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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2017年06月20日
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カテゴリ:神秘体験空間
この国の民度が著しく低いのは、アホバカ総理の意向がなかったことにしろ、という意向が罷り通り、忖度しはじめた文科省、省庁をみていれば明らかである。

 つまり、個人の善悪の判断が、権力により容易く歪められる。この国の住人は容易に権力の奴隷と化す。権力と闘うことなく、善悪の判断を捨て、権力に屈する。

 権力者の悪事に従い、もみ消し自己保身を図るのは、地獄の論理である。これがサムライを生んだ国の末路である。

 サムライなどは所詮つくられたものにすぎない。切腹というのも、斬首しなければ、出血多量死を待つしかないものらしい。八切史観の八切氏によれば、実際、自分で切腹してみたが、死ねなかったという。八切氏の名の由来になっている。

 切腹とは、山口県の地方の方言で、全身全霊で事に当たれ、という意味が、曲解されて伝わったらしい。今のチャンバラの原型も、ヤクザ(八屑)の抗争と同じで、当時の武士では有り得ないものらしく、というのも、武士の鞘は上司、つまり殿様の許可がないと抜けなかったからである。

 江戸時代は私闘禁止で、殿中でなくても、公の場で、武士が刀を抜くことはご法度だったというから、切り捨て御免も殿様でなければ、迂闊にはできなかったらしい。幕末といえど、勝海舟も慶喜の命がなければ刀を抜けないから、鞘を縄で縛って証にしたようだ。

 ちなみに武士は黒鞘の公刀で殿様からの預かりもの、チャンバラの刀は私刀で赤鞘で、八代将軍吉宗のときに警察が民営化されて、民営警察官がつけたのが赤鞘で、幕府の預かり知らない連中の私闘ということらしい。

 吉宗はヤクザに取り締まりをさせたので、関所が無意味となり、出稼ぎ連中が江戸に流入し、江戸の人口が極端に増え、治安がかえって悪くなったという。これが幕府崩壊の遠因となる。まさに暴れん坊将軍である。

 それに武士は戸外では刀よりも槍や長刀で戦い、刀は相手の首を打ち落とすのに使ったという。

 有名な赤穂浪士の原因となった抜刀も、浅野内匠頭が殿様で、相手の吉良上野介も殿様だったが、お互い殿様同士なので、抜刀しても問題にはならないが、吉良が抜刀せずに、浅野が吉良を切り仕損じたのが問題となった。

 殿中での殺傷沙汰はそれまでも何回かあって、ほとんどが相手を仕留めているらしく、浅野が仕留められなかったのが不思議というのである。

 だから、浅野は相手が抜刀するのを挑発してから、いざ決戦を望む前に、吉良が逃げたと考えると辻褄があう。サムライなら居合も残っているように一撃必中でなければおかしいらしい。幕末に流行る剣術は町人相手の護身術で、サムライの剣は、実際は槍で戦で功名を立てる団体戦のものである。

 だから個人戦の剣術などは個人主義の時代にならないと意味がないのである。私闘を戦とは呼ばない。戦国時代の戦と現代の個人戦はまるっきり意味が違う。組織のための槍なので、槍の功名という。

 それでも、源平合戦で名を名乗ったではないか、というのは、出自を明らかにすることで、敵か味方かを、姓や家系から判断するためのもので、それが後には戦場での馬印となった。だから敵か味方かの馬印をみれる斥候が重宝されたのである。

 八切氏によると、浅野は、どうやら柳沢吉保に嵌められたらしい。吉良が柳沢がはじめた当時の金融緩和である小判の贋金つくりの取り分に不服を申し立てたので、浅野を使って消そうとしたのが、しくじったらしい。しくじった浅野はなんの情状酌量の余地なく柳沢に斬首されている。

 だから、赤穂浪士なんていうのも美談でもなく、大石内蔵助良雄も、軍事方の家老ではなく、事務方で、柳沢が、吉良を生き証人として生かしておけないために、無理やり世論を誘導して、いまでいう情報操作、印象操作で、無理やり討ち入りさせた後で、斬首というのが真相らしい。

