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人は人を所有する事も支配する事もできない・・・その象徴が「ミダスタッチ」。ミダス王は金の虜になり、何でも触れたら金になる手を神から授かる。ミダス王は最愛の娘に触れて娘を金の彫像に変えてしまう。
愛し愛される関係は美しく心地よいもの、いつまでもその関係が続いてほしいと願うのは当然の事。けれど、それは愛を失う事の不安や孤独への恐怖と裏腹でもあります。 いつか相手が去ってしまう事を恐れるあまり、相手を縛っておきたい、閉じ込めておきたいと願う気持ちも当然の帰結。けれど縛った瞬間に自由に愛し合う関係は破綻し、憎しみと悲しみの関係に変わってしまいます。 ほんとの愛と言うものがあるとするなら、愛する相手の幸せのために自由に去る事を受け入れその幸せを喜ぶ事かもしれない。そこには自らの幸せを捨てると言う痛みを伴う。愛する事の苦しみです。 けれど、そこまでの愛で愛されたら、逃げる必要も去る必要もなく、どこにいても、遠くに離れていても、誰といても、その愛する人とともに生きているから、愛は無くならない。 この愛の形を理解できる人はあまりいないのではないか、と私は考えます。多くの人は性的所有関係が愛ある関係と誤解しているのではないか、とも思います。だから、嫉妬に妄想し、苦悩するのではないかと。 私? 私は性的所有、性的支配はできるとも思わないし、されたくもないし・・・誰からも。対幻想もロマンチックラブイデオロギーもなくて、性の自己決定を言うだけ。誰と何をしようと、相手との関係でしかなくて、誰かに文句言われる筋合いでもない。 こんな事書くから、世間から嫌われたりもするけれど、その意味は、愛する事の苦しみを越えて、真に人をそして自己を愛せる人になれたらいいね、ということ。難しい事だろうけれどね・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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