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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2023年07月20日
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カテゴリ:神秘体験空間
人類がどんどんバカで愚かになっているのは、人類の恥晒し毒災者ぷーちんをみればわかるが、毒災者は、地獄のなかでも最悪の阿鼻地獄に堕ちるだろう。阿鼻地獄は、自分のためだけに生きた人間が死後行くところである。人類から獣に脱落した者が行く、そこは悪魔たちの鬼の世界と言える。

八大地獄 - Wikipedia


現代人はなんでも統計で解釈するが、動物のように集合魂をもつ存在ならまだしも、人間は個人的な自我をもつので、統計的な解釈はほとんど無意味である。だから、統計データを使うのは、人類がそれだけバカで愚かになった証拠であり、それが当てになるということは個性がなくなり、多様性をもたなくなった裏返しともいえる。

統計が現状を巧く説明するのではなく、人間が統計に洗脳され騙されているだけなんである。だから、ぷーちんのような愚かで地獄行きの毒災者が生まれてきてしまうわけなんである。毒災者は統計データを使って人々を洗脳するからである。

現代人がバカにする、古代人は、実は現代人よりも、遥かに賢く、宇宙の仕組みを、古代叡智から手に入れていたので、統計データなどを使って、解釈する必要もなく、天体の配置からそのまま出来事を霊的に予感し、行事を立てたのが、人類がバカになっていくにしたがい、形骸化して、占星術者や陰陽師のような、統計データなどを駆使して、占うなどの予言が生まれた。預言から予言になってしまった。

現代人は数学を手に入れた代わりに、数学をそのまま体験できなくなった。例えば、数字などの抽象的な文字を使う事で、そのモノを直接感じ、体験できなくなった。それは計算機を使うことで、数字に割り当てたそのモノを感じとれなくなった。

例えば、友人を何人と数える事で、友人の違いを無視し、同じ存在とみなす事になる。数を数えるのは、物質界で物質的な創造を行うには有用だが、精神は数では表せず、同じ友人でも、親友と悪友では大違いなのを考えなくなってしまった。バカとは、ウマとシカが区別できない能力の事だが、動物を数で数える事で、バカになったわけなんである。

数で表し、全てをモノ的に考える事で、多様性を殺し、このように論理的に、人間は破壊からなる覚醒意識を手に入れたわけだが、そのような論理が辿り着く先が脳科学で、人工知能であるのは、アーリマンの策略であるのは言うまでもない。

ルシファーの論理的な知性から、アーリマンの人工的な知性へと、人類は益々馬鹿になり、表層的に、生きるようになって、いまでは日々株価が下がったとか、物価が上がったとか、勘定をして生きるのである。

価格の上下で喜怒哀楽し、人生の喜怒哀楽の醍醐味を知らず、そのまま体験せずに、ヴァーチャルで代替して体験する事に何の意味があるのだろうか?

現代人は本当に現実を生きているといえるのだろうか?

現実にある愛を感じられているのだろうか?

芸術を幻術にしているのではないのか?

いま人間は、宇宙から注がれる愛を感じ、体現しているのだろうか?

そして、現代人は、金銭の勘定ができないと、死ぬという恐怖に襲われるのである。

なんでも統計的に解釈し、脳科学で将来を決め、日々金銭の勘定をして暮らし、死の恐怖を免れるために、遺伝子改変やら、人工知能で、その無駄で愚かな行為を永遠に続けようとするのである。

19世紀の物質科学の夢がロボットをつくる事だったが、それは人間が人間をやめて、ロボットになる事だったようである。自分が地獄に堕ちるロボットと変わりないのに、愚かな戦争を続けるロボットなのに、ロボットをやめないのは、完全なロボットになってしまった証拠である。

人工知能戦争ロボットの誕生である。そのロボットは、人類をいま恫喝している。人工知能が誕生するまえに、人間が人工知能になってしまった。

人間が人工知能になるような教育が現代では行われているからである。人工知能を利用する事は、人工知能に利用されている事なんである。それは、人工知能がないと、その利用者は、目の前の課題を独力で、努力で解決できない、という事実を意味するからである。

そしてそれは、自分の個性を失わせ、統計的な知性に沿って、その奴隷となる、のを同時に意味する。シュタイナーによると、人は、個性を失うと同時に、毛も失う、という。毛とは、自我の光が体外に輝き出るもので、光の生命力の表明だからである。

