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シュタイナーから読み解く神秘学入門

シュタイナーから読み解く神秘学入門

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2024年05月21日
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カテゴリ:神秘体験空間
現代の物質科学での観測によれば、我々地球人の知識から、およそ138億年前に宇宙がはじまったとされているが、その物質科学では、人類が我々地球人だけだと考えるのは、138億年をいかにも無駄にしているような話ではないだろうか? 

138億年の間に生み出した知性で、現在では人類同士で戦争をしているような無様な様子に、そのような愚かな知性に、宇宙の進化が委ねられていると思うのはあまりにも自己都合的な知性で、全く馬鹿げているようにみえるからである。つまり、地球人の現代の知性は少なくとも破壊的で創造的ではないのがわかる。138億年もかけた知性だとはとても思えないわけなんである。

宇宙の年表 - Wikipedia


138億年もかけた知性で、このまま人類が滅亡してしまったら、人類の知性のその責任は、とても知性とはいえない恥性を証明するようなもんである。地球上での人類が最も進化し、発達していると考える、その恥性は、138億年もかけて育んできた宇宙に対して、あまりにも失礼で、侮辱しているようにもみえる、裏切り行為で、いまも地上の土地を巡り、核兵器で恫喝して戦争を続け、金持ちが贅沢をやめずに、同じ人類の貧困問題を真剣に解決しようと思わずに、金銭的な富を独占集約化し、半ば奴隷化して、格差社会を増やし、一向に差別や貧困がなくならない社会現状をみれば、その宇宙に対する裏切り行為は、既に現状から明らかなのではないだろうか?

つまり、人類の現状の知性を改める必要を考えるべき段階にある、といえるかもしれない。

シュタイナーによると、いまの地球人となっている人類をつくり、人類の進化を指導してきた主な神々が、エクスシアイと呼ばれる形態霊たちであり、いわば地球の物質界を形作り、形態の存在として表現しているので、形態霊と呼ばれるという。地球人に善玉と悪玉がいるのと同じで、天使たちにも、宇宙の進化から逸脱するのもいるのは、前回紹介したが、善玉と悪玉が時には戦い時には共同し、切磋琢磨して、進化してきた宇宙の歴史が138億年と、いわれているわけでもある。その人類史を含む宇宙進化史の、つまり知性進化史を、シュタイナーの人智学的宇宙進化学として紹介しているわけで、我々の地球紀が、その集大成でもあるが、同時にその底辺ともいえるわけなんである。

最底辺の知性から上をみれば、見上げる空は輝く星ばかりでしかない。我々地球人はなぜ地上で敵と味方に分かれて戦うのだろうか?その理由を考えるべきだろう。

人智学によれば、天使の位階は、宇宙の進化に寄与し貢献してきた業績や能力に応じているようで、形態霊は、地球人の4つ上の位階に属し、宇宙のカルマによりバランスした知性が進化しているので、いまの人類よりも、遥かに進化したバランスのとれた叡智を身に着けているわけで、正統に進化し、カルマのバランスがとれた形態霊は、当初、地球人を皆同じに、つまりカルマのバランスのとれた差別のない形に、つまり人種のない形につくろうとしていたという。人種ができると恐らく、その違いでヘゲモニーから戦争してしまうのが、神々のバランスした知性から明らかだったからだろう。現にヘゲモニーで戦争しているしね。

つまり、神々の叡智の進化段階に比べれば、比較するのもおこがましいが、我々地球人の現在の叡智はまだまだ未完成で未熟なわけで、そのために人種があり、それに付随して、物欲や名誉欲や承認欲などの虚栄心や目立とう精神などが、汚れたゴミのように、心にこびり付いて、障害物のように、バランスを偏らせて、進化を邪魔しているわけで、それこそが、心の中に巣食う悪魔となっているわけなんである。

だから、地球人である人間は、自らで判断する前に、まず心の中に巣食う悪魔を取り除く必要があるわけで、つまりこれまでの知性を捨てて改めないといけないわけで、これがソクラテスが説いた無知の知なんである。

この現代人の知性では、人種も民族も文化も一緒くたに曖昧に同じようにルッキズムの外見で唯物的に比較し考え、判断しているが、同じような服を着ているからといって、同じ精神の人間でないのと同じで、ポストアトランティス時代の人種はエチオピアのアフリカ人からはじまり、民族は、民族霊たちの指導からはじまり、文化は、民族霊が時代霊に昇格して、古代インド文化からはじまったと、前回紹介したように、物質界の唯物的な知識からは解き明かせないので、ソクラテスの無知の知を再度強調するわけなんである。