 大石が討ち入りで驚いたのは赤穂の軍事方らしく、なぜ大石がというのが疑問だったらしいが、要するに軍事方に討ち入りさせると、本格的な戦になるのが困るからである。

 このようにほとんどが作られもられた話で、本能寺の変なども、八切史観で考えると、全て辻褄があってくる。

 いまだに本能寺の変が光秀とされているが、光秀は当時信長に一番信頼されていて、光秀もそれに応えているのだから、有り得ない話なので、謎とされているわけである。

 謎とされるのは、権力者により真相が隠されているからである。だから犯人は権力者であることが多い。権力者は都合のいい文脈を書かせるが真相は隠せない。冷静に考えれば矛盾があり、謎となるからである。

 嘘は必ずバレルのに、なぜ謎となって隠されるのかは、権力者がもみ消すからで、もみ消せる権力者が怪しい。

 家康接待での光秀失態や家康の伊賀抜けなどがお話として信憑性があるように思われているが、あくまで出来過ぎたお話であることに気づけばわかる。

 家康の伊賀抜けには疑問がある。穴山梅雪の頓死と、なぜ信長の死を知りえたのか?
 
 当時は信長の首が曝されない限りは死は断定できないし、信長が四国や中国討伐に向かう前で、家康に京都見物を勧めるというのもあまりにおかしすぎる。なんだか、家康がわざとアリバイをつくっているようにみえる。

 信長亡き後、秀吉と家康は小牧長久手で戦となるが、秀吉が生き証人を互いに戦場で殺して、和睦しているのをみると、信長殺しの黒幕をお互い知っていたようにみえる。

 また秀吉の中国大返しも、予め、信長の死期を知らなければできることではない。光秀に都合の悪い、これらの出来事が創作と考えた方が現実的である。

 いま問題となっている森友、加計も、意向や忖度がなければ、できるはずのないのができ、通るはずがないのが通っているわけで、家康の伊賀抜けと秀吉の中国大返しと同じである。

 つまり、家康や秀吉が事前に知っていたわけで、その実行を待つだけだったのである。

 この二人には信長を殺す動機がある。家康は、その出自をみればわかり、二郎三郎という名で、いまの日光市に近い徳川村のサンカの出で、当時の駿府に売られてきたらしい。だから家康はほとんど生涯、浜松城から出ることがなかった。

 つまり、家康は、松平元康ではなく、元康を殺して、成り代わったのである。だから、元康の息子の信康と妻の築山御前を殺したのである。

 この一件が信長の耳に入り、信長の一字と、娘五徳を与えた信康の縁から、家康に理由を言いに来いと言ったが、武田氏の進攻があるといって長年拒否していたが、武田氏が滅んでから、仕方なく安土に行くことになった。

 当時の切支丹宣教師の手紙と、本能寺を襲う兵たちが、家康を討ちにいくと思っていた事を見ても明らかだが、信長は家康を本能寺に誘き出して、殺そうと思っていたようである。

 信長は、自分は丸腰であることをみせるために、本能寺を選んだが、それが裏目に出て、斎藤利三の裏切りにあう。

 だから、家康は信長に生命を狙われていたわけで、十分に動機があり、信長は、家康亡き後の徳川の領地には光秀を据え、旧武田領には、穴山梅雪を据えるのを考えていたようだが、本能寺の変後に、穴山、光秀と殺された事でわかる。

 秀吉の動機は、秀吉が元々、八(部落)の出で、毛利の外交で有名な安国寺恵瓊の手紙に、信長はダメ、秀吉に従うべきとあるように、秀吉が、毛利と密かに通じ、毛利に有利なように、勝手に和睦してしまったことを、信長に咎められる恐れがあった。

 秀吉の立場は非常に危ういものだった。

 家康は、信長を殺さなければ、殺されるが、秀吉は、信長が、家康に殺されないと自分が危ういわけである。両者は、信長の正室奇蝶とその腹心の斎藤利三に眼をつける。利三は織田軍の美濃派筆頭で、追放された安藤伊賀の後釜で、四国の長曾我部に妹を嫁がせ、縁が深く、また戦国時代の銭貸しをしていた吉田神道ともつながりが深い。

