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カテゴリ:雑感
学校時代を通じて体育の成績はよくなかった。
小学校の頃は何も思わなかったが、中学生の頃になると、こうしたものってそもそも成績評価するのはおかしいのではないかという気がしてならなかった。中学も2年生くらいになると、そろそろ高校入試を意識する。都立高校入試については内申書重視の政策がとられており、体育の1と理科や社会科の1とは入試では同評価となるのが不条理に思えてならない。教師の恣意が入りやすい内申書はそもそも問題が多いと思うが、事実上、学力別の授業が行われる都立高校の入試で実技教科の成績が合否を左右するのはおかしい。昔、血友病で体育の授業を欠席せざるを得なかった少年が、体育1の内申書のために希望の高校に入学できなかったことで訴訟を起こしたことがあるが、こうした問題は病気の少年だけの問題ではない。 知育、徳育、体育がすべて重要だということは異論はないが、知育、つまり主要5教科に比べると、徳育とか体育というものは、成績評価になじまないのではないか。徳の程度などはペーパー試験や限られた時間でしか生徒と接しない教師が評価できるわけもないし、体育も先天性によるところの多い身体能力の評価になりがちである。身長や体重で成績評価をするといえば誰しもばかげたことと思うが、走る速さや球技の巧さで成績評価をするのもそれと似たようなものではないか。 さらにいえば部活というのも不思議である。学科授業では成績による差別や選別には非常に神経質になっているのに、部活ではレギュラーとそれ以外の厳しい区別がある。そしてそれが大会に向けて猛烈な練習を重ねる。何かを一生懸命やる時期があるというのはよいし、教育効果もあるかもしれない。ただそこには、試合とか勝敗とかとは別に単にスポーツを楽しみたいという子供の受け皿はない。 学校教育の段階では体育の授業は生涯スポーツとか健康づくりとかに重点を置き、学科の成績評価とは切り離した方がよいし、部活も、ただ単にスポーツを楽しみたい子の受け皿になるようなものがあってよい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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