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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年05月14日
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カテゴリ:神秘体験空間
"We are not alone."は、映画「未知との遭遇」のキャッチコピーで、「宇宙にいるのは、われわれだけではない」、という邦訳がつけられているが、シュタイナーによれば、人間がいまのような人間でいられるのは、人間だけの力ではないのを、人智学の天使論で解き明かしている。

We are not alone?! (granular.com)

映画チラシサイト:未知との遭遇 (eiga-chirashi.jp)


現代人は、人間の前に人間はなく、人間の後にも人間はないと思い込んでいるが、かつて人間だったのが、天使で、天使が人間だったときの天使が、大天使で、その進化の繰り返しで、現在の人間の上には、9柱の神々がいて、そのなかの7柱の神々の天使たちが、現代の地球上の人間の進化に関わっていると、人智学の天使論で解き明かしている。

旧約聖書の天地創造では、デウス=デイを日として、7日でつくられた、と唯物論で誤解釈しているが、本来は7柱で、現在の人間の進化に関わる、神々が7柱で、つまり、意志霊、叡智霊、運動霊、形態霊、人格霊、民族霊、薄明霊の7位階を意味しているという。だから、人間についての天地創造とは、この7柱の天使たちと共に人間が生きているわけで、この7位階の神々に、人間は創造のエネルギーを与えられて生かされているわけなんである。

天地創造 - Wikipedia

デウス - Wikipedia


しかも、宇宙では、最も上位の存在が、同時に、最も下位の存在になっていて、上下が逆転した入れ子の構造のように、以前、このブログでも紹介したが、上下がアベコベの、ウロボロスの、蛇が自分の尻尾を銜える4次元のような構造になっているので、人間にとっては最も身近に感じる下位の物質界が、最も上位の天使たちの能力に負っているわけで、人間にとっては、上下がサカサマにみえるわけで、これはまた、人智学で、アストラル界と呼ばれる心の世界も、物質界とは、サカサマの鏡像対称性でみえるわけなんで、迷路のように、非常に複雑で、混み入って、上を見れば、下から覗かれて、内から外へと遠くをみれば、外から内へと近くを覗かれるわけで、非常にヤヤコシイわけなんである。

ウロボロス - Wikipedia

鏡像 - Wikipedia


だから、人間にとっては左右均等のような対称性をもつ運動などは、例えば、回転体などは、高度に円形や球形を保てば、その変化がみえないし、捉えどころがないから、違いがわからないわけなんである。例えば、円盤が回転しているのか、止まっているのかは、それを映す光が全く対称性を確保していたら、見分けがつかないわけで、それは、双子の見分けがつかないのと同じである。双子の場合は、名前を聞いたりして、性格や、ちょっとした仕草の違い、いわゆる非対称性、不均一性を見分ける視点をもたないとダメなわけで、外見や物質的区別が不可能な高度な対称性をもつ天使などの存在などは、覚醒意識から認識できないわけで、とても7つの位階の区別やら、更には7つの位階を超える天使たちの上位の位階の、愛の霊セラフィムと、調和霊ケルビムの存在を感じるのは不可能なんである。

外見からでは、双子の区別も困難なのに、ましてや、人種や民族や文化の区別など、現代人の知性でできるわけがないだろう。それら差別化の要因となっている天使の区別がほとんど不可能だから、現代人のもつ、宇宙には人間しかいないと考える知性は、最も低次な、高次の知性の放棄とでもいえるような愚かな知性の成れの果てといえるかもしれない。そのような愚かな知性をほおっておくと、退廃して崩壊に向かうのが関の山である。その代表的人物が、プーチンやら、ネタニヤフやらの悪魔の支配下奴隷となっている獣の動物人間であろう。