 信長は当時銀主流の通貨制度を、金に変えようとしていたようで、また仏教徒を弾圧して、仏教徒が持ち込んだカースト奴隷制度を改め、切支丹との奴隷貿易を推進していたことから、古くから親大陸、親中国の朝廷とは折が合わず、足利義昭を追放してから、益々朝廷と反発し始めていた。

 そもそも、本能寺の変が謀反というのもおかしな話で、信長が、当時主流だった朝廷カースト制度に反旗を翻したのだから、朝廷に歯向かった信長こそ当時の制度では、謀反人となるはずである。
 
 実際、光秀は、信長の部下ではなく、義昭の部下で、朝廷カースト制度では信長と光秀は同格なのである。だから、信長の死は、朝廷にとっては果報で、当時抑圧されていた部落民には悲劇というわけである。

 以上のように、光秀には徳川政権になって書き換えた、単なる怨嗟説しかないが、それも光秀がやったとすれば、足利義昭の忠臣となるが、光秀は利三とともに、秀吉に山崎で殺されてしまうのである。

 光秀の怨嗟説や朝廷を守る説は、その後、表向き没落した明智家をみれば説得力に欠けるが、秀吉の動機や、信雄に安土城を焼き払い裏切りを奇蝶や光秀のせいにして、歴史を書き換えるのは、太閤となってからは可能であること、また家康の動機や、利三の娘福を春日野局にしていることから、遥かに説得力が増すことがわかる。

 以上のように、当時の感覚から考えないと、当時の真相はみえてこない。

 いまも必死に印象操作と意向がなかったことにしろという意向が働いている、というおかしさやインチキが紛れ込んでしまう、という話を改めて考えるために、真面目なシュタイナーの話を紹介する。

 唯物論で考えると、現代は、さしずめ利害損得勘定の世の中で、金銭や名誉や地位の獲得へと奔走する物質文明に洗脳された時代といえる。

 唯物論を超える、人智学によると、現代は個人主義を育成する時代であるという。唯物論に染まった個人主義は、勝者が全てを所有し、取り仕切るというものだが、これは偽物で、本物の個人主義は、前回紹介したように、道徳性、つまり3つの徳目を備えた人格をもたないと意味をなさない。

 つまり、他者の痛みを自分の痛みと感じる。思想や信教の自由を認める。そして、霊魂の永遠性を認識できる霊視力を獲得する、である。

 現代は、この3つの感性に優れる人種を代表して、アーリア文化と呼ばれている。アーリア文化というと、悪しき偽物の意味で、中部ヨーロッパを思わせるが、個人主義でかつ、思想の自由、人権への理解という意味では、北欧が一番進んでいるといえる。

 ★         ★         ★

 第6文化期を準備する その1

 ルドルフ・シュタイナー

 1915年6月15日 デュッセルドルフ

 友人の教授によって設立されたグループのお披露目のために、今日ここに集っている。このグループは、人智学運動において、よく知られた方法で、現在や未来の人間の霊魂の向上のために、自らを捧げるのを望んでいる。

 このような機会に、なぜ、グループで集うのか、なぜ共同グループを設立し、自らを捧げて霊魂の宝を育成するのか、を自問するのは良いことである。

 もし、この自問に答えるなら、たとえ、このようなグループで思考するだけでも、世の中の他の仕事と区別すべきなのを気づかなければならない。人間の霊魂の進化に関係する、親密な真理に深く参入するのを望まない人は、恐らく次のような疑問をもつだろう。

 「自分でグループをつくらなくても、適当な講師を見付けてきて、知らない人同士が集まり、霊魂の宝に近づく話の機会を与えるだけで、人智学を育成できるのではないか。」

 勿論、そのような集会もできるが、このような広い意味でも、また狭い意味でも、互いに知り合った活動グループ内で、友情と友愛で集う人たちの会ができるに越したことはなく、人智学とは切っても切り離せない霊魂の姿勢を充分に意識して、そのような会合を続けていく土台ができる。

