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テーマ:ニュース(99717)
カテゴリ:少子高齢化
今朝のアサヒに訪問介護事業所減少の記事が掲載されていた。
あまりに低賃金や待遇の低さでヘルパーの方がやめていくのが原因だという。 男性の平均賃金37万3千円に対しヘルパーの賃金は23万1千円とたしかに安いし、労働の厳しさを考えればよい仕事ではないだろう。 外国人労働力を入れるという声も根強いようだが、高齢社会をむかえているのは日本だけではない。また日本の国民所得、つまり一人当たりのGDPもいまやアイルランドやイタリアにも抜かれて世界の18位に落ちている。 今や日本はヘルパーに門戸を開放したところでどっと外国人が集まるような国ではなくなっているわけである。 ※ それよりも訪問介護事業については次のことをかんがえてみる必要があるのではないか。 第一に在宅福祉優先ということの見直しである。 現在では、お年寄りについては死ぬまで自宅で過ごすのが幸福だということをいう人は多い。 たしかにそんなことを言っている評論家やオピニオンリーダーの方は立派な自宅があり家政婦などを雇う資力がある人が多い。 しかし、多くの独居老人は狭い賃貸アパートに住んでいたり、何年も手入れもしない住居に電気代も節約してひっそりと暮らしていたりするのではないか。 ついこの間も、独居老人が電動介護ベッドの事故で焼死したというニュースがあったが、そもそもそんな介護が必要な老人が一人で暮らしていること自体が問題なのではないか。 自分の問題として考えても、孤独死、失火、犯罪そんなものが不安になったら老人向けの集合住宅に移りたいし、介護が必要になったら施設の方が安心だろう。 もしも、今後増えていく要介護老人が自宅で暮らし、それを訪問介護で行おうとしたら膨大な人手がかかる。 これは人員数だけではなく、仕事量についてもいえる。 戸建ての住居で入浴、排泄などの介護をしようとしたら老人を持ち運ぶだけでも何倍の手間がかかる。 子供夫婦に老人介護を期待する時代などはとうに終わっている。 というよりも子供夫婦が介護ができたのは、介護期間が短かったばかりでなく、老人の扶養と家業の承継や家産の継承がセットになっていたからではないか。 そろそろ在宅福祉優先という方針から施設福祉重視という方向に転換すべきときのように思う。 ※ 第二の問題は今の介護保険制度の見直しである。 一頃、官より民といって、なんでも民間にまかせればうまくいくようなことがいわれた時期があった。 介護報酬を保険で払い、介護事業を民間にまかせる介護保険もこうした時期にはじまったわけだが、本当にこれでよかったのだろうか。 コムスンの事件では折口社長の金満生活と蟹工船以下の介護労働者の悲惨な実態が衝撃的であったが、これは起こるべくして起きたことのように思う。 民間企業の労働条件は事業者と労働者との契約で決まる。 介護の危機が叫ばれれば介護報酬引き上げの議論もでるだろうが、介護報酬の引き上げを行ったところで、それが介護労働者の待遇改善につながるとはかぎらない。 いや、第二、第三の折口氏があらわれて、引き上げ分が事業主の田園調布の自宅購入にあてられる可能性の方がはるかに高い。 外国にも介護保険制度があるというが、宗教や慈善を目的にする団体以外の純然たる営利企業が介護事業を行っている例というのはあるのだろうか。 教育の分野で公教育が下支えになってきたように、介護の分野もやはり基盤となるところは公的部門で行わなければ無理なのではないか。 介護報酬の引き上げがストレートに介護労働者の待遇改善につながるのならば、介護保険料の引き上げは国民の了解を得やすい。しかしながら、今の制度のまま、介護報酬を引き上げろ、介護保険料を上げろといわれても、はいそうですかとはいかない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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