|
カテゴリ:マスコミ
よくいわれることなのだが、「私はリンゴが好きだ」という議論と「他人もリンゴを食べるべきだ」という議論は全く別物である。そしてこれと同様に「他人もリンゴを食べるべきだ」という議論と「リンゴを食べたくない人もリンゴを食べるべきだ」という議論も全くの別物である。
京都アニメーションの放火殺人で議論となった被害者の実名報道についての議論はまさにそうした問題である。リンゴを食べたくない人にはいつだってリンゴを食べる自由がある。その上で「リンゴを食べたくない人」に無理にリンゴを食べさせるのがよいのかどうか…問題の核心はそこではないか。 放火殺人では多くの被害者遺族が実名公表を望まないにもかかわらず、警察はマスコミに実名を提供し、そしてほとんどのマスコミは実名を報道した。 その実名報道の理由をみると、例えば「事件の重大性や命の重さを正確に伝え、社会の教訓とするため、被害者の方の実名を報道することが必要」とある。しかし、事件の重大性や命の重さを伝え社会の教訓とするために、遺族の意に反してまでの実名公表が必要なのだろうか。それにやまゆり園事件での扱いの相違も気になる。かの事件では多くの被害者が匿名報道され、それも男〇〇歳、女△△歳といった、ちょっと異様な匿名報道の仕方だったのだが、それと京アニの事件との扱いの差はなんなのだろうか。「事件の重大性や命の重さを正確に伝え、社会の教訓とする」という点ではどちらの事件も同様だと思うのだが、マスコミの方々はそう思っていないのだろうか。 犯罪被害者、事故や災害の被災者の実名は本人や遺族が望まなければ実名報道はすべきではないと思うし、警察も実名を報道機関に提供すべきではないと思う。なぜなら「事件の重大性や命の重さを正確に伝え、社会の教訓とするため」という理由であれば、被害者やその遺族の意思に反してまで実名を公開する理由にはならないし、むしろ商業主義の中で世人の「知りたい興味」に応えるだけの報道(週刊誌などは往々にしてそうではないかと思うのだが)は被害者や遺族の傷に塩をすりつけるようなものだからである。そしてここが最も重要な点、忘れてはならない点なのだが、「事件の重大性や命の重さを正確に伝え、社会の教訓とするため」という理由、あるいは被害者本人の生きてきた証を残したいなどという理由で、実名を公表したいと思う被害者や遺族はいつでもそれを行う自由があるということである。マスコミを介する方法もあれば自らネット等で公表する方法もあるのだが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[マスコミ] カテゴリの最新記事
おはようございます。七詩さんの意見にまったく同意します。
報道して欲しくない自由もあると私は思います。メディアは報道の自由、表現の自由の名をもとに被害者の氏名や年齢を公表しますが、中にはそっとしておいてくれという被害者本人やご遺族だっているわけです。 私はメディアに自制を促したいですね。もう一度報道の在り方におけるコンプライアンスを確立すべきと思います。被害者においては、かならずご家族の意思を確認するようなあり方ですね。ペンの暴力ということもあるわけですから、取材におけるTPOも必要かなと切に思いますね。 (2019年10月06日 09時59分58秒)
前にも言いました。商売だからねって、社会的変革等考えないし、人の内面なんてわかりませんから、だからああ〜可哀想なんて思う人が、喜んでみるんでしょ。人の不幸は蜜の味なんて、言葉もありますから、変なヤツもいますよ、今頃は
全裸で宴していると考える人が。だから商売なんですよ。不幸屋というか、まっマスコミの点数稼ぎしかない、常に不幸、不幸を探している。イヤな商売だからね。そして偉そうに社会を変えなきゃいかん、だから社会主義なんて言う連中 世の中のせいにして、人間を見ない単純な連中です。マスコミは (2019年10月06日 18時25分32秒)
実名報道については犯人が確定していない段階での容疑者は慎重にあるべきで、又、被害者特に性犯罪被害者については公表すべきでないと思うが、それ以外の殺人事件等の事件の被害者や、事故死、遭難死した者の実名を公表するのは報道の自由及び知る権利等から極めて当たり前の事でしょう。
又犠牲者を悼み又、生前の業績を讃える点からも京アニ事件等の事件の被害者の実名を公表することは当然の事でしょう。 京アニ事件の被害者は性犯罪被害とは全く異なり、犠牲者を悼み、顕彰するためにも実名公表されて然るべきでしょう。 (2019年10月06日 22時27分10秒)
tckyn3707さんへ
被害者の実名報道が当然…といわれればそれはちょっと違うと思います。 市井に普通に生きている人にとって犯罪はもちろん事故や災害の被災の事実などは知られたくないことでしょう。 それに世の中にとっても公人ともいえる立場の人ならともかく被害者が山本なんとかだろうが田中なんとかだろうが、そんなことはどうでもよいことです。 ただしもし、実名公表が必要な場合があるとしたら、殺人事件の被害者で犯人が不明と言う場合、情報提供を募るために被害者の情報提供が必要という場合があるかもしれません。基本は被害者本人や遺族の意向が最優先されるべきですが。 (2019年10月06日 23時28分26秒)
赤いオーケストラ荒木さんへ
人の不幸は蜜の味というのも人間の心理の一面ですよ。 京アニ放火殺人の被害者に対する見方にだって、もしかしたらそういうのがあるのかもしれない。 マスコミが実名報道をしたいのも、そうした報道をすることにより、売り上げのアップが期待できるからなのでしょう。 卑しい「知りたい興味」に応えることで利益を狙うマスコミが建前論の「知る権利」を主張するなど笑止千万ですよ。 (2019年10月06日 23時37分37秒)
tckyn3707さんへ
すみません。書き方がまずかったですね。賛同いただき、ありがとうございました。 趣旨は実名公表が当然という考えに対する疑問を重ねて述べたうえで、よく考えると例外的に犯罪捜査で一般からの情報を募るために殺人被害者については、実名公表が必要な場合もあるかなと思います。 (2019年10月07日 09時12分47秒)
.・曙光さんへ
生前の業績を讃えるために実名公表は当然というと、功績ある被害者は実名、そうでない被害者は匿名ということになってそれもちょっと妙に思います。著名な方はあえてその時に公表されなくとも、やがて死亡は知られ、業績は讃えられていくことでしょう。 (2019年10月07日 09時20分41秒)
>生前の業績を讃えるために実名公表は当然というと、功績ある被害者は実名、そうでない被害者は匿名ということになってそれもちょっと妙に思います。著名な方はあえてその時に公表されなくとも、やがて死亡は知られ、業績は讃えられていくことでしょう。
私はこの世に生を受け短くても長くても、功績があろうがなろうが、この世に存在したとしたこと自体、本来讃えられるべき業績だと思っています。 それ故に事件死、事故死等不慮の死を遂げた人は、老衰死、病死した人同様にこの世を生きた事自体の業績を讃えるべきだと思っている次第です。 名もなく貧しく、それでいて非業の死を遂げた人も、名を成し功を遂げ世に惜しまれて死ぬる人も、この世に生を受け、この世に存在した価値は全く変わることはないと信じている次第です。 (2019年10月07日 14時44分10秒)
・曙光さんへ
実名にせよ匿名にせよ被害者の業績によって差異をもうけるのはおかしいですよね。そういう意味でマスコミの京アニとやまゆり園の報道の差が気になります。 (2019年10月08日 07時19分02秒) |