現代人の愚かさの特徴は、戦争をするような独裁者により明らかになっているが、それが過大な承認欲求からくるのは、現代がルシファーの唯物論に染まり、物質界に足場を築こうとするアーリマンの誘惑にハマり、物質科学が万能だと錯覚してしまう自我の未熟さにある、連中は核兵器さえあれば全てが解決すると思い込んでいるが、核兵器を使えば、自分が奈落の地獄に堕ちる事さえ理解できないおバカといえるだろう。4次元空間では、物質的に多くの死をもたらしたものは、精神的に多くの死を被る宿命を背負うことだからである。カルマの法則はバランスにより成立するからである。

現代人は生命現象を物質的に解き明かし、唯物論から、細胞を最小単位にして、生命体を、その電気信号に置き換え、遺伝子情報理論から、唯脳論をつくり出し、更には人工知能のAIをつくりだして、唯人間論にまで進みつつあるが、人間だけで、宇宙や自然が成り立っているわけではないのは、人間同士の戦いが無意味なのが理解できない独裁者のような愚かな化け物を生み出している点で明白なんである。かつて、愚かな承認欲求塗れのヤンキーという名の独裁者がいたらしいが、その名は、いまではニューヨークヤンキースに残るだけである。

唯脳論 - Wikipedia

ヤンキー - Wikipedia

つまり、人間が唯一の知的生命体という、現代の唯人間論は、ソクラテスの無知を地で行っているので、ソクラテスが説いたように、現代人のその無知さを知り、神々との対話を取り戻すべきであろう。古代ギリシアの賢者が説いた神々との対話は、現代人風にいうなら、高次の宇宙人との対話となるかもしれない。人間の覚醒意識は、物質界を破壊し、分解することで、つくられるので、悪玉の宇宙人の知性によっているといえる。そして、その悪玉の宇宙人の代表がルシファーと、ルシファーよりも更に高次な悪玉の親分みたいなのが、アーリマンである

人類の悪玉の代表の独裁者が、ルシファーやアーリマンに洗脳されているのは、唯人間論の奴隷になっていることからもわかり、連中が、物質界の土地に拘り、土地の収奪に承認欲求を求めるのは、悪魔の早熟性にあり、忍耐力のなさにあるのがわかる。人間の早熟性が土地を求め、土地に承認欲求を求めるのは、人間が予定されていた進化よりも早く、宇宙の進化から逸脱した形態霊により、つまり、ルシファーらにより自我が与えられたためで、それが聖書に書かれている、蛇に唆されて知恵の実を食べてしまった人間の失楽によるものと、シュタイナーは、人智学の天使論により解き明かしている。

シュタイナーは、天使論において、自我の土地への執着により、人種が生じるのを解き明かしているが、人種と民族は全く異なる、と述べている。現代人が混同しがちなのが人種と民族と文化で、それは人類と天使との関わりの違いにあり、人間の早熟の傾向が、堕天使たちによっているせいだと、人智学から、説いている。人間の子どもの教育も、非行に染まりやすいのは、早熟の傾向にある、といえるかもしれない。

だから、シュタイナーは早熟の俗にいう英才教育は、晩年に硬化症や痴呆症を発するようになると警告している。非行も、英才教育も、人間にとっては自由を学ぶ機会にはなるが、諸刃の剣で、そもそも人間は、正統な形態霊の命令で、20、21歳になってはじめて、自我を獲得し、物質界に受肉することが想定されていたというのである。

しかし、人間は産まれながらにして、自分というのを物質界に何とかして打ち立てるように、早熟性をもって教育されるので、故郷や生まれ育った土地に執着するような、予めホームシックに罹るように育てられるわけで、つまり、熟す前の早期に出荷される農作物と同じで、長い目でみれば、未成熟な段階で、物質界に曝されるので、堕天使悪魔の洗脳や術中にハマりやすく、その奴隷や構成員になっているのに気づかずに、晩年になってもはや取り返しがつかなくなって、硬化症から、痴呆症になっていくわけなんである。一種の早熟性の麻薬患者と同じなわけである。

