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テーマ:ニュース(99486)
カテゴリ:マスコミ
その昔に守秘義務違反ということで刑事責任を問われた某新聞の某元記者が亡くなったという報道があった。普通にみると、やったことは一般人を犠牲にした「取材」であり、それ自体は刑事事件には問われなかったにしても道義的には批判があってしかるべきものでった。そしてそうやって手に入れた情報も記事にしたのではなく、野党政治家に渡し、政局を作ろうとした。刑事責任の守秘義務違反は別にしても、この元記者の行動は記者の職業倫理にも反しているし、その本分も逸脱している。ところが世の中の一部には、これを「国民の知る権利のために戦った記者」として持ち上げる向きもあったようで、わからないものだ。正直珍風景とでもいうべきものだろう。
「国民の知る権利の議論がスキャンダルに矮小化された」と見る向きもあるのだが、実は逆で「〇〇がいつのまにか英雄に祭り上げられていた」というのが実体だろう。なんでこんなことが起きたのだろうとつらつらと考えてみると、事件当時はネットなどは影も形もなく、一犬虚に吠えれば万犬吠ゆの犬の声はすべてマスコミであった。マスコミの発言力は圧倒的で、マスコミ(それに乗っている言論人も)が声をそろえて同じようなことを言えば、なんとなくそういうものかと思う人もいた。もちろんそう思わない人も多数だったので、それは某新聞の部数減ということで表現されたのだが。 今や新聞は斜陽産業だと言われる。その背景になっているマスコミ不信を植え付けた原因のワンノブゼムとしてこうした事件があったことを思うと、元記者の死亡もなかなかに感慨深い。まあ、亡くなった人を悪く言いたくもないし、とりあえず合掌。 たしかに国民には知る権利がある。 それだけでなくつましく生きる庶民にも様々な権利がある。 平穏に明日を信じて生きる権利など…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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