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カテゴリ:日記
自宅の玄関横には発泡スチロールの箱があって、睡蓮鉢にしています。設置してもう二年程になりますか。頂き物の睡蓮苗やら、熱帯魚水槽であまった水草とか琵琶湖でひらってきた水草やら、適当に放り込んでいます。 白川ですくってきた川海老やらかわになも生息しています。勿論主役はメダカなんですが。ご近所さんは、きれいに手入れしていて、メダカと睡蓮だけの美しい睡蓮鉢になっていますが、私の睡蓮鉢は なにやら水草だらけのため池状態。 不思議と、この睡蓮鉢生き物が死ぬ事なく、元気に生きています。メダカも海老も繁殖しつつ小さな世界で生きているのでしょう。 部屋の水槽では濾過器やら照明、炭酸ガスやらヒーターなど、様々な機器を用いてそこそこの生息環境にしていますが、水換えやフィルター管理を長期間ほっておいたら、水草がほとんど全滅しかかったし、魚もかなり絶滅してしまいました。 ひきかえ、天然の睡蓮鉢は雨水と日光だけなのに、命の循環が続いています。自然に抗わず委ねる事でいとも容易く命は育まれる事か。自然の力の巧妙さと人の力の脆弱さとを感じないではいられません。 これは、人の命や心にも同じような事が言えていて、内なる自然に委ねれば人は楽に生きて行けるけれど、人工的な世界に依存する程、困難やリスクは増えてくるように感じる私。常に自然、あるいは神に対する畏怖と尊敬の念を失う事なく、人に対しても謙虚でありたい・・・とそんな事を感じさせてくれた今日の睡蓮鉢でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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