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カテゴリ:少子高齢化
70にして心の欲するところに従いて矩を超えず。論語にこんな言葉がある。これにちなんで70歳のことを不矩ともいう。一般に老人になれば食欲も衰えるし、他の欲望も少なくなる。それにくわえて孫も生まれて係累も増えてくる。だから若い頃に無茶をやっていた人でも老人になればまともになるのがあたりまえ…それがちょっと前までの老人のイメージであった。それが最近ではそうでもない老人が少なからずいるということで「暴走老人」という本が話題らしい。
※ たしかに老人は欲望や体力も少なくなっておとなしくなりそうなのだが、よく考えると逆に無茶をする要素だってある。非婚化や少子化の今の時代には、老人になれば、親とも死別し、兄弟とも疎遠になって逆に係累の少なくなるケースも多い。矩を超えない理由が、親族や家族にかかる迷惑を考えてなのだとしたら、その要素は確実に減っていくわけである。それに加えて若者と違って「自分の将来への不利益」もあまり考える必要もない。犠牲にしたくない将来の夢や希望があるのならともかく、先の見えた人生など惜しくもない…そう考えるとどんな無茶もできそうである。人生はどうせ旅のようなもの。ならばその旅の恥は掻き捨てでいいじゃない。 ※ そういえば最近老人の粗暴犯や迷惑行為のニュースもけっこう目に付く。 老年イコール人格の円熟。60にして耳順い、70にして矩を超えず、なんていうのは、昔話になっていくのかもしれない。「暴走老人」なる本はまだ読んでいないのだが、読むと自分もその予備軍のような気がして怖くなりそうな気がする。 ※※ この「…70にして心の欲するところに従いて矩を超えず」の文は孔子自身について語ったものという説と、世間一般の加齢と人間について語ったものとの2種類の説があるようだが、前者だとしたら聖人になるには、なによりも長生きをしなければならないことになってしまう。2600年前の戦乱の中国で70歳まで生きた人間なんてたぶん極めて少なかっただろう。ここは後者の説をとった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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