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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2013年10月25日
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カテゴリ:神秘体験空間
 これから話すのは、数の象徴学と呼ばれる秘教学の考察である。秘教学の記号や象徴について語る場合、数のなかに表わされているイメージについて、簡単に言及する必要がある。

 以前、宇宙のなかの数的な関係、各惑星が運行する速度について述べた。宇宙空間を貫いて波打つ天球の音楽の調和のなかに、数的関係が表現され、それらが、全宇宙と天体の考察にとって、特別な意味を持つことに言及した。

 さて、それよりも更に隠された数の象徴学を取り上げてみる。もっとも、この象徴学の真髄に迫るには、細心に取り扱うべきことがまだ他にも沢山必要となるので、ここでは、その意味に軽く触れるだけだが…。

 ともかく、例えば古代のピュタゴラスの秘教学院では、宇宙を知るには、数の性質の真髄に迫る必要があるといわれ、少なくとも、この発言の意味については見当がつくだろう。現代人のなかには、数について探求すべきである、といわれると、ナンセンスに思う人も当然いるだろう。

 特に、現代の唯物主義的な教養に毒された人々にとって、数の考察により、事物の本質を探求できるなどということは、児戯にも等しいように思われている。

 しかしながら、偉大なピュタゴラスが、数の性質を知れば、事物の隠された奥深い本質に到達できる、と弟子たちに語ったのには、深遠なる理由がある。ただ単純に、1、3、あるいは7といった数だけを熟考すればよい、というわけではない。

 真の秘学の教えは、魔法や御呪いなどではなく、数の意味にまつわる迷信でもない。その叡智は深遠な事実に基づいている。いまから述べる簡単な概略からわかると思うが、数を正しく考察する手掛かりを持てば、数は瞑想とも呼ばれる魂への参入法の1つの糸口を与えてくれる。

 まず1という数、「合一の数」から始める。この1という数について、私(シュタイナー)が述べることをどれほど真にイメージ化できるかが、後ほど他の数を考察する際にも明らかになるだろう。秘教学(オカルティズム)では、1という数により、宇宙神が、分離不可能な存在であることを示した。

 (神は意識本体なので、意識から生まれる意識は不可分の存在である。1という数は、宇宙全ての意識が通じていることを意味する。)

 1で神が表される。けれども、単に数としての「1」だけを考察するなら、この世の認識について何も獲得できない。1という数からどのようにして、魂への参入が可能になるか、いずれわかるようになるが、いまは1以外の他の数を考察する方が遥かに実り多いように思われる。

 秘教学では、2は「開示の数」と呼ばれる。2という数から、私たちは両足の下に土台を得るが、一方、1という数では、まだ土台のないまま手探りで探し回っている状態といえる。

 2は開示の数である、と言う時、この数は、ある意味、隠された存在ではなく、私たちが、この世界で出会う、この世へ現われた存在を意味し、この2という数は、何らかのものが二元性の状態となったものに他ならない。

 自然のなかのいたるところに、2という数(二元性)が広がっているのを見つけるだろう。いかなるものも2という数(二元性)に触れることなしに、自らを開示できない。光も決して、光自身だけで、つまり一元的に自らを開示できない。

 光が開示される時、影、あるいは闇も、光の傍にある。つまり、二元性が必ず存在する。開示された光に満ちた世界とは、もしその世界に相応する影がなければ、決して存在できない。これは万有万物にあてはまる。

 善は、その影としての悪を持たないなら決して自らを開示できない。善と悪の二元性は開示された世界の中では必然である。このような二元性は無限に存在する。二元性は世界全体を満たすが、ただ、私たちはそれを正しい場所に探さなくてはならない。

 人間が生きていく中で度々考慮できる重要な二元性とは次のようなものである。以前、人間が今日の地球の住人となる前に経てきた様々な状態を考察した。土星や太陽上では、人間はある種の不死性を保ち、自らの肉体を外から管理し、肉体の一部が崩れ落ちると新たに再び付与されたため、人間は死や消滅については何も感ずることがなかった。

 人間の意識は当時、今日の意識とは違って、おぼろげな夢うつつの意識だった。この地球になってはじめて、人間は自己意識と結びついた(覚醒)意識を獲得した。この意識からはじめて人間は自己自身について何かを知り、対象から自分を区別できる存在となった。

 そのためには、単に外から肉体を管理するだけでなく、この肉体の中に入り込んで-出たり入ったり-しながら、自らの内で「自我」が語りかけるのを感じとらねばならなかった。人間はその肉体に完全に入り込むことでのみ、完全な意識を獲得できた。そして、今や人間はこの肉体と運命を共有する。

 (内と外の両面を感じることで、自分という存在を獲得できた。例えば、肉体のなかでは、自分は内面側からしかみえない。鏡をみることで、どうにか外見がわかるが、自分の行為を外側からは見れない。)

 以前、まだ上空にいた時、人間はこのような意識をもたなかった。人間が、この覚醒意識を獲得したことではじめて、彼は死と関係を結ぶようになった。肉体が崩壊する瞬間、人間は自分の自我が停止するように感じた。自我と肉体を同一視してきたからである。

 少しずつ霊的な進化を経てようやく、人間は再び太古の不死性を取り戻すだろう。肉体は、覚醒意識のままで不死性を獲得するための修行場として存在する。人間が死によって不死性を贖わず、生と死の二元性を認識しなければ、高次の段階での不死性は獲得できない。

 人間が死を知らなかった間、人間にはまだこの世(物質界)は開示されなかった。生と死の二元性は、開示された、この世(物質界)に属することだからである。この世の至る所での(物質的存在での)生の二元性を指摘できる。

 物理学におけるプラスとマイナスの電流、磁気における引力と反発力などの全てが二元性のなかに現われている。2は現出の数、開示の数である。

 けれども、その2という数の背後で、神的存在が働くことなしには、いかなる開示(現出)もない。従って、どんな二元性の背後にも一元性が隠されている。3という数は、それゆえ2と1、つまり開示(現出)とその背後にある神性に他ならない。

 1は神の唯一性の数、3は神自らの開示の数である。

 神秘学(オカルティズム)には次のような原則がある。2は神を表す数ではあり得ない、というもので、1は神を表す数、そして3は神の存在を表す数である。

 というのも、神が自らを開示するなら、それは2において顕現し、その背後に1としてあるからである。この世を、二元性として見る人は、この世を、(物質的)顕現において見ているから、外界の諸現象において、二元性が存在すると言うことは正しい。





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Last updated  2013年10月25日 09時28分28秒
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