![IMG_4716.JPG](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/44/0000116344/90/img9f244f83zik5zj.jpeg)
ここに一枚の写真がある。
約51年前の初夏の頃に撮影されたものだ。
明治3年(1871年)9月生まれの曽祖父の88歳のお祝いの時のものらしい。
写真のほぼ真ん中で祖母に抱かれているのが1歳未満の小生だ。
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かつて、世界は
煌々として蒼白く澄みわたり
冴えきった全智全能の球形を成し
無限の生命を宿しながら
静謐な秩序のなかにあった。
ところが、人間は
誕生という爆発で
世間に生まれ出でてから
個々に切り離された個体としての
存在を余儀なくされてしまった。
人間一個の個体としては
機能的には完全な有機体だが
重力による干渉を受け始めてからは
後退に次ぐ後退を繰り返し
無能、脆弱、矮小へと突き進んでいる。
全智全能の海の一滴を
脳として
具備してもらっていながら・・・・。
いまだ来ない未来に対する不安で右眼を喪い
もう戻れない過去に対する後悔で左眼を喪い
怒りや苦しみで右耳を閉じられ
悲しみや寂しさで左耳を閉じている。
見ても見えず
聞いても聞こえず
わざわざ自ら無明闇を選び取って
悩み疲れはてている。
そして、やがて、無常の風に誘われ
この世を終わるときを迎える。
だから
明日のことを思い悩むな
昨日のことを悔い苦しむな
今や今日のことだけでも精一杯なのに
明日や昨日のことまでをも一緒に背負い込んだら
いくら頑丈な人間でも持たないだろう。
明日ことは計画し準備しよう
昨日のことは反省し教訓にしよう
それが、今日を生きることだ。
今日一日だけなら
たいがいのことは遣り過ごせるだろう。
そうやって、少しずつ元気を取り戻そう。
少しずつ、丈夫になっていくのだ。
人間はひとりひとり
「かつての世界」の記憶を
その脳に刻んで持っているのだから。
本当は、いつでもそれを思い出せるのだから。
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