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カテゴリ:雑感
日本霊異記と発心集を読んだことがあるが、同じ仏教説話でも時代が違うとこうも違うものかと驚いた。日本霊異記は平安前期である9世紀前半であるのに対して、発心集は鴨長明の編著でこちらは13世紀初頭だろうか。前者は仏教を信じるとこんな不思議なご利益があったという話が主であるのに対し、後者は無常観が大きなテーマになっている。これだけでどうのというのも軽薄なのだが、長い時間をかけて仏教がご利益信仰から無常観による精神の平穏追及へと性格を変えていったのかもしれない。
どうも宗教というものが時間の経過とともに、御利益とか奇跡とかそういったものの色彩を薄め、人生哲学とか道徳とかそうしたものの比重が多くなっていくようである。それはある意味それだけ「無害」なものになっていくのかもしれないけど、別の言い方をすれば勢いを失ったともいえる。 だから今でも切実な悩みをもっている人々は新興宗教にはしりやすいし、新興宗教の方もそういう層を受け皿として想定している。病院の前で勧誘なんていうのはみえすいているが、さる新興宗教の機関紙をみると、ほとんどが病苦、貧苦、家庭不和が信仰に入ったことで改善したという体験談で驚いた。ある意味、不幸をくいものにしているともいえるが、別の見方をすれば不幸な人がとにかく信仰で救われたと思っているのであればそれでいいではないかともいえる。 こういう点では伝統宗教は受け皿として新興宗教にたちうちできない。なぜなら伝統宗教で現実的な利益を売り物にするところはないのだから。まあ、死後の世界という概念もあるが、宗教者自身、本当に地獄極楽を信じているのか疑わしい。 病気、貧困、家庭不和などを背景に新興宗教に入った人々に比べると、オウム信者はどうも異質だ。生きる意味を求めてとかいうことであれば、なぜ伝統宗教がそうしたものに向き合えなかったのだろうか。体質によるのかもしれないけど、禅や普通のヨガでも神秘体験と称するものは起きるという。オウムに入って犯罪者にまでなった人というのは、オウムにぶつかってしまったのが不運だったのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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そういうのを現世利益信仰と言いましてね、
まあ多くはないですが伝統宗教でもありますよ。 例えばですが、薬師如来ってのは古くからある現世利益を司る仏様でしてね。 病気平癒祈願に信仰されてきました。 真言宗の仏様でしてね、薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主で瑠璃光を以て衆生の病苦を救う、無明の病を直す法薬を与える医薬の仏、現世利益信仰の神様として信仰されています。 つまりは病気を治す仏様です。 巣鴨のとげぬき地蔵も悪いところを治すと言われてますし、 銭洗弁天はここで金を洗うと増えると言われてますね、これも現世利益信仰です。 縁結びの神様、合格祈願の神様だって現世利益信仰です。 多くはないですけれど伝統宗教にも現世利益信仰の神様はいますよ。 (2019年05月19日 21時00分12秒)
宗教っていうのは人の力の及ばないところを神仏の力でどうにかしようって考えが少なからずありますから、
その御利益はそういうものになりがちなんですよ、 で現世利益信仰ってのはその結果が現世で分かるわけですから、そういつもいつもうまくいくわけがないんですよ。 逆に死後の世界の御利益なんてのはですね、死んでからのことなどだれにも分からない、ご利益があったのかなかったのかなんて誰にも分からない。 なんて言いますか伝統宗教に対する現世利益信仰って、長い年月経ってるわけですから、必ずご利益があるわけではない、上手くいったら儲けもの的な神頼みなわけですよ、 まあちょっと汚い言い方をすればですね、 新興宗教ってのはまだその御利益が必ずあるわけではないってことがばれてない宗教なわけですから、この神様に頼れば必ずご利益があるはずだと信じる馬鹿もいるわけですよ。 その違いはあると思いますよ。 神仏なんてものはですね自分がやった以上の御利益はもたらさない、それを望むのが浅はかなんですよ。 まあ以下は伝統宗教、仏教の教えの中からの私の宗教観ですけれど。。。 諸行無常、諸行は無常であってこれは生滅の法であり、生滅の法は苦である。 生滅は苦であるがこれは生滅するから苦なんじゃあない、生滅する存在であるにもかかわらずそれを永遠のもののように誤認するから苦が生ずるのですよ。 まずは全てが生滅する存在であるということを受け入れる、これが仏教の教えなわけです。 この世の絶対の真理、生者必滅ここを否定してもそれは長続きしないと思いますよ。 一時上手くいってるように見えてもそれは春の夜の夢、風の前の塵と同じ。。。 (2019年05月19日 21時36分24秒)
新興宗教の多くが弱者の気持ちにつけ込み「これを買え」とか?