 人智学の知識を親密に育成したいと願い、友愛と調和のために共働するのを衷心から願う人々がいるのには意味がある。意識して交わる霊魂たちに、人智学徒が話しかけているのを知っているが故に、人智学徒の間では他の人々とは異なる会話ができる、という事実が、人智学徒間の関係と交流に影響を及ぼすだけではない。

 ただそれだけではないので、また別の面も考慮する必要がある。個々のグループの設立は、自分たちの運動の最奥にある霊性を理解し、全体の運動を把握し、理解した全体の概念と関係している。

 我々の運動は、感覚で捉えられる物質と、感覚を超えた心によって把握できる霊にとって、意義深いのを意識するだけでなく、この運動を通して、我々の霊魂は、霊界との、現実かつ純粋な絆を求めている事も、全員が意識する必要がある。

 なので、覚醒意識で、何度も、自らに、次のように言い聞かせるべきである。

 「人智学の育成によって、自分の霊魂を、地球だけでなく、高次のヒエラルキー(位階)の天使たち、不可視の天使たちが住む霊界に昇天できる。」

 自分たちの仕事が、不可視の霊界にも意義をもつ事に、また実際、自分たちが、不可視の霊界のなかにもいる事に気付く必要がある。霊界では、そのようなグループ内で互いに馴染みのある人々によりなされる仕事は、そのようなグループの外で行われ、世の中に広がる仕事とは全く異なる。

 人智学のグループ内で友愛の調和と共に実行される仕事は、我々がなしうる他の仕事とは全く異なる意義を、霊界に持っている。この事実を十分に理解するために、近年多くの面で研究してきた諸真理を思い出す必要がある。

 ポスト・アトランティス時代の地球の進化は、初期には、古代インド文化によって継承された。この次に来るのが古代ペルシア文化である。この呼び名は大まかな意味でしか適切と言えないが、今、特に深入りしない。

 それから古代エジプト-カルデア-バビロニア文化が来る。そして、古代ギリシア-ラテン文化、そして現代へと続く第5(アーリア)文化である。

 これらの各々の文化は、その文化に独特な霊魂の状態を育成する宿命をもつ。また各文化は、同時に、後続の文化を準備し、後続の文化のなかに、準備してきた進化を組み込む必要がある。

 古代インド文化期での、いわば子宮内で、古代ペルシア文化期が準備された。古代ペルシア文化期のなかで、次の古代エジプト-カルデア文化が準備された。現代の第5(アーリア)文化期は、次に来るべき第6(ロシア)文化期を準備する必要がある。

 人智学の課題は、人間の自我のために、霊魂の永遠の生命や財宝を獲得するだけでなく、第6文化期の進化となる、独特な(超感覚的な)意識状態を、霊魂に組み込む準備をすることである。

 以上が、ポスト・アトランティス時代の各文化期の事実だった。

 密儀(秘儀)のセンターは、次の文化期に、霊魂に組み入れる意識状態を準備する場だった。密議に人々は集い、人々の間で、文化独特の霊魂の意識状態が育成された。

 古代インド文化期の密議は、人間のエーテル体の育成に関わっていた。古代ペルシア文化期は、アストラル体の育成に関わっていた。古代エジプト-カルデア文化期は、感覚魂の育成に関わっていた。

 古代ギリシア-ラテン文化期は、悟性魂の育成に関わっていた。現代の第5(アーリア)文化が続く限り、霊魂のなかの意識魂を進化させるだろう。しかし、第6(ロシア)文化独特の霊魂の状態を前もって準備する必要がある。

 第6文化期の多くの特徴は、第5文化期の3つの異なる特徴から生まれる。第6文化期では、この3つの特徴を心(霊魂)に担う必要があり、そして、その3つの特徴を、第6文化期のために準備することが、第5文化期の課題である事を実感する必要がある。

