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カテゴリ:時事問題
街角から本屋が消えているという。たしかに近所だけをみてもここ数年で閉店した書店がある。要因としては本そのものが売れなくなっていることと、本を本屋で買うことが少なくなっているということがあるだろう。本そのものが売れないという点については、そもそも可処分所得が減れば真っ先に削るのは書籍代であることや、時刻表や辞典、時事評論などはネット情報で間に合うようになったこと、文学全集や美術全集のような部屋の飾りとしての本の需要がなくなったということがあるだろう。部屋の飾りについては、そもそも来客を家に招くという習慣そのものがなくなり、客間という言葉も死語になりつつある。文学全集や美術全集だけでなく、賞状を入れる額やトロフィーの類もいまでは売れないのかもしれない。 また、図書館で本を借りて読書需要を満たせるようになったことも大きい。全国的に図書館が昔に比べて充実してきたのかもしれないが、近隣の図書館でたいていの本は読むことができる。人生の中で読書にかける時間は有限なので、流行りのものよりは評価の定まったものを読みたいし、そうした評価の定まった古今東西の名作ならば、書店よりも図書館の方がよほどそろっている。さらに付け加えれば、最近勢いが落ちているのかもしれないが、古書店や古書の売買サイトも書店の強力なライバルだろう。 待ち合わせなどで本屋を指定することはあるが、昔はそんな本屋で本を探したものだが、今では本屋の外で図書館で借りた本を読みながら待ち合わせ時間まで過ごすということが多くなっている。 こんなふうに本を購入することそのものが減っている上、購入して読みたい本をすぐに読むためにはネット通販の方がはるかに速い。立読みも書店で店員の眼を気にして行うよりも、ネットで試し読みしたり、レビューをチェックする方がよい。 そんなわけで、書店が消えていくのは自然の流れのようにも思う。国では書店を支援するためのプロジェクトを検討するというが、無駄な取組みになりそうな気がしてならない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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読者諸氏で似ている方は結構いると思うが、私は小・中・高・大学時代、そして社会人になってから現在に至る迄、傍らには絶えず書棚があり、数多の本があった。
私の人間形成というか、私自身の知識習得契機の3分の1は本から形成されたと思う。残り3分の1は学校で、あと3分の1は人的交流からか。 ネットで様々な調べ物をすることはできる。されど、その情報は、本を手に取り、読んで考えて、洞察力を深める知力となるものとは異なるように思う。 書店で様々な本の陳列を見て、気になった本は手に取る。お金を出して買った本は、余程期待外れでない限り、それなりに読み尽くそうとする。 書店が街から無くなるのを、看過するよりも、国が何らかのの支援をすることは、文化振興の礎に寄与するためにも、それなりに意義はあるように思う。 学生時代の愛読書、そして社会人となり、仕事の関連で様々に買い求め研鑚した本は、私自身の分身であり、財産と言えるでしょう。 次世代というよりも、人間が人間であることを深めるために、後世に亘って書籍の大切さは伝えて然るべきと思う。 (2024年03月11日 15時23分50秒)
・曙光さんへ
昔は書店で本を探すのを楽しみにしていました。でも、一方では本が売れなくなるのも時代の流れ、書店が消えるのも時代の流れのように思え、行政でなんとかするというと、すぐに図書館の本を制限するとかそんな議論がでてきそうでいやですね。 評価の定まった名作とか古典とかいったものがあって、そういう本もかつては文庫本やハードカバーの中心を占めていたようなのですが、今ではそうしたものは書店の片隅においやられているように思います。「カラマーゾフの兄弟」の新訳で話題になった名作の新訳も最近ではあまりききません。 (2024年03月12日 07時48分17秒)
街の和菓子屋もレコードショップも写真館も文房具店も近年,無くなった。
採算が合わなければ、お店が閉店に追い込まれるは、已むを得ない仕業と言えるでしょう。 問題の本質は、自ら買い求めた本、あるいは探した本を通しての読書が、人生で価値あり、楽しくも有意義な時間であったことを、人生の先達が、先輩が、次世代の人に訓導し、次世代の人たちがそれを実感する機会を増やすことが大事という事でしょう。 特に若き時は、日本文学全集、或は世界文学全集から、文学の世界を大きく俯瞰して、自分の好きな分野を限定せず、広く探索し、興味がわけばその分野を深耕していくのがよいでしょう。 因みにというか、然しながら、私が高校時代に夢中になった本は、吉川英治の「宮本武蔵」、石坂洋次郎、獅子文六、太宰治、松本清張の殆んど全作品等で、なぜか日本の現代大衆文学でした。学生時代は「夏目漱石」「倉田百三」「福永武彦」「水上勉」等でした。 七詩さんの耽読された「日本の古典」「世界文学」は些か影が薄く、外国小説で胸踊らされたのはパールバックの「大地」とデュマの「モンテクリスト伯」等でした。 (2024年03月12日 13時44分08秒)
・曙光さんへ
消えていくのにもそれぞれに理由があって和菓子屋は職人の減少や接客需要の減少、レコードショップはCDが売れなくなったのと同じような理由、文房具は紙媒体の役割の低下など…ですか。 本屋の需要とは別に本を読む需要がなくなったとも思えないのですが、いわゆる名作の類と言うのは今でも読まれているのでしょうか。文庫本でも少し前のベストセラーのようなものが主流ですし、書店に行っても文学全集の退潮とともに、評価の定まった名作はあまりおいていないように思います。 (2024年03月12日 16時15分10秒)
替わりに増えてる、伸びてる業界ってのもありますよね。
電子書籍ですよ、 電子書籍の市場規模ってどんどん拡大していってるんですよ、 まあそういう時代だって話ですよね。。。。 いつまでも「紙」にしがみついてたら衰退すんのもしょうがないでしょうよ。。。。 (2024年03月12日 19時41分25秒)
ふぁみり~キャンパーさんへ
たしかに電子書籍は今後増えていきそうです。 辞書など紙の辞書に変わって電子辞書が主流になっていますし、法令や判例集も電子書籍や有料サイトが普通でしょう。 電子書籍は注がその場で見られる、特定の用語について出た個所をすぐに検索できるなどの利点があります。推理小説など、先の伏線を検索しながら、読むと楽しみが深まりますし、その分、小説のつっこみどころもでてくるかもしれない。また、コミックなども全巻そろえるとやたらにスペースをとりますが、電子書籍だとその心配もないし、カラーのコストもかからないので、これも伸びていきそうです。 (2024年03月12日 22時16分30秒)
>そんなわけで、書店が消えていくのは自然の流れのようにも思う。国では書店を支援するためのプロジェクトを検討するというが、無駄な取組みになりそうな気がしてならない。
そうですね。時代の流れです。昔の牛乳屋と一緒で、本は減らなくても本屋は減っていく。本屋というのは、返品ありきのビジネスモデルなんで、今の時代には合わない。電子書籍、さらには音読サービス等もある昨今ですから。10年程前、紙の書籍を一生懸命データ化していたのが懐かしい。 まあただ、勉強は紙に書いた物のほうが記憶に定着しやすいので、書き込みするなら紙の本の方が望ましい。その辺に活路を見出すべきかもしれないですね。 (2024年03月13日 08時12分29秒)
鳩ポッポ9098さんへ
本屋で時間をすごすというライフスタイルもかわっていきますね。 昨今では文房具やファンシーショップ、喫茶店を付設している本屋もありますが、それだけ本そのものでは商売にならなくなっていっているのでしょう。 ブックオフも最近では本以外に力をいれているようですしね。 (2024年03月13日 08時44分12秒) |