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テーマ:家族(111)
カテゴリ:日記
先日映画千円デーにクリント・イーストウッドのグラントリノを見てきました。クリントの作品は好きなのでずっと見てますが、彼は執拗に死にこだわります。硫黄島、ミリオンダラーベイビー、チェンジリング、そしてグラントリノ。
不条理な死を描き、生きる意味を問いかけます。不条理な死をもたらす、差別や抑圧の中で人はどうやって生きる意味を見いだすのか。 グラントリノでは、朝鮮戦争で命令もなく殺さなくてもよかった人を殺したという罪責感に苛まれ、人に対しても家族に対しても、信頼や優しさを表現できない、不器用な男を描きます。 隣家に越して来たアジア系住人との関わりの中で、人として求められる事に出会い、曖昧にしていた自身の生きる意味と死ぬ意味に決着をつけます。いずれ病魔に冒され死は近く訪れるとすれば、その前に。 クリント流の美学なのかもしれないし、それはそれで人の魂を揺さぶるテーマたり得ます。が、私はクリントの思考プロセスとは異なるものを模索し、それなりの美学?を確信しています。 私の父親は朝鮮戦争ではなく、さらに十年ほど前の日中戦争で生還した男です。任期の長い軍人にならずに、白紙で試験を受けて兵隊にはなりましたが、中国奥地に送られ過酷な体験をしたようです。彼はその前上海でモボ青年をしていたから、中国語が理解できます。「東洋鬼来々」という言葉を理解し、中国人の恐怖を理解します。 補給もない奥地での長期間の戦闘で日本兵が鬼と化してゆく中で、人であり続けた彼は、五分の一ほどに減った生存者として、生還します。勲章ではなく、やかん一個を持って。 人を殺して生き延びた「ウォルト」と人を理解して生き延びた「私の父」と生きる意味も死ぬ意味も随分違うのかも知れません。 ウォルトにとって自ら選んだ死はやっと得られた魂の癒しだったでしょうが、そのような生きる苦しみを背負わずに済んだ私の父は、二十数年前に癌死します。彼にとって生きる苦しみは、自身の生きる意味の不在ではなく、単に肉体的な痛みだけだったのかもしれません。 人と闘うという選択肢ではなく、人を理解するという選択肢を持ち得た人はすでに生きる意味も、死ぬ意味も理解可能な世界を生きているのかもしれません。 私の父にとって、人生は闘いではなく、平安であり信頼であったのかもしれません。それが逃げる事であっても、人の評価を得られない事であったとしても。そんな彼はさほど努力もせず、忍耐もなく、凡庸にほどほど貧しい生活を選んだけれど、その中で確かなものにしたのは、家族の食卓でしょうか。 経済成長の走りの頃、多くの日本人は残業し家財を増やし、いわゆる豊かな生活をもとめて頑張っていました。けれど、その流れには乗らず、ひとり定時で帰宅して食卓を囲むことのできる、確信はどこから来たのか、自ら言語化できる人ではないので、本当のところは何もわからないけれど、 戦争体験と、その後の結婚離婚体験が影響していることは間違いないでしょう。 そんな彼の生き様と、わずかに私に語った戦地の体験の語りは、私をして今の私にならしめているのかもしれません。私は彼の墓に参る事はいまもほとんどないけれど、彼の存在を無視しているのではなく、彼の思いは私の中に滔々と流れ、生き続けているから、墓などに参る必要もないのです。 後十年もすれば私も彼が死んだのと同じ歳になりますが、この歳になって彼の言葉にできなかったであろう思いを理解できるようになった私です。そんな私は彼の言葉にできなかっただろう思いを私なりに言葉にしたいと思うこのごろです。闘わなくていい、理解しあえるのだから、と。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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