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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年09月30日
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カテゴリ:神秘体験空間
 前回は、神話を古代ヘブライ語で読み解くことから、松果体と脳下垂体が、ヤタ(感恩、悦び)の鏡であることを解き明かした。

 つまり、松果体と脳下垂体が、人間の喜怒哀楽を形成している基本であることがわかる。 
 
 次に、詳しく、シュタイナーの話から、再度、松果体と脳下垂体の関係に迫ってみたい。以下は、シュタイナーを研究するには必須のサイトからの抜粋紹介である。

 ☆  ☆  ☆

 http://www.bekkoame.ne.jp/~topos/steiner/note/S-note71-/S-note103.html

 魂と肉体との相互作用
---------------------------------------------------------------2004.12.29

 一体、印象を基に生じる人体内での知覚と、外界からの知覚との間には、どのような相互作用が生じるのか?

 この問いの答えをはっきりと知る必要がある。というのも、体内の血液を、自我の道具になり得るほど精妙な波動にしようと、濾過しても、結局は、物質のままにとどまる点で、肉体の一部にすぎないからである。

 だから、体内の血液と、魂の営みによる知覚との間には非常に大きな隔たりが存在していることは否定できない。

 (物質波と非物質波では、周波数、波長ともに大きく異なる。)

 知覚、概念、理念、感情、意志の存在を否定できないのと同様に、血液、神経、肝臓、胆汁の物質的な存在も否定できない。もし、この両者の間にある隔たりを否定する人は、思考力そのものも否定することになる。

 この二つの現実を対比させるとき、別の事柄に気づく。一方には血液のように高度に濾過された物質があり、他方には物質とは全然関係のない、感情、思考などの魂の内容がある。そして実際に、この二種類の相互の関係については様々な唯物的世界観が異なる解釈を加えている。

 今、魂の営みを、非物質的な経過として、そして人体のもっとも生命化された血液を物質的な経過として、この二つを対比させ、魂の活動と肉体の活動とがどのように相互に働き合っているか、を考えるなら、上述の唯物的世界観による知的な考え方は何も教えてはくれない。

 唯物的世界観からくる知的な考えを通して見出せるものは身勝手な結論か、もしくは無解決でしかない。
 (シュタイナー『オカルト生理学』ちくま学芸文庫/P93-95)

 (ラムサ風にいうなら、制限された思考からいくら思考しようが、何も理解できない、というところだろう。)

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 ごくごく単純で、誰もが考えることだが、私たちの知覚が、一体、どのようにして身体(肉体)に影響を及ぼすのか?

 知覚は、そのままでは物質的な経過にはならないはずで、もし知覚が、身体に影響を与えるのなら、どのような経過で影響するのかを明らかにする必要がある。

 (知覚は、高次の波動で、物質は、低次の波動である。高次とは振動数が極端に多いか、もしくは少ないかで、波長も極端に長いか、もしくは短いかのどちらかと考えられる。光の電磁波でいうなら、紫外域と赤外域のこと。例えば以下を参照に。 
 http://ktai-denjiha.boo.jp/faq/hz_hyou.html

 知覚が身体に影響するのは、まさに事実なので、その事実を明確に説明できなければならないが、おそらく「現代科学」では説明できないだろう。

 しかし、「現代科学」はその経過を問わずに、その「事実」から出発するが、そうした認識態度はかなり不誠実と思われる。「現代科学」というのは、そういう意味でも、様々な「不誠実」をもとに成立していることが多い。

 そうしたことを意識するだけでも、人智学への大きな一歩になるのではないかと思う。

 では、シュタイナーは、どのように説明しているのだろうか。とても興味深いので、その話を辿ってみることにする。

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 最初、私たちは外界に向かう。そして、外界から自我の中に印象を取り込み、アストラル体(魂)の中で消化する。けれどもアストラル体の中で消化するだけなら、全てをすぐに忘れてしまうだろう。

 印象を確保し、しばらく経った後で・・・それを再び思い出せるようになるには、自我によって獲得され、アストラル体によって消化された印象を、エーテル体(第2の人体で、幽体と呼ばれる)の中に刻印づける必要がある。

 外界との接触を通じて、魂が経験した事柄を、自我はエーテル体の中に刻印づける必要がある。

 それでは、肉体に隣接した超感覚体のこのエーテル体に、一体どのようにして印象を刻印づけるのか?

