最後の晩餐には、永遠という救いの宇宙概念が記されている
神秘学によると、レオナルドダビンチの最後の晩餐には、宇宙の秩序が描き出されているという。 宇宙の秩序とは、端的にいって、永遠の救いの概念に他ならないようだ。 天使の役割を基に、その概念を簡単に説明していきたい。 トローネと呼ばれる座天使が、ケルビムと呼ばれる智天使に犠牲を捧げることで、宇宙に熱が生じたという。その熱で地球の原型である(太古の)土星が誕生した。このときに勿論、人類の原型も生じているという。アダムと言う名が意味するものは土であり、土星の意味なのである。 トローネの犠牲によりケルビムに熱が生じ、火となり、時間が生まれた。時間霊はアルカイと呼ばれる天使のことである。唯物論的科学でも、これはビックバンとして記述されうる。また、現在もその証拠を基に、熱力学第2法則であるエントロピーの法則が記述されている。 さて、そのトローネの犠牲に驚き、美を感じ、魅せられ、尊敬の念を持ち、共感した主天使(叡智霊)は、自己犠牲の精神に溢れ、自らを徳として、大天使に与えるのである。与えられた大天使は、時間霊アルカイを経由して、与えられた徳を、時間を置いて(前後して)、そのまま自らに返すのである。 与えられた徳が返礼されることで光が生じるという。これは唯物論科学でも、光が電磁波として、空間を行っては返ってくる(ある方向に向かうと、時間を介して、その方向に戻ってくる波の伝播の)性質に起因していると示唆されうる。 この大天使の行為で、時間から(光に満ちた)空間が生じたという。これら光と空間を、(太古)土星の熱に結びつけられた天体が、(太古)太陽であるという。太古の太陽は、現地球の原型であり、当時は太陽と地球は一体化していたとされている。 まとめると、トローネ座天使のケルビム智天使への自己犠牲により、自己犠牲は受け取られ熱となり、火が生じ煙となり、アルカイ権天使(時間霊)が生まれ、その煙のなかに共感し、賛美することによりキュリオテテス主天使が、自己犠牲として、アルヒアンゲロイ大天使に徳を与える。徳が与えられることによって空間が生じ、大天使は、アルカイ権天使(時間霊)のもとに、徳を返戻し、光を生じる。 となる。 さて、現地球からみれば、大きな何かか欠けているように思えるだろう。それは水である。このままでは、水が生じないと気づくことだろう。というのは、地球は水の惑星と呼ばれるからである。 神秘学によると、水は、自らの意志を断念し、諦めることで生まれるという。「断念、諦める」というとネガティブに聞こえるので、東洋哲学的に表現し、「謙遜し、参る」というとよいかもしれない。日本語には、相手を褒めるときに、「まいった」という便利な言葉がある。贈られたものを受け取れないとするものである。これが非常にしっくりくる道徳表現だと思う。 勝負事で、相手に対する武力がとても跳ね返せないとき、挨拶なんかにも、こちら側が、その行為に申し訳がないときに、用いるだろう。あまりに図星な挨拶には、「御挨拶痛み、感じ入る」ということで、自ら恥じて、とても受け取れない意味を表現する。転じて、「勿体無い」という言葉も生じてくる。 この謙譲の意志の断念の精神から、水は生じ、高きとこから、自ら低きところに流れる性質をもつ、そしてまた、水は留まると腐敗し、留まりを知らないように、何者のものにもならず、出会ったもの全てを感化させ、清く美しくしていく。道徳的に「救いのもの」であるようにもみえる。 水の発生を、天使で表現すると、トローネの犠牲を、謙遜し、参り、つまり受け取らずにいたケルビム智天使が存在したとなる。そのことで、トローネの犠牲の熱の精神は火とならず、時間の煙を生ぜずに、時間から解放された永遠のものとなったのである。 トローネの犠牲を謙遜から受け取らなかったケルビムはそのことで、永遠の命を得、不死の存在となった。そして、受け取られなかったトローネの熱の犠牲の精神は、水となった。生じた水を、自らのものにし、天の意志から独立しようとする下の位階のものに奪われた。第三者のトンビが油揚げをさらうが如くである。それこそ、悪魔に他ならない。 永遠の命の代償の元に、水が生じ、善から独立し自由の身となった悪が、同時に生じたのである。ここに犠牲を我がものとする裏切り者が生まれた! 熱から空気、光と生まれ、火から水がわかれ、火は上昇し、水は下降する。そして(太古)月が生まれたという。 永遠の命と引き換えに、悪や自由が生じたのだから、悪を善に克服していくのが宇宙の役割となり、そのなかの最も低い立場の人間の役割ともなるのである。神々の謙遜により、融通無碍な自由な水が生まれ、ほとんど水人間ともいわれる人間には自由な意志が与えられた。同時に、宇宙には、永遠の名の下に、生じた水を浄化していかなければならないカルマが生じた。 そのカルマの元に人間は、宇宙の法則である道徳を元に自ら浄水していかなければならない。地球の物質的濁りを自らの浄水力で清潔にしていくことなのであろう。余談だが、御釈迦さん(仏陀)は水の主、水星と呼ばれる。その仏教の教えはどこか水の救いの印象を思い出させるところがあるだろう。 レオナルドダビンチの最後の晩餐の絵には、これら天使の物語が描かれているという。太陽の子キリストと、裏切り者ユダが同時に描かれているのはその表現だという。 「私と共にその手を皿に浸したものが裏切る」とキリストが言った晩餐の絵は、ケルビム智天使に捧げたトローネ座天使の犠牲を、我がものとして下降した裏切り者の悪魔ユダの赦しの絵図でもあるのだという。 キリストが太陽から下降し、できれば天使に命じてゴルゴダの磔刑を免れることもできたのにも関わらず、その意志を断念し、諦め、そのトローネ座天使の犠牲を、謙遜し自らの愛を導き、同時に人間の原罪を救うためにきたのも、悪魔ユダを救うために、不死となる自らの運命(カルマ)に準じたようでもある。 宇宙の全てのカルマはキリストのゴルゴダ磔刑に集約されているという。その表現がレオナルドダビンチの最後の晩餐だという話である。 これが月の誕生秘話だともいわれている。