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一昨日の男性学会議で、傷つき男のわがままトークというセッションを持ちました。女性に子どもの頃から傷つけられてトラウマ化した人と、妻の暴力で心身にかなりの傷を負われた男性と、私がコーディネイトしながらフロアの方の質問や意見にも答えつつ、トークセッションをしました。
フェミニズムの文脈では男性支配の世の中では男はすべからく加害者であり、女は被害者であるという前提に立つようです。従って、男と女がいると言うだけで、男は加害者であり女は被害者であるという前提でしか話しがスタートしません。 けれど、女に傷つけられた男にとっては、それはおかしいだろーという事になります。自身の体験した現実はフェミニズムの前提を否定するのですから。 こんなとき、フェミニストは、それは特殊な例外として問題視しないようにするのかも知れません。例外なのか一般的なのかそれは簡単には言えないだろうけれど、当事者にとってはそれが現実です。そして例外的ならなおさら、ないもの二されてしまいます。言っても信じてもらえない、相手にしてもらえない、と言う事です。 このあたりの辛さを彼は切々と語ります。被害者の問題に転嫁され加害が免罪されてしまうという事。これは、女性の性的被害に関してはしばしば言われる事です。これと同じように男性被害は語ってはならないタブーなのでしょう。ここにジェンダーバイアスがあります。 男も女と同じように傷つくし、その痛みをだれかにわかってもらいたいとも思うのが当たり前だけれど、その当たり前が、当たり前に存在しないのが現実のようです。このあたり、こどもの生育の中で、痛みの受容体験があれば、後々に被害を訴える事も可能となるし、被害者として表面化すれば、加害者にならなくても自分を支える事が可能となるかも知れません。ひいてはDV男は減少していくかも知れません。これは私の妄想に近い仮説です。 それと、DV被害男性に対する司法の判断は、被害自体を意味あるものとは認めていないと言う事。女性の被害に対しては、手厚い判断が認められるのに関わらず。法の下の平等は今の司法には残念ながらありません。こういう事も、当事者になってはじめてわかる事。一般市民は何も知らない知らされてない、と言う状況でしょうか。 性別に関わらず、暴力は犯罪です。なのに「女性に対する暴力は犯罪です」という言い方をするのか、私にはよくわかりません。誰か、そのあたりのからくりを教えてくださいね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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