 それは非常に不思議な方法で為される。まず、エーテル体内での血液を、概略的に観察してみる。心臓を通じて流れる血液は、自我の物質的な表現なのだが、自我が外界に応じて印象を受け取り、それを記憶にまで濃縮する際、血液は単に(下方に)物質的に働くだけでなく、特に上方の高次元(電磁場)に向かって、下方の低次にはわずかだが、上方の高次元(電磁場)のいたるところでエーテル体を刺激している。

 だから高次元(電磁場)にあるエーテル体はいたるところで流れを生じているが、その流れは心臓から出て頭の方へと流れる血液に結びついた流れ方をしている(大動脈の流れ)。そしてそのエーテル体の流れは頭の中に集まり、まるで電流のように、一方の先端と他の先端とに分かれ、陰極と陽極のように対峙する。

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 これら陰極と陽極に分かれた二つのエーテルの流れが、一方は下の低次元から、他方は上の高次元から、最大限の緊張を伴って、二つの電流のように対峙している。そしてこの二つの流れがショートを起こすとき、印象がイメージとして記憶され、それがエーテル体に組み込まれる。

 人体内の超感覚的な現実であるエーテルの流れは、記憶のための器官をつくり出している。中脳のなかに記憶を生じさせる一つの器官があり、それに対してまた別の器官も脳のなかにあり、この二つが脳の中で、エーテル体の二つの流れを身体的に表現している。

 この二つの流れが生体に働きかけ、この二つの器官を生じさせた。実際、霊能者は、この二つの器官のうちの一つからもう一つへと明るいエーテルの光が流れ、人間のエーテル体の中へと注ぎ込まれているようなイメージを持つ。

 この二つの器官とは松果腺と脳下垂体のことである。この二つは、魂と肉体とが相互に働き合っていることの可視的な表現なのである。
 (同上/P97-102)

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 私たちは魂の働きにより、外界からの知覚を、印象として、まるで食べ物のように吸収している。それをアストラル体が「消化」し、それをエーテル体に刻印する。そして松果腺と脳下垂体という二つの器官の対峙によって、魂と肉体の相互作用が可能になっている。

 私たちが日々知覚し様々な印象を持つということは、まさに外界からの知覚が「魂の食べ物」となっていて、それが身体の養分にもなっている、という発想はとても重要な示唆なのではないだろうか。 

 私たちにとって「透き通った透明な食べ物」としての魂の糧を豊かにすることがどれほど大事なことか、現代の唯物論化した世界観では説明できない。その世界観は豊かさを益々貧しいものにしているといえないだろうか。

 芸術さえもがそんななかでは、豊かな食べ物にならなくなるのではないか。そのためにも、知覚がなぜ身体に働きかけることはできるか、というような極めて素朴な問いを持つことが大切なのではないかと思う。

 ☆  ☆  ☆

 現代の物質文明は、人間を腐敗させる道具である。この世は、ニセモノだらけが氾濫している。だから、次のマークの本当の意味も理解できていない。

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 上の脳の図のなかの松果体と下垂体と、「メーソンのマーク」や「古代エジプトの審判の眼のシンボル」と比較すれば、上のメーソンのマークの三角形(コンパス)が、松果体を、下のメーソンのマークの逆三角形(定規)が下垂体を表わし、中央のエビデンスの目が、霊能力獲得の第3の眼であることがわかるだろう。また松果体が女性で、下垂体が男性を表わす。オカルトを学ばないと、人間は理解できない。人間は神の子だからである。 





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Last updated  2013年09月30日 15時38分27秒
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