金を出させるのが気にくわんわ。(爆 かなり以前に足裏の相が悪いとか、うんちゃら宗教があったな? 何がしらの宗教をする人のきっかけが宗教を必要としていない人には理解できない悩み・苦労がある人もいるとは思うけど、ただ言えることは「生きるが故の苦労」は誰しもある。 苦労の度合いに違いはあるけど。 (その苦労は自分でもつくっていることもある。) だから 大半のオウム信者は「未体験の世界観」「自分を知りたい」「悟りを開きたい」などの気持ちを巧みに利用されたのとちがうかな? それと死後の世界なんて死んでみないと本当のところは幽体離脱体験程度では判らん。 仮に死後の世界が存在したとして、この世の延長から死後の世界へ向かうわけだから。 (現世での生き方で恥かしくないように努めてれば恐れるにたらんわ。) クワックワックワッ(爆 死後の世界がなくてもあっても、どちらにしても、あると思って生きた方がいいのでないか? (徳になっても損にはならん。) 仏教では他界した日を行年(ぎょうねん)とする。 ※現世で生きて修行した年数という考え方。 神道では享年(きょうねん) ※天から与えられた年数という考え方。 生かされているということ。 それから豆知識 神社参拝のお賽銭で結構勘違いしている人が多いのですが 神社でのお賽銭は願いを叶えて貰う為にするのでなく お賽銭は願いが叶ったお礼でする。 朝だ 寝るわ。 (2019年05月20日 04時26分45秒)
×仏教では他界した日を行年(ぎょうねん)とする。
※現世で生きて修行した年数という考え方。 ○仏教では他界した日(までの年数)を行年(ぎょうねん)とする。 ※現世で生きて修行した年数という考え方。 (2019年05月20日 09時44分34秒)
ふぁみり〜キャンパーさんへ
そうですね。合格祈願の天神様や商売繁盛の恵比寿様…でもそういうのって、今では気休めになっているように思います。まあ、一方では御利益のある神社めぐりとかパワースポットとかもありますが、それも娯楽の一種で、不幸につけこんで多額の布施を要求するのとはやはり違います。 (2019年05月20日 19時00分35秒)
ふぁみり〜キャンパーさんへ
新興宗教はご利益がないのがばれていないというのもあるかもしれません。 伝統宗教でも新興宗教でも不幸の受け皿になるのは良いのですが、不幸につけこむようなのは用心した方がよいでしょう。 ところでオウムなのですが、幹部や著名な信者をみるかぎり、不思議とそうした不幸につけこまれたという感じがしません。教祖が超能力を自称しているのに、それでお前たちの病気を治すとかそうした布教の仕方はしていない。 一種のぜいたく宗教なのかもしれませんが、そのあたりが特徴的です。 (2019年05月20日 19時09分02秒)
仙石 和三さんへ
オウム信者は貧困病気不和などにつけこまれたわけでなく、超能力への憬れや生きる意味を探しているうちに教祖に惹かれていった。なんとも贅沢な人達です。宗教は力を失ったようにも見えますが、じゃあ、その後を科学や合理主義がうめているかと言えばそうでもない。ついこの間まで霊能力者と称するデブと女装のおじいさんの番組がゴールデンタイムで流されていて、ゲストの前世がどうとかこうとかやっていた。オカルトだのパワースポットだのはブームですし、心霊現象を信じている人はけっこう多い。 (2019年05月20日 19時16分40秒)
七詩さんへ
まあこれは宗教に限ったことじゃあないんですけれどね。。。 考えること、判断することを人にゆだねちゃダメなんですよ。 自分の頭で考え、何が正しくて何が間違えているのかは自分で判断するんですよ。 教祖が言ってるからそれは正しいなんてのはね思考することを捨てた馬鹿のすることですよ。 これは教祖じゃなくたって一緒ですよ、ある有名なだれだれが言ってるから正しいんだ、自分が支持している政党のだれだれが言ってるから正しいんだ、新聞や雑誌にこう書いてあったから正しいんだ。。。 馬鹿じゃないですかね。。。 自分の頭で考えることを止めた人間なんて「馬鹿」以外の表現なんかないでしょ? 自分の頭で考え自分で判断することのできない人間のことをですね「馬鹿」というのですよ。 まあお互いに・・・「馬鹿」にならんように気を付けましょうね。 (2019年05月20日 21時04分18秒)
超能力か、オウムの信者にも科学者、医師もいたのだろう?