このような早熟的な、唯人間論に染まっている現代人が、人種と民族と文化の違いを理解するのはほとんど不可能で、それはホームシックを現代医学が解明できないのと同じである。もし、人種がなくなれば、土地や故郷への執着もなくなり、ホームシックもなくなるだろう。ホームシックというのは、いわば自我の病気で、その早熟性に起因するからである。人間に、善悪の判断をもつ自由な自我を与えたのは、ルシファーら宇宙の進化から逸脱した堕天使たちで、そのために、個人的自我は、民族霊の命令がみえなくなく、独自の判断をもてるようになったからである。地上の物質界では、個人が民族霊の命令を無視して、民族の代表になり得るようになったわけである。

ホームシックになる原因は? 対処法・治し方を知って乗り越えよう | マイナビニュース (mynavi.jp)


だから、人種と民族の違いとは、簡単にいえば、ルッキズムと精神主義の違いといえるかもしれない。前回、故郷喪失者を紹介したが、その対極にいるのが、民族主義者で、そんな輩が、人種優越的な、選民観点を併せ持つと、忽ち、独裁者になりやすいのがわかる。

民族には、民族霊による進化での役割が与えられているが、人間の自我の早熟性に起因した失楽の人種には進化の役割などはなく、人類の進化と共に、いずれ、人種は消えていく運命にあるからである。というのは、人種はあくまでも物質性に負っているからで、自我が物質性のエゴを失って、健全な霊我になっていくにつれて、人種などは消えて、民族も消えてしまい、全人類的な発想に変わっていくからである。

人種はなくなり、勿論、民族も、その役割を果たせばなくなっていくもので、例えば、シュタイナーは、ユダヤ民族は、キリストの降臨を準備する役割を果たすのが使命だったと述べていて、現在のユダヤ人は、いわば故郷喪失者であり、霊視を獲得し、霊体で復活したキリストに従い、キリスト教徒として神々との対話から、人類の進化に寄与していくべきで、彷徨えるユダヤ人のようになっては、ゲヘナに堕ちていくだけなんである。

精神主義 - Wikipedia


そもそも、民族霊が見えない人間に民族を語れるわけがなく、民族を代表する人物なら、民族霊と対話して、命を受けないと、民族の使命を果たせないわけで、民族霊といっても、薄明霊の天使から、正統に進化して民族霊になったのか、時代霊でもある人格霊に進めずに降格して、民族霊に甘んじているのか、の違いが、霊能者でもなかなか見分けるのが困難らしく、とても唯人間論では見当もつかない、猫に小判の話なんである。人間だって、どの動物が優秀で、どの動物が劣等なのか見分けるのは困難で、ネズミなどのげっ歯類の動物実験に、優秀なマウスを選抜するわけでもなく、マウスを人間のような病気に遺伝子操作で故意に罹患させて、その人間の病気に対してのクスリの効果を委ねている現状なんである。

つまり、その現状を言い換えるなら、唯人間論では、人間の病気とネズミの病気の些細な違いも区別できない証拠となるだろう。実験する前に、ネズミに人間のようなホームシックがあるのか、考えるべきだろう。シュタイナーは、人間と異なり、動物は、物質界に自我をもたないので、動物実験の結果は全く無意味でしかなく、肉体操作の上で有効となっても、カルマの法則で、次の転生へと、病苦が持ち越されるだけで、勿論、物質的な意味での病気、例えば、事故や外傷などの純粋に外的な病気なら、外科手術も意味があるだろうが、肉体以外の他の3つの人体、つまり、エーテル体、アストラル体、自我などに起因する病気の治療は、治療者のモラルに負う治癒力は意味をもつが、患者と治療者の関係によるのが大というような話を、人智学で語っている。

ともかくも、人間と動物の違いは、個人的な自我を人間がもち、動物は、集合的な自我を、あの世に持っている点で、大きく異なるわけで、いずれ現在の人間が天使に進級できたときに、落第して、また動物から進化した次の人間と共に、物質界で暮らすかどうかは、現在の個人的な自我をもつ人間が、現在をどう生きるかによっているわけなんである。あくまで物質的に生きようとするのなら、進級を断念しないといけないわけで、早熟性が強いと、それだけ後の祭りになりやすいわけなんである。それが、晩年の硬化症や痴呆症、現在の認知症などに現れてくるわけなんである。