 今日(第5文化期)の人間社会には、ある特質が欠けているが、その特質こそ、次の第6文化期の目標に到達した人間の特質となる。その特質は第6文化では必須となる。勿論、第6文化期にも、未開人、未開族の段階にとどまっている人も言えるが、その人たちには見い出せない霊魂の特質である。

 第6文化の絶頂に、地上に生きる人間の最も意義深い特質の1つは、道徳性である。近代人には、この特質がほとんど知覚できない。

 現代人は、自分よりも不幸な境遇の他人を見ると、霊魂(精神)に痛みを感じるような繊細な知覚をもたなければいけない。このような繊細な知覚をもてば、世界に広がった苦悩に痛みを感じるのは事実で、この痛みは、特別の感受性の強い人にしかもてない道徳性である。

 第6文化期に、最高度の文化を備えた人は、世界の貧困、苦悩、悲惨を見て、痛みを感じるだけでなく、他の人の苦悩を、自分の苦悩として経験する。もし空腹な人を見れば、自分も、その空腹感を感じる。

 それほど実際に鋭敏な感覚なので、他者の飢えは、自分にとっても耐え難いものとなる。いま指摘できる道徳性は、第5文化期の状況とは違って、第6文化期には必須となり、個人の安寧は全体の安寧に一重にかかってくることになる。

 (天使長もミカエルから、オリフィエルとなる。オリフィエルはどんな人間も救わずにはいられない性格の天使だという。)

 今日の人間の四肢の安寧が、人体全体の安寧、つまり健康に依存するように、また人体が健康でなければ、四肢が仕事に耐えられないように、第6文化期には、人類共通の意識が、文明化された人間によって保持される。

 そして、人体の健康を、四肢が感じるより遥かに高度に、この共通認識から、個人は、全体の苦悩、欲求、貧困や、そして富を感じとるだろう。

 以上が、第6文化期の人間を特徴付ける顕著な第1の道徳性である。

 (国民の苦しみは自分の苦しみに感じる指導者がでてくる。)

 第2の基本的特徴は、今日の信仰の結実とも呼ばれる信教が、今日より遥かに高度に、個人の自我に依存するようになるだろう。人智学は、第6文化のあらゆる分野のなかにみつけているが、思想の完全な自由と、自由な思考への憧れが、人間を捉えるので、信教の自由や、宗教的教義の信仰は、全面的に、個人の自我に委ねられ、自由な力となるだろう。

 今日の様々な共同体にある、多様な集合的信念は、第6文化期に文明化した人には、もはや影響しないだろう。宗教分野での思想の完全な自由は、人間の基本的権利であると、誰もが感じるだろう。

 第3の特徴は、第6文化の文明人が獲得した霊認識(霊能力)だけが、本当の知識と見なされる。この世に霊性が漲り、人間の霊魂が、知性を通じて、霊(天使)と結びつくときだけ、本当の知識がもたらされる、と見なされる。

 唯物主義の傾向を伴った今日の科学は、第6文化期に、科学の名前で呼ばれる栄誉を浴する事はまずないだろう。それは古臭い迷信と見なされるだろう。

 それは廃れた第5文化期の段階にとどまった人たちの間でしか通用しないものとなる。例えば、未開人が、「死人の手足は身体から切り離すべきでない。完全な人間として霊界に入れなくなるから」と言っても、現代人が、迷信と見なすのと同じである。

 そのような未開人は、霊魂の不死の理念を、純粋な唯物論と結び付けている。つまり、死者の人生が肉体に記録されたまま霊界に移行する、という信仰に結びついている。唯物論で考えているのにも関わらず、不死を信じている矛盾に気づかない。

 霊魂(精神)は肉体を分離し、霊魂だけが超感覚界(霊界)に移行する事実を、人智学から理解しているので、今日の人智学徒は、不死についての唯物論による信仰を、迷信と見なせる。

 同じように、第6文化期には、科学も含む全ての唯物論による信仰は古臭い迷信と見なされるので、当然、人智学や霊性に基づく知識のみを科学として受容するようになるだろう。

