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テーマ:ニュース(100227)
カテゴリ:時事問題
渋谷に現れた通り魔はなんと79歳の老女。
その動機は「金も無く、事件を起こせば警察がなんとかしてくれる」ということだったという。 地域社会、血縁、生活保護といったセーフティネットがぼろぼろと崩れていく中で、刑務所が最後のセーフティネットとなっている。こんな状況が変わらない限り、こうした「最後のセーフティネット」を求めての事件は今後も起きるだろう。 こうなると、下にあわせろ式の議論の好きな人達は、「受刑者の待遇がよすぎるからこんな事件が起きるのだ」なんてことを言い出すかもしれないけど。 ※ 憲法というと、すぐに9条を連想する人が多いようだが、25条というのももっと知られてもよい。 戦争とか平和とかいうのはなにぶん相手あってのもので、いくら9条だの非武装だのといったところで、どっかのテロ国家がミサイルをぶちこんでこないなんていう保障はどこにもない。 だから国内限定で9条のつどいだのなんだのというのは、まるで一種の宗教行事のようにしか思えない。 それよりも25条の集い、25条の会なんてのができてもよいような気がする。 憲法はおしつけだなんていう人がいるが25条はそうではない。 憲法案が国会に上程されて後に国会での議論の中で入った条文だ。 人が人として人間らしく生きていく。 これを慈悲ではなく、「権利」として最高法規に規定している意味を今こそ多くの人が考えるべきではないか。 とても生活できないようなレベルの賃金がのばなしになっていたり、ピンハネ業者が跳梁したりする、現行の最低賃金法や派遣業法は、憲法25条との関連でも議論できるのではないか。 ※ セーフティネットが刑務所しかないようでは、安全な社会を守っていくことはできない。 その意味では憲法25条というのは社会が社会としてなりたっていくためにも重要な条文である。 それだけではない。 25条は9条とも密接なつながりがある。 米国では貧しく希望のない若者が戦場に行くというが、日本でだってそうした状況は起きないともかぎらない。 状況が過酷で希望が持てなければ持てないほど、軍隊という就職が魅力的に見えてくるのだから。 貧困は自己責任なんかではない。 貧困から脱し人間らしく生きていくのは権利ではないか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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