科学で解明できないことが沢山あるから。 疾患がない脳が馬鹿になるのは洗脳の影響もあるだろうから。 ----- ★★★(ココ大切)★★★ 本当の馬鹿は勉強してもそれを世のために使おうとしないで周囲を見下して向上心が無い奴。 --------------------------------------- 俺は超能力はわからんが幽体離脱だけは体験済みだから肉体は乗り物に過ぎず、所謂、魂(正体は意識だと今の処は思っている。)は別と信じている。 ※神道でも他界した日を「帰幽日」としているのがその理由かと考えられる。 --------------------------------------------------- 矢作 直樹は、日本の医師、医学者、東京大学名誉教授。 【動画】人は死なない 東大救命医独自の死生観 https://www.youtube.com/watch?v=HLVeGlGYdEw --------------------------------- 俺の幽体離脱の体験から。 肉体から抜け出る時、気持ちは安定していて心地よかった。 病人が身体が病んでいても抜け出る時も同じではないかと思う。 (2019年05月21日 14時16分08秒)
ふぁみり〜キャンパーさんへ
自分で考えないというのはバカの最たるものでしょう。 私はサヨクだからこう思う、ウヨクだからこうだ…というのもそうですし、〇〇主義者だからこう思うというのもそうでしょう。まず自分で考えろと言いたくなりますね。 前の都知事選挙の時、酷い候補がいました。 癌患者に勇気を与えるために都知事になるなんて…おいおい重責を富士登山かなにかと混同しているのかしら?思った通りその候補は惨敗しましたら、翌日、おばあちゃんがその候補について「善戦」と書いたビラを配っているのをみてびっくりしました。多分上意下達の中で上の方で決めたことをそのまま自分で信じているのでしょう。いやですね。そういうのって。 (2019年05月21日 19時33分32秒)
仙石 和三さんへ
今の科学では説明できないことはあるでしょう。でもそこから一足飛びに教祖崇拝にいくのは危険です。まあ、それだけ「神秘体験」が強烈だったのかもしれませんけど。超能力はもしかしたらある。けれどもそれは人格や洞察力とは関係ないと思えばよかったのですけどね。 (2019年05月21日 19時37分32秒)
七詩さんへ
まったくもってその通りですね。 オウムの件も一緒ですよ、それが本当に正しいことなのか自分の頭で考えないからそういう事になるんですよ。 考え、判断することを人にゆだねちゃダメなんですよ。 それがですね、人間はドグマに支配されて盲信に至ると自分で考えることを簡単に捨ててしまうんですよ。 これですね宗教に限らなかったりします、例えばですけれど。。。。 原子力だから全て間違えているはずだ、だからなんにでも反対すればいいんだ。。。 こんなのもですね自分の頭でなんか何にも考えてないんですよ。 だからちょっと論理的な反論をされるとすぐに無知を晒す、 過去に原発反対論者と議論してよくわかりました、まあ原発反対論者と言っても皆が皆そんな馬鹿ではないのでしょうけれど、そういう馬鹿も確実にいるということが。。。 無知を晒してもドグマに支配されているから無知で愚かなことに気づけない。 気づけないけないけれど、カルト的な何かにとらわれているから何か言い返したい、 言い返したいけれどもともと自分の頭で考えてるわけじゃないから言い返せない、 するとどうするかっていうとですね、相手にレッテルを貼りこいつの意見なんか聞く価値がないということにして思考を止める。 愚者の極致とでも言いましょうかなんとも愚かですね。 まさにカルト宗教です。 