 人智学の目的は、以上の意味から、第6文化期を準備する事である。唯物主義を克服する為に、次の時代に相応しい科学などの学問を準備する為に、いま人智学などを育成している。教義をもたず、誰からも教義を発することなく、自らの信念による人たちの共同体を築こうとしている。

 (人智学に教祖はいない。だからシュタイナーからはじまってはいるが、皆が独自の人智学をつくるべきである。)

 1つの例外もなく、教えについて、霊魂たちが自由に発する同意に基づいて築かれる共同体を創設したい。この共同体では、人智学が、自由な思考を準備する。人智学の育成を目的として、親愛の集いにより、第6文化、文明を準備する。

 しかし、人智学徒の交わりとグループの本当の課題を十分に理解したいならば、人間の進化過程を更に深く見つめる必要がある。

 ポスト・アトランティス時代の第1(古代インド)文化期では、密儀(秘儀)に関係した共同体のなかで、後の第2(古代ペルシア)文化期に必要なエーテル体を育成した。また第2文化期特有の集いでは、次の第3文化期に必要なアストラル体の育成に関わった。

 アストラル体は、第3文化期の外界に暮らすための特別な課題となった。この文化期の外(物質)的文化とは対照的に、第2の古代ペルシア文化を準備するために、古代インド独特の密議(秘儀)の集会で発達させられエーテル体を述べるのは、少々話が脱線するが、次のようだった。

 第2文化に必要なエーテル体を準備するのに、古代インド文化の文明人(秘儀参入者)の集いでは、次のように感じられていた。

 「人間の霊魂は、次の文化期に受肉するエーテル体の完成にはまだ到達できていない。だからまだ、完全なエーテル体をもっていない。それはまだ人間の上方で天使たちと共に羽ばたいている。」

 実際そうであった。第1文化期には、第2文化期に天から地へと降りるはずのエーテルが、人間の霊魂の上で、天使と共にまだ羽ばたいていた。

 密儀のなかでも親密な、地上の集会で成就したエーテル体つくりの反響が、上方の高次のヒエラルキアの霊たちに流れて昇り、第2の古代ペルシア文化期の霊魂の中へと流れ降るエーテル体を醸成し、アストラル体の育成を可能にした。

 古代ペルシア文明の肉体に受肉した霊魂の中へと、後の進化段階で降下したエーテル体は、古代インド文化期には幼い子供のようなものだった。次の時代を準備して下方の人々の霊魂の向上から上へと流れ昇る善良な霊(精神)力は、上なる霊界によって受け取られ、慈しまれた。各々の文化期で、そのようだった。

 現代(第5アーリア文化期)の文化と文明によって育成させられたのは意識魂である。14世紀、15世紀、16世紀から始まり、科学と唯物主義による(覚醒)意識は人間をとらえた。この意識は徐々に更に広がり、第5文化期の終わりに、その進化を完了させる。

 しかし、いま意識魂が進化しているように、第6文化期の霊魂のなかで発達すべき意識状態は、霊我(マナス)である。

 (マナスは三種の神器の1つで、他に、ブッディ、アートマンがある。アートマンをもつと、人間は天使になり、声=音響を使って、次の人類を生み出すという。)

 霊我の性質は、先に述べた3つの特徴を、霊魂が既にもつのを前提とする。3つの特徴とは、すなわち端的にいえば、親愛に満ち溢れる社会生活、思想の自由、そして人智学である。これら3つの特徴は、意識魂が第5文化期の霊魂のなかで進化するように、霊我が、第6期に進化すべき人たち(秘儀参入者)の共同体には必須となる。

 それ故に、活動グループ内で、親愛で結びつき、意識魂を共につくる上で、子供のような、霊我が羽ばたいている状態を、自我の進化について描ける。

 この霊我は、霊魂が第6文明期に再び地上に転生するとき、霊魂に流れ込めるように、高次のヒエラルキア(位階)の天使たちによって育成されている。人智学のグループのなかで、意識魂を完成させることで、善良な精神(霊魂)が天へと昇華され、霊我を準備する天使たちに流れ、遂行される。

