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寝取られ考
小説でもAVでも寝取られ物というのがある。その本質についてメモする。たとえば、妻を寝取られるという筋によって、妻が女そのものとなる瞬間。このときに、夫はその女そのものになる能力に嫉妬しつつこの上なく感じる。 大事なことはそのエッセンスとして起こっていること、すなわち、名前や役割や肩書きを離れて女そのものになるという飛翔は、寝取られなくても起こるということだと思う。 つまり、自分とパートナーがセックスしているとき、その絶頂において、パートナーが関係性を越えた絶対領域にまで昇りつめる。このとき、パートナーは自分と関係を結んでいる特定の個人を越えて、女そのもになる。そのとき、女そのものになれるその能力に、男は「嫉妬」に似たものさえ感じる。しかし、だからこそ自分も男そのものとなって、突き抜けた絶頂に逝く。 これは第三者が介在しなくても起こること。ただそれが二人だけで起こっているとき、それはストーリーではなく、詩である。もし、その詩を書くことがうまくいかなければ、女そのものとなるというシチュエーションを設定したストーリーが必要になってしまう。このときのひとつの安易な設定が寝取られ物なのだ。 しかし、これには生半可でない伝統もある。D・H・ロレンスも書いているし、韓国現代小説集にもそういう作品があった。けれども、忘れてはならないのは、そのエッセンスは本当はポエジーであって、シチュエーションではないということだと思う。 ぽてちん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2018.01.21 23:22:00
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