だから科学的論理的根拠をもってそれが正しいのか間違えているのか、 間違えているのならならどうすればいいのか、ってことをですね常に自分で考えなきゃダメなんですよ。 「新聞にこう書いてあったよ~~」だから正しいはずだ、「雑誌にこう書いてあったよ~~」だから正しいはずだ、「だれだれがこう言ってたよ~~」だから正しいはずだ。。。。 こういう人ってですね自分の意見に合致する見たい記事、聞きたい意見しか見えてないし聞こえてない、 先に結論があってそれに合致する意見だけを見ているだけ、そうなるともう頭でなんか考えていない。 論理的に反論できない人ってこういう馬鹿予備軍の人ですよ。 視野を広げる意見ってのはですね同意よりも反論の方にこそあるんですよ。 真に大切にすべきものは自分とは異なる考えを持つもの、反論の方にあるんですよ。 自分とは異なる価値観に触れることで視野は広がるものなんですよ、 反論から目を叛けレッテル貼って相手を見下すことで論理性のかけらもない自分の意見を正当化していたら一生視野なんか広がらないと思いますね。 こういう人をですね、「馬鹿」というのですよ。 こういう馬鹿にならないようにしましょうねお互いに・・・ まあもう手遅れかな?って人も中にはいるみたいですけれど。。。。 (2019年05月21日 20時45分14秒)
七詩さんへ
>今の科学では説明できないことはあるでしょう。でもそこから一足飛びに教祖崇拝にいくのは危険です。まあ、それだけ「神秘体験」が強烈だったのかもしれませんけど。 そうです。信者は最初は知りたさ見たさに興味津々で言葉が適当かどうか、飢えていたのでしょう。 興味があれば自ずと集まってくるしね。 胡散臭くても信者は気持ちが先走っているし、難しいものほど知り始めると深みに嵌る。 どんどん嵌って抜け出せなくなる。 第三者はこうして客観的に胡散臭さが解かるけどね。 やっている信者は思考をそちらに向けていないから。 気づいた時には麻原の指示にちょっくら手を貸していて抜け出せなくなる。 さらに腹減らして脳への血の巡りも悪い。 ポアされるかもしれんという恐怖も後にあったと思うわ。 悪事に手を貸した時点で抜け出せなかったのでないかね。 オウムと違って一般の伝統宗教の場合は哲学。 それが難しいから徐々に知れば知るほど嵌るわけ。 それが信者の心理です。 (2019年05月22日 01時29分58秒)
昔に親をみて、さらに自分でも宗教をやっていたことあるから体験からの嵌る心理ですよ。
七誌さんが本を読み始めて先を読み続ける心理と似ているのでないかな? と思うけど。 宗教ってね、やり始めよりもやめる時のほうが難しいから。 さて、寝るわ。 (2019年05月22日 02時15分04秒)
ふぁみり〜キャンパーさんへ
そうですね。 自分はこうした立場だから…が先にくるのは、自分の頭で考えないのと同じではないかと思います。社会主義者、〇〇党員、支持者、国粋主義者など入る言葉は多いのですけどね。 このあたり、偏見かもしれないけど、左よりも右のほうが柔軟に思います。 右にも護憲論者もいますし、死刑廃止論者もいる。名前はだしてもよいと思いますが、藤原正彦はいわゆる右派の論客ですが、格差の拡大には警鐘を鳴らしていますしね。 (2019年05月22日 07時06分16秒)
仙石 和三さんへ
現代になって無宗教が増えたというよりは無宗教を公言する人が増えたのでしょう。今も昔も宗教を必要とする人々、宗教を必要とする場合というのはあまり変わらないように思います。宗教とうまく付き合う、それは伝統宗教もそうなのですが、宗教をプラスの方向にとりいれるという知恵も必要なように思います。 (2019年05月22日 07時10分44秒) |