 なので、人智学の叡智を通じて、活動グループに集うときに、人智学徒が、霊界との関係から、実際、何を行っているか、が理解できる。地上での自我の完成だけでなく、霊界の中へと流れ昇るように、意識魂の進化を担っている、という責務、この仕事は霊界と関係している、という意識こそが、活動グループの聖なる真実である。

 上述の意識を抱くことは、人智学運動のなかでの活動グループの基盤となる神聖な意識を浸透させる。

 それ故に、以上の事実を、その真実の霊の意味において把握する事が大いに重要である。人智学を育成するに加えて、思考の自由に基づく活動グループに共に集う自らを見い出す。グループに集う人は、教条や信仰の強制とは一切関係なく、グループの仕事は親しき人の間で共同して働く性質となる。

 何より最も大切なことは、自らに次のように言って、共同体の理念の真実の意味を意識することである。

 「近代の霊魂として、現代人は第5(アーリア)文化期に属し、個人として発達し、共同体生活から個人生活を益々高めている、という事実とは別に、より高次の善良な共同体も意識する必要がある。その共同体は、愛の自由に基づくもので、この意識を、活動グループ内で呼吸する白魔術(ホワイトロッジ)の息吹として意識しなければならない。」

 西ヨーロッパ文化の深い意義は、第5文化期の探求が意識魂である、という事実に横たわっている。西ヨーロッパ文化の、特に中央ヨーロッパの課題は、個人文化や個人意識を発達(進化)させることである。

 以上が現代の課題である。この我々の時代を、古代ギリシア・ローマ時代と比べてみる。

 古代ギリシア時代の、特に文明化したギリシア人の間では、それまでの集合魂のなかにもつ集合意識を、独特で驚異的な状態で示した。アテネで生まれ生きる人は、何よりもまず自分を「アテネ人」と感じた。各都市に属する、と考えていたギリシア人の共同体は、当時の個人にとっては、今日意味する共同体とは異なっていた。

 (仲間意識が強かった。いまの日本人に似ている。)

 我々の時代に、個人は共同体を抜け出て、共同体を越えて成長しようと努力する。この努力は、第5文化期には正しい。しかし、古代ローマ時代では、個人よりも、何よりもまずローマ市民であるべきだった。実際、当時の人間は、それしか意識をもてなかった。

 しかし第5文化期では、何よりもまず自分であろうと努力する。個人であるべきで、それ以外ではない。

 現代人が地球上で互いに闘っている、のを見ることは、現代では苦痛に満ちた経験だが、これもまた、結局、「個人的な覚醒意識」の自由な発達(進化)を求める、第5文化期の執拗な努力に対する反応といえる。

 今日、異なる国民が、お互い敵意に満ちて、国の閉鎖を行うが故に、この閉鎖への克服として、全人類が、互いの許容(包容)力を発達(進化)させることが益々必要である。

 (敵を愛せ、隣人を愛せ、である。さすれば、天国へと導かれる。)

 個人が、あらゆる種類の共同体から抜け出て成長し、共同体を越えて成長するのを許す精神力を発達(進化)させる事が、次第に必要となる。しかし、他方で、覚醒意識を育成する事で、第6文化期に、自らの完全な自由の意志から、加わる共同体を準備する必要がある。

 現代人の高い理想から、第6文化期を包括する共同体の姿が羽ばたいている。第6文化期では、文明化した人たちが、ごく自然に、兄弟姉妹として、互いに出会うだろう。

 過去になされた多くの神秘学の講義から、東ヨーロッパには、第6文化期に特別な使命をもつ民族が住むのを、人智学徒は知っている。東欧の住人は、第6文化期になるまで、霊魂のなかに今横たわっている基本の精神力を明確に表出することはない。

