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昨日の新聞発表では、虐待がさらに増加しているとの事。通報が増えたからとの理由もあるけれど、実数も増えこそすれ減る事は無いだろうと見ている私です。
私はもう数年前に日本虐待防止学会を退会しました。虐待防止には無意味な学会だとわかったからです。虐待をめぐって専門家同士で知識やスキルを交換しあい、自らの利権につなげていくと言う事でしかない、そんな社交の場にしか見えませんでした。 学会発表の割り振りも、エラいさんがなあなあで決めているのでしょう、発表申請した私に与えられた場は全然とんちんかんな分野の最後の十五分で、しかも前が押して押して、決局十分しか無くて、私は「離婚で分離された親子が定期的に面会する事を保証する事は、子どもの発達上も虐待防止上も有効である」と言う事を十分で語りました。 それを聴いてた、どこかのエラいセンセでしょうか、私の発表にはパワポでのデータの裏付けが無い、とか難癖つけてきたので、そんなもん、ネットでもどこでも探せるから自分で探せばいいでしょ、と反論しました。その事でか、その学会誌に私の論文は掲載されませんでした。 学問的に正しいとされた方法論で発表しなければ、認められないし、センセをバカにしては排除されても当然なのでしょう。虐待を防ぐためにいろんな人がいろんな知恵を出し合う、学びあう、と言う事ではないのです。 虐待で飯を食ってる専門家は虐待の構造がなくなると困るのでしょう。虐待が無くなる事より自分たちの権威や利権が大切なのでしょう。私は何万も自腹切ってこんなバカな連中とつき合うのは無意味、と悟ったと言う訳です。 ナラティブで言うと、問題がシステムを作り、問題を維持する、から何も解決しない、と言う事でしょう。私に言わせれば、虐待防止を言う専門家が問題の本質そのものだということ。連中がのさばってるうちは虐待は減る事は無いでしょう。 弱者に対する権力行使、弱者を力でコントロールすると言う事は、学会を維持するセンセも子どもをしばく親も同じ事をやっていると言う事でしかありません。自分たちの権力行使の問題に気付かない専門家が、自分たちの権力行使の問題に気付かない虐待親に、何を伝えられると言うのか、まったくもって、バカバカしい話し。 以前その学会で、虐待防止の大先生が「当事者をどうやって治療構造に乗せるか」と真顔で話してたから、治療治療と言うなと私は釘を刺したけれど、その意味もわかんなかったのかも知れませんね。治療が必要なのはあなたたちでしょうが、と言ってやりたかったけれど、そこまでは言えませんでした、さすがの私も。 当事者の生きる世界を理解し、その世界の中で当事者が非暴力を選べるようになるには何が必要なのか、一緒に考えることのできる援助者の出現を待たないと虐待はなくなるはずも無いよねえ。 そのことに世間が気付くことができるのだろうか、いつできるのだろうか、と私はかなり悲観的です。毎年三万人が自殺しても、何も気にしなくて済んでる世間ですからねぇ。毎日百人が自殺で死んでる訳で、虐待死は年間百人程なので、自殺に比べれば、虐待死はわずかですしねえ。誰かをバッシングして世間の気が済めば、それが一番安上がり。 ほんとは虐待をなくそう、なんて誰も考えてなかったりして・・・どうなる事やら お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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