無知のままで判断しても、錯誤が錯誤を生むだけにすぎない。錯誤が溜まり溜まって収拾がつかなくなりその混乱のなかで敵味方に分かれて戦わされるだけなんである。

それに唯物的な知識には、悪玉たちの錯誤が混じっているので、その分、自惚れた知識になっているので、錯誤の混じった知識を使うのは益々錯誤に人類を導き、崩壊に向かわせるだけなんである。そのような自分のなかの悪の錯誤に気づかずに、権力者に成り上がろうとするのは、また別の悪魔を召喚して、地獄のゲヘナに堕ちていくだけなんである。悪魔の王国づくりに奴隷として加担し地獄におちるだけなんである。

かつて、古代ローマの箴言では、冥界の王になるよりは、この世で乞食をやる方が遥かにマシといわれていた。冥界の王とは、悪魔に加担する悪の奴隷であり、乞食とは、心の貧しい、つまり欲望のない純粋で、純真な霊魂を意味し、それは穢れを知らない、処女マリアとして象徴化されている。キリストは、心の貧しきものは幸いで、天国はその人達のためにある、と述べている。

処女マリアとは、けっして、物質界に受肉しない天国の霊魂のことで、お釈迦さんが、出家を説いた仏の解脱のことでもあり、神秘学では、受肉しない霊魂のことで、アバターと呼んでいる。つまり、両性具有の仏の霊魂の存在である。だから、性も人種も民族も文化ももたない普遍な純粋に霊の存在で、お釈迦さんの時代は、来るべきカリユガの時代に転生しないように仏教を説いたので、それは当時の古代インド思想の名残りでもあったが、当時の霊眼獲得法でもあり、後の東洋の神秘学の基本理念となったという。

アヴァターラ - Wikipedia


つまり、処女マリアの受胎と、仏のアバター=アヴァターは、神秘学では同じ意味に捉えられるが、西洋と東洋では、進化を指導してきた民族霊が違うので、表現が異なり、霊眼獲得法も、民族から、受肉し、生活した土地に依存して人種に分化してきたために、東西で、異なっているわけなんである。

シュタイナーは、西洋人が東洋の霊眼獲得法の修行をしても、肉体が異なるので、無意味と言っているし、またその逆も、無意味と説いているが、東西で、否定し合うものではなく。とにかく、霊眼を獲得すると初めに出くわすのが、霊的な悪玉たちなので、注意すべきだと教訓を示唆しているだけで、それは禅でも、仏陀に出逢えば、仏陀を殺せ、と説いているのと同じである。

だから、安易に霊眼をもつのはかえってリスクを冒すだけなんである。それは、未知の地に行って最初に出くわすのが必ずしも親切な人とも限らないわけで、怪しい詐欺師が紛れ込んでいるのは、物質界でも同じで、だからこそ物質界で学ぶ必要がある。物質界でも、ある程度、前もって調べて、知識がないと、騙されるわけで、霊界では猶更、悪に染まってしまうわけなんである。ましてや霊界では、人間の知性は遥かに劣っているから、郷に入っては郷に従わざるを得なくなり、地獄に入れば、鬼に従わざるを得なくなるわけなんである。

つまり、自らの人種や民族や文化の欠点を知らずに、物質界でも偏ったままで、霊眼をもつのは、それだけダークサイドに堕ちやすくなるだけなんである。霊界の悪玉にとっては都合の良いカモになるだけである。勿論、天国から拒否されて、出禁にされ、また転生して、カルマでの禊を済まさないと、追放処分にされるわけで、地獄に住み着くしかなくなるわけなんである。少しでも悪魔の心をもっていると、重力により引き寄せられるわけなんである。悪魔と言ってもこの場合は、運動霊から形態霊に下降した天使たちだが。

重力というのは物理学で分かっているのは表面的なもので、ニュートンの万有引力は、ニュートンが考えていた記述できる一面にしかすぎない。ニュートンは当時の神学者で、重力の本質が、座天使=意志霊の能力から生まれるのを恐らく知っていたと思われるからである。三位一体とは、天使たちの3つの力から生まれる世界のことである。

だから、重力も、三位一体の力で、その記述形式を、形態霊と運動霊の働きから、万有引力として数式化したにすぎないが、ニュートン本人は、数式は一切使っていない。というのも、天使たちの能力は数式では表記できずに、幾何学で解き明かされると、古代ギリシア当時から信じられていたからである。

アイザック・ニュートンのオカルト研究 - Wikipedia

ニュートンの運動論は、アリストテレスの霊視による運動霊の働きの焼き直しにみえる。だから、現代が考える時間論などは、ニュートンは考えていなかったし、現代人が、時間と捉えた記述を、デュレイションと呼び、運動が、安定に達するまでの「猶予期間」と考えていたようである。つまり、神の力が働いている間が時間なのである。慣性力とは神である運動霊の能力となる。

