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テーマ:ニュース(99695)
カテゴリ:時事問題
警察官の銃使用をあれほど制限しておいて、金属バットをふりまわす男から逃げた警官だけを非難するのは見当はずれもいいとこではないか。じゃあ、非難するあなたは、金属バットに警棒一本で対抗できますかと言ってやりたい。実は、このお台場逃走警官の問題は、目の前で暴力団に市民が暴行を受けているのを「気後れした」巡査が見てみぬふりをした埼玉の事件と同根であり、さらにそれは神戸の大学院生殺害事件での警察の失態や桶川ストーカー事件での警察の消極性とも地続きなのではないのだろうか。警察が市民を守るためには、一般市民には許されない強力な武器を持ち、その使用が認められていることが必要であり、それなくして市民を守るなど、どだい不可能である。いくら警官が職業意識に燃え、身をていして市民を守るという気概に燃えても、武器が警棒と「逮捕術」だけでは、殉職死体が増えるだけである。あたら有為な青年の生命をそんな粗末に扱うわけにはいかない。
※ お台場警官のニュースを聞いたとき、おそらく上記のように思う人は多いと思う。しかし、じゃあ、警官と銃について、まともな議論が繰り広げられるかというと、たぶんそれも難しい。警官の銃使用は悪であり、ましては警官が裁判も経ずに犯人を射殺するなどとんでもない…と思っている人は多く、しかもそれはマスコミや法曹界など発言力の強いところに集中している。誰しも面倒くさい議論はやりたくない。 かくて、マスコミは、「警官発砲」はさも罪悪ででもあるかのように、何段抜きかの見出しで掲載しつづけるであろうし、一方で警官の殉職はベタ記事のままであろう。かくして、日本の治安回復という問題については、私はかなり悲観的である。 ※※ めんどうくさい議論は避けたい、非難されるようなことは言いたくない…ということは、以前、日記に書いた出生前診断の問題についてもいえるように思う。出生前診断について肯定的なことを言おうものなら、特に障害児を持つ親からの強い反発があるという。そうしたものは障害児の生きる権利を否定する危険な考えであるというのである。たぶんそうした反発を恐れて、この問題についてはあまり議論もされず、漠然とした「出生前診断」=「命の選別」=「悪」という図式がまかりとおっているのではないのだろうか。 ※ しかしながら、出生前診断で場合によっては中絶を認めることが、障害児の生きる権利を否定することになるというのは、実はかなり飛躍があるのではないか。婚外子の中絶を認めているからといって、現に生まれてきた婚外子の権利を否定したり、差別したりしていいわけがない。障害児については、なぜ同じように考えないのか。なぜ中絶の容認が生きる権利の否定や差別ということになってしまうのか。 ※ 私は今後迎える超高齢社会というのは、実は障害が普遍化していく社会であると認識している。歩行不自由や視力障害。こうしたものは加齢を考えれば、皆「明日の我が身」であり、それを考えれば障害者と健常者なんていう区分だって、たいした意味はない。車椅子でも動ける街、視覚や聴覚に障害があっても暮らしやすい社会などは、高齢化を考えれば、皆で真剣に考えざるを得ない問題である。だから障害児とか障害者への差別などなくなっていかざるを得ないし、障害を持っても命の重さに変わりないという当然のこともますます再確認されていくはずである。 ※ ただ、こういう障害児や障害者の命の重さは既に生まれた場合であって、出生前となると違う。いつから命というのかという感覚とも結びつくが、命とはやはり出生をもって始まるのではないのだろうか。受精時から生命が始まるとなると、すべての妊娠中絶が許されないことになり、そうなったら、障害児の中絶だけではなく、婚外子や経済的理由での中絶にも反対しなければならなくなるであろう。 ※ ちょっといいにくいことであるが、出生前診断に反対する障害児の親御さんにはこんな感覚があるのではないか。今まで運命だと諦観してきたものが、医学の進歩によってそうではなくなる。でも、自分はそうした恩恵を受けられない。そこで心穏やかでなくなる。それはちょうど高齢で既に子供を持てなくなった不妊症の方が先端生殖医療の導入に反対する気持ちとよく似ているのではないかと思う。 出生前診断が導入されたからといって、それが強制されるわけではないし、障害児を産むことが否定されるわけではない。先端不妊治療が認められたからといって子供をもたない生き方が否定されるわけではない。出生前診断や先端生殖医療に反対する人には、どうもそのあたりの混同もよくみられるように思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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