無理せんでもええんやないか!?。
1982年11月30日 第一刷発行 発行所:講談社 人間には体癖というものがあるらしい。たとえば、暗い生い立ちの人は姿勢が前屈みがちになるとか、その人の生い立ちや考え方が、体のネジレや歪みとなって現れるというもの・・・。そして、その体のネジレや歪みが心身の不調の原因になったりする。しかし、幸いに人間の体には「復元力」というのが備わっているらしい。そして、その復元力に身を委ねると、ネジレや歪みを自然に矯正してくれるらしい。 以上は、岡林信康の「村日記」からの引用だ。岡林信康については、12/06,「御歌囃子(オカバヤシ)信康」を書いた。 さて、この「村日記」は、岡林の自伝的随筆のようなもので実に面白い。 手元にあるのは、1982年(昭和57年)11月30日、第一版第一刷発行のもの。 私の新婚2ヶ月め、書店に予約して買った思い出深い一冊だ。 この本には、当時、相当な衝撃を受けた。 なにしろ、「フォーク神様」が自身の内面を赤裸々に、飾り気なく分かりやすい言葉で書き綴っている。 「フォークの神様」というレッテルが、いかに生身の岡林を苦しめ追い詰めていったかがよく分かる。 心身耗弱の果てに、トイレにさえ行けなくなった事態が生々しく書かれている。 用便のためにトイレに入って、イザ、用を足そうとすると、「もしかして、コレは夢ではあるまいか」と思い、怖くなって、そのまま、出てくることを繰り返したらしい。 夢のなかで小便したら、「寝小便」になってしまう。 「神様が寝小便してイインカ・・!」という不毛な恐怖の日々・・。 こんな状態は相当に辛かったろうと思うなあ。 岡林は、そういう不毛な恐怖の東京生活から脱して、岐阜の田舎に引っ込んで「村の生活」を始める。 自給自足に近い生活のなかで、ある日、突然、演歌に目覚めてしまうのだ。 石川さゆり:「津軽海峡冬景色」に脳天を割られてしまう。 西川峰子にもずいぶん傾倒したようだ。 昔聞いた、三橋美智也、春日八郎を聞き返すようになる。 そしてついに、「フォークの神様」は「演歌の女王」:美空ひばりとジッコンになり、ますます演歌の世界に傾斜深めてゆくのだ。 「無理せんでもええんやないか!!」の心境に達し、以後、「エンヤトット」を基調にする岡林流ロックを創作し始める。 人間、必要な時に必要なのものに出会うようにできているらしい。 この「村日記」も棄てられずに、よく書棚の一隅に残っていたものだ。 最近、25年ぶりに手に取り、2-3回、読み返している。 並の哲学書より、はるかに説得力があって面白い。 いちいち腑に落ちることばかりだ。 35年ぶりの日比谷野外音楽堂でのコンサート、岡林信康の、実に、キレイで上品な顔・表情が印象的だった。 岡林流ロックにアレンジされた「山谷ブルース」、思わず、私も箸でエンヤトットとやりながら一緒に歌った。 年の暮れに、「無理せんでもええんやないか!?」の言葉が妙に腑に落ちる。 郷里の先輩からも、「肩の力を抜け!!」とアドバイスされたばかりやし・・・。