ニュートンが近接力で有名なエーテルを否定するために遠隔力を仮定したのではなく、恐らく、当時の、エーテルの有無論に巻き込まれるのが煩わしかったのだろう。神の力を、当時は唯物論的なエーテルで考え、現代もエーテルを物質と考えて否定しているからである。ニュートンは近接力で有名な光の探求もしているし、光のプリズムによる分光実験は有名であり、恐らく、光のなかに、神々の7柱の働きを探求したのだろう。

だからニュートン力学のガリレイ変換や絶対時間の考えは、恐らくニュートンにはなく、後に特殊相対論でアインシュタインが言及したローレンツ変換を支持していたように思われる。光そのものがエーテルであり、神々の叡智の働きだからである。ニュートンのデュレイションは、神々の力の関与期間なんで、アインシュタインが、それをローレンツ変換で、光速度に置き換えたのは、物質界では妥当な成り行きだからである。

そしてまた、アインシュタインは、一般相対論で、慣性系による質量と時空の等価原理で、再び、ニュートンが想定していた三位一体の相互作用の、運動霊と意志霊とカルマによる曲線の幾何学を、形態霊の表現として、ユークリッドの原論を基にしたリーマン幾何学で記述したが、これはあまりに唯物的なので、カルマの物質的記述ではある程度意味があるが、非線形な生命現象に言及せずに、三位一体を線形の相互作用に解釈しただけで、宇宙の進化を解き明かすにはまだまだ未熟と言わざるを得ない代物であろう。

さて、現代の物質科学的な解釈では、人類は約20万年前からはじまったとされているが、それは現代人のような物質的な肉体をもつ地球人が生まれたのが、約20万年前で、神智学では、宇宙の誕生と共に、現代とは全く異なる形で、既に存在し、アダムカドモンと呼ばれている。頭をもつヒト型となったのが、いまから約2万年前の、古代アトランティス時代で、男女に分かれたのが、それよりも約数百万年前の、古代レムリア時代で、それらは、虚空アカシャ年代記を読み解けばわかるという。

地球46億年の歴史と生命進化のストーリー | JAMSTEC×Splatoon 2Jamsteeec(ジャムステ〜ック)』


ここで疑問に思うのは、進化をどうとらえるか?にある。虚空アカシャ年代記というのは、宇宙の叡智の、宇宙意識の、いわば進化計画として存在し、神智学では、それを宇宙の微粒子として、コスミックダストと呼んでいるが、この純粋性からつくられる霊魂が、その進化から逸脱し、地上に受肉するたびに穢れて、本来はカルマにより、物質性のネガティヴが解消されていくべきで、この本来のコスミックダストに、アクセスできるようになるはすが、逆に物質性に染まり、できなくなっていくと、神智学では、この事をネガティヴに取り込まれ、陥る、と呼んでいるが、ついには、独房に入れられたような孤独のゲヘナに埋没していく、自分で自分の生命を殺すような自縄自縛に陥るのを、現代の唯物化の知識では、進化と捉えている節がみられるわけなんである。

これは現代人でも、心のなかで、常に、悪魔と聖霊が戦っている状態と同じである。孤独になると、外にむかっていた攻撃性が、内に向くために、悪魔の存在が明らかになってくるわけなんである。死後に孤独になると、この悪魔の存在が露わになるのが、同じ構図からわかるだろう。

外にいたはずの攻撃性の対象である悪魔が、実は、自分の心の中に住み着いていたとわかるのは、脅威で恐怖でしかなく、もはや手遅れだからで、自分のなかの攻撃性そのものをなくさない限りは、何をしても無駄であり、無くそうとすれば益々増えるからである。地上での修行は、この攻撃性を、バランスの偏りをなくすためにあるといってもいいかもしれない。内の錯誤の悪魔に対しての、外の錯誤の悪魔のマッチポンプの連鎖を食い止めるために、その天秤に釣り合いとバランスを、それぞれの自我にもたらすために、我々地球人は、日々知性を改めるために、この地球の地上に、生きているわけなんである。

知性で他を見下すための判断に使うのではなく、自分の判断を改めるために、知性を使わないと意味がない。知性を絶えず新しく循環させないと、新しい判断や観点や見識が生まれずに、進化とはいえない。少なくとも、唯物論からでは、外見からでは何も創造的なものはうまれない。ルッキズムを改めないと、進化とはいえない。内と外で戦っても意味はなく、地上の戦争とは、内と外との悪魔の戦いに人類を巻き込んでいるだけにすぎない。

