千葉県のパラ観戦中止の判断は当然
千葉県が小中学生のパラ観戦の中止の判断をしたという。遅きに失したものの当然の判断だろう。千葉市内の中学で観戦を引率した教師が陽性だったことが発覚したことが契機になったのだが、様々な学校行事が中止になる中でパラ観戦を行う理由がよくわからない。パラ観戦に教育効果があるのだとしても、それは直接観戦しなければならないという理由にはならない。なぜテレビ観戦ではだめなのだろうか。主催者の側の観客を入れたという実績のために小中学生を動員するのだとしたら、まったくもって本末転倒だろう。そしてまた、パラ観戦をするにしても、それを子供らがどう受け止めるかという点も留意する必要がある。陸上や水泳のような競争競技は誰が見てもわかるのだが、競技によってはルールを知らなければ楽しめないものもある。もともと一定数はスポーツに興味のない子もいる上、ルールの分からない競技となると多くの子供にとってせっかく観戦しても、ただ退屈なだけの時間になりそうである。最後に教育効果である。多様性に対する理解や障害に対する理解を学ぶ機会はパラ観戦だけではない。むしろ「障碍者」と「健常者」と二種類の人間がいるかのように世の中をとらえ、障碍者のスポーツを観戦することで障碍者に対する理解が深まるというのは、100%間違いだとは思わないけれども、逆に落とし穴もある。パラアスリートは障碍者すべてを代表しているわけではないし、健常者もまた加齢など様々な事情で障害を負うことがあり、健常者と障碍者はその意味で地続きの存在である。多様性に対する理解を学ぶ機会は普段の学校生活や家庭、社会の中にもある。その意味でもパラ観戦だけを特別視するのはおかしい。