人種の違いは、物質性への早熟性に負っているわけだが、その早熟は、晩年になって、崩壊をもたらすので、人種を乗り越える精神性を発揮させないと、自己を滅ぼす要因となる。つまり、人間は、地球に、遺伝性をもって生まれ、子どもは遺伝性により育まれるが、青年期になってからは、遺伝性による物質性を乗り越えるために、精神的に生きないと、晩年になって物質性の遺伝性により崩壊する。

本来の、成人とは、物質的な早熟を乗り越えるための、精神性の自我の獲得を意味する、霊我の受胎なんである。キリストは、イエスの30歳の肉体に受胎し、降臨したが、シュタイナーによると、形態霊が、当初予定したのは、成人の肉体への、自我の受胎なんである。現在の人間は、ルシファーにより、生まれてまだ肉体が未完成なときから、既に、自我の萌芽を与えられ、遥かに早熟に偏っている。それはいわば、収穫を急ぐ農家により早めに種付けされて、ビニールハウスなどで早熟に成長させられた農作物と同じである。

霊能力が未完成で未熟なまま、つまりモラルや道徳が確立されていないうちから、悪に曝される危険性を孕んでいる。だから、毒災者のようなのが、渡る世間は鬼ばかりのように、闊歩し、民族主義を標榜しながら、社会を崩壊させ、文化繁栄を説きながら、戦争し、地球環境を崩壊させるのである。形態霊が予定していたような進化計画ならば、貧富の差も、格差社会もなく、平和な世の中になっていただろう。しかし、人類は皆同じ種で、金太郎飴のように、クローン人間のように、似たモノ同士だっただろう。

ルシファーにより早熟化した人類から人種が生まれ、人類は個人に分かれて闘争し、物質的に、多様な社会をつくった。しかし、次の進化段階に進むには、多様な社会を乗り越えて、分かち合える共生共存の平和の社会をつくらないと、人種や民族、文化を乗り越えて、互いの理解や和解へと、早熟を無くして、適度に熟練した人間にならないと、そして、再び、神々との対話を獲得しないと、古代アトランティス時代の崩壊の二の舞となるだろう。

ポストアトランティス時代の崩壊を免れるために、シュタイナーの人智学的宇宙進化論を紹介する。

               ★        ★       ★

ルドルフ・シュタイナー
真相から見た宇宙の進化
Die Evolution vom Gesichtspunkte des Wahrhaftigen(GA132)
第5講 地球紀における地球の内的側面
ベルリン 1911年12月5日
佐々木義之訳を意訳 
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 今回の連続講義で探究してきた主題は、マーヤ、もしくは大いなる幻想と呼ばれる外界の背後に、天使たちの能力を指し示す霊視の成果だったが、今回は、改めて再考してみる。

人間を取り巻く周囲の、自然環境の背後に、神霊たちが認識できる事実を、物質体=肉体を通じて与えられる感覚や、宇宙への知的な理解から、どうすれば獲得できるか?

 これまでの探求から、物質との直接の、外的な現象は度外視し、真実が発する霊的な特徴を掴む事で、霊を特徴づけた。そして、その特徴を、「喜んで犠牲を捧げる」、「徳を与える」、「諦め」、「拒絶」など、自我のなかに参入した際にわかる特徴から、見なした。

 実際、霊の特徴は、自分の魂の気配からわかり、受け取れる。言い換えれば、もし、幻想の背後で、現実、かつ真実を体現する、霊の特徴を把握したければ、その真の本性のままで、捉えたいなら、次のような感覚に至る。

 「この物質界は、霊の実在から成り、その現実のなかに、霊の生きる特徴や性質をリアルに感じる。しかし、それは、自分の魂を通じて知覚できる特徴とのみ共感できる。」
 
 例えば、外界の、熱として顕現する霊を特徴づけたいなら、その霊を、物質界のなかに犠牲を捧げる、というような本性で特徴づけるなら、この熱の要素を、霊にまで辿ると共に、外界のヴェールを取り払い、外界の中の、この熱の特徴を、人間の霊魂のなかにある本性と同じ気配で示さなければならない。

 霊的な観察を続ける前に、また別の考察が必要となる。それは、幻想として物質界は、本当に無のなかに消滅していくのか? である。感覚から、外界を認識するために、いわゆる真実、もしくは現実を反映する何かがないのか?

