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今日もいろいろとお喋りしてました。私と似たようなLD体験をされてて、社会に適応できない、しないと言う方との妄想談義が楽しく感じられました。
妄想が世界を作るというのは私の好きな言葉ですが、想像とか創作といえば聞こえはいいかな。妄想はもっとその概念は広いけれど。嫉妬だったり不安だつたりもありますから。 いずれにしても、意識の中で概念を膨らませていく事。ビジュアルなものだったりサウンドだったり、物語りだったりを頭の中で作り上げ、それを身体を使って外に表現していく事で、妄想が現実との接点を持ちます。 私は料理をするのが好きだし、オリジナルを作る事も多いけれど、料理はどこでできるかというとまず頭の中です。それを材料をつかって料理にしていきます。教えてた時は頭でできたのをレシピにして、それから料理して修正する、と言う事をやってました。 頭の中で世界が出来上がっていくのです。その作業を子どもの頃からトレーニングするのが、絵本の読み聴かせや、自由なお絵描き、おもちゃ遊びなどかもしれません。 私もその方も、LDであるが故に授業について行けず、自分の世界で空想して時間を過ごしてました。その空想あるいは妄想の世界が多くの人たちの考える世界とは随分違うから、生きていくのがいろいろと大変だったけれど、死や命の意味を理解し、人々に異質の世界の存在を伝える事も可能だね・・と言うようなお喋りをしてました。 人々は現実の世界を生きていると思っているけれど、コンピューターに架空の世界を見せられていたという映画マトリックスの世界と似たようなもので、メディアや教育システムを通じて、近代社会を受け入れるべく妄想を植え付けられ、その妄想の世界を生きているだけの事。 私は自分が妄想を生きている事を知っているから、自分の妄想を楽しめるけれど、多くの人は妄想だと気付いてないから、妄想を作り出す連中に容易く支配され、ほんとの自分の人生を失ってしまいます。 せっかく妄想の世界を生きているなら、せいぜい楽しまなくちゃね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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