 ロシアの諸民族は、霊魂のなかで今潜む、基本の精神力を展開するのに、第6文化期を待たねば、準備が成就しないのを知っている。

 西ヨーロッパと中央ヨーロッパの使命は、意識魂を発展させる事で、導入し得る道徳性を注ぎ込む事である。この事は、東ヨーロッパの使命ではない。

 東ヨーロッパは、霊我が地上に降りて来て、転生した霊魂に浸透できるまで待たねばならない。この事は、正しく理解する必要がある。間違って理解したなら、逆に、東において、驕りや傲慢に容易に導くだろう。

 ポスト・アトランティス時代の、文化の興隆は第5文化期に極められる。第6文化期と第7文化期では、その進化の下降である。にも関わらず、第6文化期に、この下降する進化は、霊我によって霊感を吹き込まれ、霊我に浸透されるだろう。

 今日、東ヨーロッパの人たちは、本能的に、以上の事が真実と感じている。ただし、しばしば倒錯した本能から感じている。

 東ヨーロッパの人たちの、以上のような意識は、大抵、極めて茫漠とし、混乱している。

 「ロシア人」という言葉が頻繁に使われるのが、実に特徴的である。西側で「イギリス人」、「フランス人」、「イタリア人」、「ドイツ人」と言って、個人を見分ける代わりに、東ヨーロッパの人たちが、「ロシア人」と言うと、言葉自体が、霊として姿を現わす。

 ロシアの知識層の多くが、「ロシア人」という表現法を大切にする。この事は、この独特の文化に関わる霊と深く関係している。この言葉は、共同体の上に広がり、個人と同族の両方の意味を指す。

 「ロシア人」という言葉に、「人」という「個人」の意味を含ませる事で示されている。しかし、個人が、遠い未来に到達すべき高みには、まだ到達していない、のも明らかである。紛れもなく矛盾する意味を、この表現が含む限り、共同体と個人の中間といえる。

 「ロシア人」という表現の「ロシア(の)」という形容詞が、「人」という名詞で表される個人を、実際に無効にしている。というのも、真の個人性に到達したなら、排他を示唆する形容詞はつくはずがないからである。

 しかし、それよりずっと深いレベルで、ロシアの知識層の成員には、共同体や親愛の概念の、来るべき時代において支配すべき理解が横たわっている。

 霊我は降下する事になっているが、それは親愛の意識に浸透された人たちの共同体の中にしか降下できない、霊我は親愛の意識を欠く共同体には広がりようがないと、ロシア人の霊魂は感じている。

 このために、ロシアの知識層は、西ヨーロッパと中央ヨーロッパに、次のような非難を浴びせる。ロシアの知識層は次のように言う。

 「貴方たちは、真の共同体に全く注意を払っていない。貴方たちは、個人主義しか育成しない。自立した人間になりたい。個人になりたいだけなのだ!

 貴方たちは、人格を通じて、1人1人が個人を感じるが、(寛容を知らずに)極端にまで推し進めている。」

 上述の発言は、東から、西や中央ヨーロッパへと、退廃等といった多くの非難のなかに反響している。現況を実感する人たちは、西と中央ヨーロッパは、人のつながりへの感情を失ってしまった、と言って告発している。

 現実と未来を混同して、次のように言う。

 「人々の間に真実で、純粋な共同体が存在するのは、ロシアをおいて他にない。誰もが、他者の兄弟、他者の「小さな父」、「小さな母」と感じる生活は、ロシアでしかありえない。」

 西ヨーロッパのキリスト教は、共同体の本性を展開するのに失敗したが、ロシア人は共同体が何であるか、を知っていると、ロシアの知識層は言う。

 アレクサンドロ・ヘルゼンは、19世紀のロシア知識階級に属し生きた優れた思想家だったが、「西ヨーロッパに幸福はありえない。」と言う事で、上述の混乱した批判に究極の結論をもたらした。

 「どのような目論見がなされようとも、西ヨーロッパ文明に幸福は決してやって来ない。西ヨーロッパ文明では、人は決して満足を見い出すことはない。そこでは、混沌だけが支配できる。」

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 続く。





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Last updated  2017年06月20日 22時34分39秒
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