、「追放か洗礼かを迫る十五世紀末の『ユダヤ教徒追放令』により、キリスト教に改宗したイベリア半島のユダヤ人たち、表面上には〈十字架〉に帰依するように見せかけながらも、心の奥底で密かに〈ダビデの星〉を信じ続けた彼らは、異端審問所の執拗な追及に怯え、『マラーノ』(豚)と蔑まれながらやがて世界中に離散していく。ヨーロッパはもとより、ブラジル、インドへ…」と書いている。

 ザヴィエルは、ポルトガル系のユダヤ人のマラーノである。ポルトガル系ユダヤ人は香辛料や金銀を求めて、世界的な貿易に乗り出していた。マラーノのザヴィエルは、イエズス会の会員にして貿易商人でもあった。

 <中略>

 『聖フランシスコ・ザビエル全書簡』から彼の信仰と思想を見ることにしよう。

 「神父が日本へ渡航するときには、インド総督が日本国王への親善とともに献呈できるような相当の額の金貨と贈り物を携えてきてください。もしも日本国王が私たちの信仰に帰依するようなことになれば、ポルトガル国王にとっても、大きな物質的な利益をもたらすであろうと神において信じているからです。堺は非常に大きな港で、たくさんの商人と金持ちがいる町です。日本の他の地方よりも銀か金がたくさんありますので、この堺にポルトガルの商館を設けたらよいと思います。」(『書簡集』第93、ゴアのアントニオ・ゴメス神父に宛てて、1549年11月5日、鹿児島より)

 それでは「書簡第九」を見てみよう。ザヴィエルが商人であることを知ることができる。

 「それで神父を乗せて来る船は胡椒をあまり積み込まないで、多くても80バレルまでにしなさい。なぜなら、前に述べたように、堺の港に、ついた時、持ってきたのが少なければ、日本でたいへんよく売れ、うんと金儲けができるからです。」

 堺は十六世紀中葉、日本の商業の中心地であった。ザヴィエルは1551年、堺に三万クロサド以上の財産がある商人たちは1000人以上いると推定した。80バレルの胡椒は、インドで976クルサドの価であったが、日本に来ると三倍になった。

 <中略>

 「書簡第九十四」は、ヴァスコ・ダ・ガマの子のペトロ・ダ・シルヴァに宛てた手紙である。その手紙は次の文で終わる。

 「もし、閣下が私を信頼してくださって、この地方に送る商品の管理を私にご一任くださるなら、私は「一」から「百」以上に増やすと断言します。」

 こうしてみるとザヴィエルはポルトガルの経済戦略の先兵隊員ではあったようです。

 そして、このザヴィエルが貿易の目玉としたのは、火薬の原料となる“硝石”でした。

 「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。(二版では憲兵命令で削られた)

 「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし。」

 <中略>

 キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが天正少年使節団としてローマ法王のもとにいったが、その報告書を見ると、キリシタン大名の悪行が世界に及んでいることが証明されよう。

 「行く先々で日本女性がどこまでいってもたくさん目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。

 鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている。」(山田盟子『ウサギたちが渡った断魂橋』)

 キリシタン大名は、火薬一樽で50人を奴隷として差し出したとのことです。

 また、キリシタン大名は、硝石欲しさに仏像や寺社の破壊も行ないました。

 イエズス会のバテレンのルイス・フロイスの『日本史』の記述を読むと、大友宗麟の姿が見えてくる。この『日本史』は、1583年の秋からフロイスが編集した日本におけるイエズス会の布教の歴史である。

 大友宗麟が織田信長に鉄砲や火薬を仲介する商人の姿が書かれている。宗麟は貴族の久我晴通に、禁裏(天皇)へのバテレン優遇の奏上を依頼している。

 信長が仏寺破壊を行なって、フロイスは祝意を表明している。バテレンは宗麟にも仏像・寺社破壊を奨励した。宗麟は1561年に宇佐八幡宮を焼いたのをはじめ、領内の仏像・寺社破壊をなした。1581年10月8日に、豊前彦山の三千坊といわれる坊舎を焼いた。宗麟はヴァリニャーノに「このたびの勝利が、デウスの御業と司祭たちへの祈りの賜である」と伝えた。その報酬として、イエズス会は宗麟の武器援助の要請に応じた。

 さて、次に鹿島の『昭和天皇の謎』の中の一文を紹介する。

 「ポルトガルとオランダが諸大名に火薬を売りつけたために日本は戦国時代になった。信長のキリシタン擁護が腰砕けになったため、宣教師は明智光秀に新式火薬を渡して、信長殺しに成功するが、そのうち秀吉の鎖国政策を嫌った宣教師たちは朝鮮征伐には火薬を供給せず、そのために秀吉の外征は失敗に終わる。しかし、このとき国内にいて火薬を温存させた徳川がのちに政権をとることができた。家康は火薬の流入が日本に戦乱を引き起こしたことを十分承知しており、鎖国の狙いはキリシタン禁制そのものでなく、火薬流入の禁止であった。」

 鹿島は、明智光秀が織田信長を殺したとしていますが、八切止夫はイエズス会が火薬で信長を吹っ飛ばしたとしています。

 ☆八切止夫作品集は下記で読むことができます。
 http://rekishi.info/library/yagiri/

 何故、神の使者であるはずの彼らが、このような残虐行為をおこなえるのでしょう?

 その答えは、次の逸話の中に集約させているように思います。

 大航海時代の一時期、航海者たちはローマ法王に「異教徒は人間なのか」と問い合わせ続けた。法王の答えは一定していた。

 「殺すなかれという戒律はキリスト教徒だけに適用する」

 実に恐ろしきは“一神教”の偏狭さ也、ですね。

 ☆  ☆  ☆

 というように、戦国時代、硝石の輸入のために、戦国大名は、イエズス会と奴隷貿易をしていたことがわかる。信長はその代表的人物で、皆殺しを度々行ったが、背後では、奴隷貿易をしていたことがわかる。なかには、売り飛ばされるよりも武家の子女などは死を選択する者もいたのだろう。信長は自称しているように、まさに魔王である。

 秀吉と家康の出自が、サンカであるという説もあり、両者は諜報を駆使し、イエズス会の胡散臭さに気づき、キリシタン追放令を出し、軍事兵器(主に硝石)の輸入を禁じたが、軍事兵器以外の民間の取引きを禁じたわけではない。鎖国というのは、偽キリスト教社会からみた視点であって、仏教社会としては相変わらず大陸と交易を続けていた。

 戦国期とは、ドラマになるようなファンタジーの世界ではなく、まさに生きるか死ぬかの地獄だったことがわかる。そのような戦国の混乱期を得て、日本は江戸時代の地域的な秩序化に向かう。江戸期の鎖国政策とは、サンヘドリンの魔の手を絶つことにあったといえる。家康は仏教を巧く活用した。

 しかし、やがて、サンヘドリンはメーソンを通じて、薩長と癒着しはじめる。黒船のペリーがメーソンリーであったことは有名である。

 文字数制限を超えるので次回に譲る。





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Last updated  2013年02月22日 10時59分57秒
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