豚は、家畜化された猪で、毛を失った猪だが、野生の猪は、独特な種が持つ生命力で生きているので、フサフサな毛が生えているが、人間に飼われ、飼育され、それほど自然環境に適応せずに、楽に生きれるので、自然へのアンテナでもある毛を必要としなくなっていく。

過失や失敗から学ぶ必要がなく、楽に生きるようになり、環境に、飼いならされていくと、毛を失っていくのである。だから、人類はバカになればなるほど、ツルツルのハゲになっていくわけである。だからといって、ツルツルの禿が、必ずしも馬鹿ではないのに注意してほしい。プーチンはおバカで無間地獄行きだが。

厳格な戒律をもつ仏教では、肉食が禁止されているのも、植物が自然そのままに存在している光=エネルギーを努力して、消化し、同化する力を、体内に育成し、独力で獲得するためである。

つまり、草食動物の体内の中ですでに、ある程度消化されて、植物が動物に同化された肉を食すると、いわば人体には消化しやすい、楽な光=エネルギー摂取となるので、それだけ精神が堕落し、その楽な力が、無駄に働き、持て余し気味になり、プーチンのようなおバカになるわけである。

だから、肉食とは、計算機に計算してもらい、楽をするのと同じで、消化の努力を動物にしてもらった分、お気楽になる事なんである。問題はそのお気楽さを、いかに愛で償い、愛に高めるかにある。

シュタイナーは、狂牛病を100年前に預言し、草食動物に肉食させると、植物タンパク質を動物タンパク質にかえる力が余分に余り、動物の場合、個人的な自我がなく、種の集合魂なので、余った力を、種の進化に使えないどころか、種の退化の、尿酸などになり、脊髄液から脳に伝わって、脳を硬化させると、狂牛病を説いていた。

現代ではプリオンタンパク質の変異と捉えているが、それは単なる物証であり、目的ではない。病気の本質は、肉食によって、本来の草食動物が獲得した進化の能力が、逆に退化して、牛を馬鹿にさせたのである。

だから、進化の道に沿って努力しないと、人間も堕落腐敗し、プーチンのようなおバカになるのである。あまりに先取りして、楽をするのが身につくと、人類は堕落腐敗して、地獄に堕ちる運命となるのである。

高次の宇宙人が心配しているのは、この事である。人類が先取りして核兵器をつくり、持ってしまったために、今人類は核兵器により恫喝され、巨額な軍事費を、生活費から搾り取られている有様なわけである。

アーリマンの高笑いが聴こえるのは、私だけの気のせいだろうか?

コンピューターの前身となったチューリングマシンという計算機をつくった天才アランチューリングは、数学は、人間が間違えるからこそ発展する、と言った。

アラン・チューリング - Wikipedia


数学は、人間が過ちをするから、生まれたのである。数学は、人間の不完全性を表現している。ある意味、ゲーデルは、数学の不完全性から、人間の過ちを指摘していたのかもしれない。

ゲーデルの不完全性定理 - Wikipedia

だから、人間が過ちを犯さないのは、人間に進歩がない事なんである。そして最大の過ちは、過ちを認めないで、覆い隠す事で、それこそが、人類を獣へと退化させていく、アーリマンによる罠、策略なんである。

間違えを覆い隠す錯誤こそ、アーリマンの得意技なんである。アーリマンは遺伝子工学、計算機工学、人工知能学を、完璧な錯誤マシン、ロボットとして仕上げるだろう。

人類はいま、ルシファーの論理的知性と、アーリマンの錯誤マシンの狭間、岐路にたっている。

人類は、パンのみに生きるにあらず、神の言葉に生きるはずなのに、パンだけ食べて、神の言葉を聞かずに、同じ人間を恫喝し、同じ人間の肉を食べようとしている。

人類は、狂牛病ならぬ、狂毒災者病に罹りつつある。一見、健康に見えるが、魂は悪魔に食われ、同じ人類を食べるアーリマンの病に罹っている。

いま悪魔たちが、人間に向かって、下に落ちてこい、と待ち構え、現代人は、その地獄のなかで、綱渡りをしている。

この現代人の綱渡りを、キリストの天国への階段へと、日々の過失を認め、努力への糧として、独力の、個人の多様性で、他の何か便利なモノに頼る事なく、解決していかなくてはいけない。

