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テーマ:ニュース(99486)
カテゴリ:マスコミ
友達の友達は友達だ…なんていう言葉があるが、そうだとしたらそんな「友達の輪」は法務大臣とアルカイダにもつながっているのだろうか。一国の大臣、いや大臣でなく単なる個人としてだって、そんなテロに関与した者の情報を持っているのなら速やかに警察に申告するのが義務ではないのだろうか。少なくとも指紋押捺の是非云々にとどまるような話ではない。
※ その法務省がまたあのゾンビ法案の準備をしているらしい。 「人権擁護法」である。よく考えるとこの法案の名称自体ヘンテコリンだ。 殺人を筆頭とする強度の人権侵害行為は犯罪として法でとっくに規定されている。だから犯罪となるような人権侵害なら犯罪対策をきちんと行えばいいだけのことである。 それ以外の「人権侵害」とは何なのだろうか。セクハラ、パワハラといった労働環境の場で起こる人権侵害なら、それ相応の相談窓口を整理して労働法制などの専門家が相談にあたればよく、人権擁護法で考えている「人権擁護委員」のでる幕はない。 学校での「いじめ」も同様だろう。 ※ そしてこの「人権擁護法」の最大の問題は、特定の個人の人権侵害にとどまらない「差別を助長する言論」も規制対象になるということである。いったい物事を語る場合、こじつけようとすればたいていのものは「差別を助長」することになってしまうのではないか。 公務員一般を批判すれば「公務員に対する差別を助長する」ことになるし、政治家一般を批判すれば「政治家に対する差別を助長する」ことになる。 こうなるとネットで思ったことを書ける事由は急速に制約されていく。 ※ 外国には人権擁護法があるのに日本にないのは変だ、という推進派の議論はそれこそ変。 外国云々よりも、こうした法案が日本で必要な理由をまず説明すべきではないか。 最近またトーンをあげてきたマスコミのネット批判をみていると、本当にこんなネット言論の規制が実現してしまうのではないかと不安になる。 「ものいわぬことは腹ふくるるわざなり」と古人はいっているが、ネット出現前はいくらマスコミの報道に疑問をもっても、普通の人にはそんな思いを世間一般に発信する機会はなかった。ネットはそんな機会を与えてくれる重要なツールだし、ネット出現によってはじめて本当の意味での「言論の自由」を多くの人が手に入れたのではないのだろうか。 ※※ 人権という意味ではマスコミ報道、特に犯罪被害者に対する取材や報道こそが最大の問題であると思うが、そうしたものはこの人権擁護法には入っていない。マスコミのいう言論の自由とは「マスコミの報道の自由」と同義である。マスコミは自分達に規制が及びそうになると日ごろ犯罪被害者をいたぶるような報道取材ばかりをしても、急に「権力を監視する」とか「巨悪と戦う」とかと正義ぶって猛反対する。そのくせネットを通じた一般人の言論の自由に対しては「ネットは犯罪の温床」だとか「便所のラクガキ」だとかとまるで冷たい。 マスコミの報道にまどわされずにこの「人権擁護法案」の動きはしっかりとみていく必要がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年10月31日 05時30分42秒
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