 次のような比喩がわかりやすい。塊という水、もしくは大海のなかに、内側の流れが隠れているように、真実、もしくは現実の世界が隠れている。だから、マーヤの世界は、その水面の波と比較できる。それは、大海の底から、実際に湧き上がり、表面に、さざ波を生じさせる力、と同じである。

 このような比較から、真実の「何か」とは、水のなかの波を起こす力の匙加減を示す。しかし、これはほんの比喩でしかなく、更に理解を進めるには、広大なマーヤの領域内に「真実」が全くないのか?と問わなければならない。

 今回は、これまでの講義より、更に話を進めて行きたい。ここでもまた、前世からの魂の経験を基に、魂のなかに霊視できる存在に徐々にアプローチしていく。「土星」、「太陽」、「月」存在の進化を、精神的に辿った後、今回は「地球」存在へと辿り着いた。

 だから、前回までと比べると、より親しみのある(より一般的とさえ言える)魂の経験から始められる。前回は、魂のなかの、隠れた深み、すなわち、人智学がアストラル体と呼べるなかを見てきた。そこでは、憧れが囁くのを感じると共に、人間に、憧れが作用するのを見てきた。

 また、魂のなかの、この憧れが、イメージの世界による癒しに和らげられのも見てきた。そして、イメージの世界を、魂のなかの運動として理解できるようになった。そして、それによって、個々の魂の小宇宙から、運動霊を通じて、創造する大宇宙へと続く道を見い出した。

 それは、よく知られた魂の経験、そして、それは、古代ギリシャ人によく知られていたと同時に、よく示唆されてきた経験で、今日でも、その真実性において究めて意味深いが、そのような経験からはじまる。この経験は、次のような言葉によって暗示される。

 全ての哲学、人間が獲得可能な知性に向かう全ての努力は、「驚き」から生じる。実際、この言葉は的を得ている。多少なりとも、思考し、何らかを学ぼうとする際に、自分の魂のなかに生じるプロセスに注意を払えば、健全なる、認識への道の起源が、「驚き」もしくは「驚嘆」に端を発するのがわかるだろう。

 「驚き」や「不思議」、全ての学びの動機は、ここからはじまるが、同時にまた、それらは、あらゆる単調で、空虚で、無味乾燥なものを高揚させ、それらに生命を吹き込む。というのも、我々人間の魂のなかに生じた知識で、「驚き」から生じなかった知識とはどういう種類なのか?

 それは空虚と学者趣味に浸かった知識に違いない。「驚き」から生じて、謎を解くなかで経験する無上の喜びに導く魂の成長プロセスだけが、そして、それは驚きを超えて上昇するが、つまり、「驚き」に始まる魂の成長プロセスだけが、学びを高貴にし、内側から活力ある、活気を満たす。実際、これら内的な充足感のない知識が、いかにも無味乾燥なのを感じ取れるようになるべきである。

 真の健全な知識は、驚きと、謎を解く喜び、という魂の成長につながる。それ以外の知識は、外見から獲得され、多様な用途のなかに適用される。しかし、これら2つの感情に充たされない知識は、いかに真剣であれ、真に人間の魂から湧き上がっては来ない。知識のなかに生きる生命的な要素が醸し出す気配から生じる知識の「アロマ(芳香)」全ては、これら2つの「驚き」、そして「不可思議な謎」を解く喜びから生じる!





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Last updated  2024年05月14日 20時29分03秒
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