政治ネタはやめよう…とまた思う。
実際に今までも何度も「やめた」ことがあるし。
ただこうした媒体で、何を食べたのだの、庭の木にどんな実がなっただの、子供が運動会で一等をとたのだのという全くの私事を書いても意味ないのではないか。まあ、そこはそこで伝えるべき普遍性があるのかもしれないが。
たしかに政治の力でバカを利口にすることはできない。
怠け者を勤勉にすることもできない。
政治の力でできることよりもできないことの方が多いだろう。
けれども、世の中全体の方向を決めたり、多くの人の平均的な生活を左右するのは、やはり政治の力があるのではないか。
少し前までは日本は格差の少ない「一億総中流」ともいわれる社会だった。極端な金持ちはいなかったかもしれないが、貧困も少なかった。あの当時の貧困はよく、母子、障碍者、老齢者が三類型だといわれた。逆に言えばそうした者以外であれば、貧困に陥る恐れは少なく、そのあたりは安心して暮らせる社会だったのではないか。普通の人が普通に働けばそこそこに暮らせるのがあたりまえの社会である。
一方でモーレツ社員とか24時間戦えますかという世界はあったが、労働者にとっての女工哀史のような話は完全に過去のものだったし、過酷な肉体労働はあったがその報酬はよかった。保育士は若い女性の人気職業で、低待遇の問題はきいたこともないし、介護士もどちらかといえば主婦が主な担い手で、待遇よりもむしろ「専門職として認知されていない」ということが問題視されていた。国家資格としての介護士試験が導入されたのもそのころではなかったのか。
それはいつどうして変わっていったのか。
その変化は仕方のないことなのか、政治の方向がかわっていったせいなのか、どうもよくわからない。
小選挙区制度の下では投票は政権選択の要素が強くなり批判票を投じるという選択が難しくなる。
そうした中では似たような政党が交互に政権を担う二大政党か、一つの政党が批判勢力もないまま、財界の意を受け、政策を決めていく一強多弱型の政治が起きやすい。
これでよいのだろうか…とついつい考える。
それがいつどうして変わってきたのだろうか。