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人と人が会話する時に、対話がスムーズにいって理解しあえる場合もあれば、理解しあえなくて、話しがどんどん拗れていく場合があります。(カウンセリングでは対話に気をつけているので拗れることはあまりありませんが・・・。)
その際に、拗れていく理由がコミュニケーションのありようの問題と理解できずに、相手の意図や人格の問題と短絡的に判断してしまい易いものです。 電話で、声が途切れて聞き取れなくなったら、すんません電波悪いですね、聞こえませんでした、となりますが、対話でちゃんと聞き取れていたら、なかなかコミュニケーションの問題とは理解しにくいもののようです。 理解しあえない理由に、言葉の意味がそれぞれ違うと言う事もあります。言葉は意味としては標準的な共通する意味合いがありますが、心情的にはその言葉をめぐる体験は人それぞれなので、まったく同じということはありません。例えば犬と聴いて、可愛い、とイメージする人もあれば怖いとイメージする人もいます。 それと、日本語には主語が使われないという特徴もあります。私はしばしば、それは誰の話し?それはあなたがおこなったのね、とか確認しながら話しを進めていく事があります。文脈を理解するには、だれの話か理解できてないと間違って理解してしまいます。曖昧に理解すると、とんでもないストーリーになってしまう可能性もあります。 さらに、無意識に防衛機制が働いて、嘘を言ってしまったり、言うべき事を言えなかったりする事も少なくありません。特に抑圧の強いテーマ、性とか、差別に関する事とか、本音で語れない事はたくさんあります。 ですので、単に文法や会話を学んでもうまく話しができると言う事にはなりません。自分の体験とそれにまつわる感情を理解し、言語化できるようになるまでにかなりのトレーニングも必要です。 さらに相手の感情を受容しつつ、異質の体験や異なる価値観に対しても、受容的でアサーティブな対話ができるには、それなりの自己肯定感も必要でしょう。 こう考えると、対話がスムーズにいく事の方が珍しい、のかもしれない、と考えてしまったり(笑)まあ、私は誰にも理解されないのは当たり前、みたいな所から出発しているので、対話がうまくいかなくても、感情的に困る事はありませんが。 みなさんは如何ですか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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