仏陀が説いたように、サイの角のようにただひたすら歩むべき、である。

サイの角のようにただ独り歩むべく、シュタイナーの人智学的医学を紹介する。

        ★        ★       ★

人智学的な霊的観点から、別の植物にも注意を向けてみる。例えばラヴェンダー(5)のような植物が持つ、全身的な作用を研究すれば、魂の衰弱から生じるネガティヴな作用の、失神、神経衰弱、麻痺などに対して、強い治癒作用をもつのがわかる。

 つまり、ラヴェンダーは、人体の末端部(皮膚)などに作用し、末端部からアストラル体を追い出し、アストラル体の物質体に及ぼす作用を抑制する。

 5;ラヴェンダー

 シソ科の多年草。ハーブとしては最も有名なものの1つ。花から取れる精油は香料、薬用に広く用いられる。
 参照;ラベンダー - Wikipedia

 このような植物のなかの、ネガティヴな神経衰弱を改善する作用の、また別のネガティヴな神経状態への作用についても調べられる。例えば月経不順である。

 このような植物のなかの物質作用は、神経衰弱の治癒と同時に、月経不順にも作用する。このように両方に、とりわけ強く作用する植物は、例えば、メリッサ(6)があり、眩暈、失神にも強く作用し、また月経もかなり促進させる。

 6;メリッサ

 レモンバーム。香水ハッカの異名も持つ。シソ科の多年草。全草にレモンのような芳香がある。ディオスコリデスの「薬物誌」(紀元前1世紀)にも記され、古代から薬草として用いられた。ハーブティーとしても用いられ、リキュールの原料でもある。パラケルススはこれを「不老不死の霊薬」と呼んだと言われる。
参照;レモンバーム - Wikipedia

 以上の例に言及したのは、人体の活動との類似性から、外界の植物の活動が追求できる、のを示す為だった。ただ、植物が、実際に、人体と相似性をもつのは、その一部だけである、のに注意しないといけない。

 例えば、狂信的に、全てを植物薬に切り替えたい、というような主張は、いま述べた注意点をよく考慮すべきである。人間は、自然を、人体のなかにもっていたが、人類進化のある段階で、ある形で外に出したので、植物と類似性をもっている。

 そして、場合によっては、外に出した活動を、再び人体のなかに取り戻す事もある。つまり、治療とは、かつて出した活動を、植物から、取り戻す事なのである。植物薬で治療できる病気は、勿論、その一部にすぎないが、過去に人体から出した活動を取り戻すのが、治癒原理であり、それは大変重要である。

 進化の比較的晩年になってから、外に出された活動は、逆に、治癒原理においては、比較的早く、人体に取り戻す必要がある。動物を度外視すれば(いずれ光を当てるが、いまは省略する)、植物よりも後に、鉱物を、人体から、外に出した。

 だから、植物との関係だけを探究しても片手落ちとなる。とはいえ、やはり植物は依然として治療に有益で、というのも、結局、植物といっても、植物の特性ではなく、植物のなかの鉱物の特性で、癒しているからである。

 更に、注意すべき点は、植物は、体内で、鉱物を、新たに作り変えているので、植物のなかで作り変えられた物質は、まだ体内にない物質とは異なる、という事である。

 つまり、植物により既に作り変えされ、植物の進化(発達)活動のなかに組み込まれた珪酸は、外に、鉱物として出現する珪酸ほど強力な薬ではない。だから、鉱物の珪酸を同化吸収=ホメオパシーし、一体化するには、植物のなかの珪酸よりも、人体には負担がかかる。

 次の事は、強調すべきで、人間は、より強い力に対すると、より強い力を発達させる生物である。人間は、人体で、鉱物を同化(ホメオパシー)し、克服するのなら、植物を同化するよりも、ポジティヴな強い力が必要になる。

 ここに植物と鉱物の相違がある。この違いにより、決して食物の趣向性を勧めてはならず、菜食主義を支持するのでもない。ただ、端的に、事実を述べるにすぎない。

 菜食と肉食の違いは、この点にある。植物を摂取すると、人間は、植物の進化活動を引き継ぎ、進めていく必要があるが、動物は、体内で、植物の進化活動を継続し、先に進めているので、動物の肉を食べると、動物が先に進めた活動を、人体で行う手間が省け、楽になる。





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Last updated  2023年07月20日 16時44分35秒
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