現代人のこれまでの現代的な価値観を改めないとなにもはじまらない。我々地球人は、悪魔の知性の奴隷となっているだけなんである。地上に王国を建設しようとも、それは悪魔の王国であって、天国につながるものではない。現に地上の王国には資源が必要で、金銭が必要だといいながら、浪費し、環境破壊を続けるだけなんである。この国の政治家の虚言癖をみればわかるだろう。

いま現代に亡霊の如く残る悪魔の残像の知性から自らを解放するために、シュタイナーの人智学的宇宙進化学を紹介する。

              ★        ★       ★

 さて、地球紀のここで、以上の土星紀から太陽紀の概念と、地球紀の直前の、月紀の概念との間に橋を架けてみたい。

 土星紀から太陽紀に示したのは、喜んで犠牲を捧げようとする存在たちがいること、そして、ある存在たちが、捧げられた犠牲の受け取りを拒み、犠牲が捧げた存在たちに戻ることで、進化がもたらされるか、ということだった。

そして、差し戻される犠牲のなかに、古「月」進化紀での重要な要素の1つを認めた。実際、ある存在たちが、より高次の存在たちに犠牲を捧げ、それが差し戻されたのが、古「月」進化紀での最も重要な側面の1つである。

このように、月存在たちの犠牲の煙が、高次の存在たちに向かって立ち上るが、その存在たちは犠牲を受け取らず、そのため、その犠牲の煙は、犠牲を捧げようとした存在たちに戻された。「月」存在たちについて最も特徴的なのは、高次存在たちへと送り届けようとしたものが、犠牲の実質として、自身の中へと突き返される、のを感じた、という点であるのを見てきた。

 確かに、これまで見てきたのは、高次の存在たちの一部になろうとしたが、なれなかった実質が、それを送り出した存在たちに戻され、そして、それにより、拒絶された犠牲を差し出した存在たちに、憧れが生じ、その理想に向かう能力への努力が生まれた。

実際、魂の中で、憧れとして経験する全ては、古い「月」の上で生じた遺産(犠牲が拒絶された存在たちの遺産)が今なお存在している。古い「月」の進化期と、その精神的状況を精神的観点から理解するなら、それは、当時、犠牲を捧げようとしたが、高次存在たちが、受け取りを差し控えたために、受け入れられなかった存在たちがいた、という事実によって特徴づけられる。

古い「月」の特徴的な状態の背後には、他に類を見ないような憂鬱な状況、つまり、拒絶された犠牲がある。そして、また、カインも犠牲が受け取られなかったが、その出来事は、地球紀の人類進化の出発点を指し示し、このカインの拒絶された犠牲は、カインの魂を捉えた、古い「月」進化の基本則の繰り返しとして現れる。古い「月」状態での存在たちのように、その拒絶とは、地球においては、「憧れ」から、悲しみや痛みを生じさせる。

 以前、古い「月」上に運動霊が入ってきたことで、犠牲と、それが受け取られなかったことで、存在たちに生じた「憧れ」との間にバランス、もしくは矯正が生じた、のを見てきた。少なくとも、犠牲が拒絶された存在たちに生じた「憧れ」が、ある程度、満足させられる可能性が創出された。月紀でのその出来事を、現代の生命的な方法で、次のように想像してみる。

 犠牲を捧げられる高次存在たちが、犠牲の実質を送り返す。犠牲行為を行おうとした存在たちに「憧れ」が生じ、次のように感じる。

「もし、私が犠牲を捧げられたら、私の最良の能力が、高次存在たちと共に生きただろう。実際、私自身が高次存在たちのなかに生きていただろう。しかし、私は、高次存在たちによって拒絶された。そして、私はここに、そして、高次存在たちは向こうに立っている!」

そして、この言葉通りに解釈すると、この言葉を発する存在たちには拒絶された犠牲から来る「憧れ」が、高次存在たちに向かって煌めいているが、いま、運動霊により、多くの異なった側面から、高次存在たちにアプローチできるような、自由な地点へともたらされる。そして、拒絶された犠牲を捧げた存在たちを取り巻く、高次存在たちから受け取る豊かな印象によって、拒絶された捧げものとして、これらの存在たちに、憧れとして留まる欲望に、均衡と補償がもたらされる。

このように、犠牲を捧げようとした存在たちと、それを拒絶した高次の存在たちとの間に1つの関係が創り出される。そして、その新たな関係によって、捧げものが差し戻されたために満たされなかったものが、あたかも犠牲が受け取られたかのように、補償される。





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Last updated  2024年05月21日 19時31分18秒
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