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最近はカウンセリングが増えてきてて、結構大変ですが、なかでも夫婦間のトラブルは問題がこじれるとややこしくなるのが常で、修復的な対応を目指すのも困難になります。
夫婦間のトラブルはそれぞれの家意識や夫婦のかたちの有り様に対する価値観の相違がある事、なのにお互いがその違いを認識していない上に自分の問題としてみる事ができない、という二重の困難が前提となります。 さらにさらに、単に夫婦の問題としてではなく、それぞれの出自の家の文化にも大きく影響されます。うちの嫁という意識のある旧民法に生きる親世代と、夫婦が独立した戸籍で夫婦が対等という価値観のある娘・息子世代とは、そもそも基本となる価値観が異なるために、議論が噛み合ないのが当然です。 けれど、親にコントロールされて育った子どもは、夫婦関係も親のコントロールを受けてしまいます。夫婦の対話よりも親同士の介入と闘争になってしまいます。これが第三の困難でしょうか。 このように二重三重の困難があるクライアントの問題に寄り添い、そのクライアントが、あるいはクライアント夫婦が回復していくためのカウンセリングや、様々な支援を提供していく訳です。 そんな支援を行うにあたって、家族を巡る様々な価値観や文化について、私が知らないことは致命的ですし、また価値観から自由である事も不可欠です。 家族の問題が起こったとき、弁護士に依頼すれば、弁護士は法的正当性を巡ってその経済的利益を求めて、家族同士で闘争することを前提としています。もちろん闘いが好きな弁護士もいるでしょうし、中には争いを避け、対話を重視する弁護士がいるのも少ないけれどいるのも事実でしょう。けれど、弁護士である以上法的正当性を前提に対話するしかないのは現実です。 私は法律家ではありませんので、そんな法律の縛りは受けません。もちろんエライセンセでもないので世間の倫理と言う縛りも受けません。まさに野にありて自由に歌う鳥のごとく、自らの欲するままに聴き、語り、物語りを紡ぐ事が可能です。 先日も夫婦間の性の問題で来談されたカップルがおられました。世間ではとんでもない事と言われることでも、ご本人はとても真摯に考え、行動されていた事がよく伝わってきました。 おそらく、世間の基準と異なる自分の価値観で自分を支えてこられた、その孤独や不安も大変なものがあったろうにと、とても愛おしく思えるだけでなく、その不安や孤独に耐え、自身の信念をささえてこられたその強さには敬服するものを感じた私です。 「世間は口は出すけれど、助けてくれない」と言う事を私はしばしば話します。「世間は助けてくれなくても、ご夫婦が理解しあえて信頼しあえたら、いざと言う時に助け合えるのが夫婦ですよね・・・・そのための相互理解、相互成長のために、本音で語り合えたら素敵だと思うけれど・・・」 かように、法的正義や倫理を基準に相互対決を求める世間の価値観とは遊離した、価値観から自由な対話の場があれば、夫婦がそれぞれの個性を認めあいながらも相互に信頼し助け合える、新しい関係・・・その夫婦のだけの世界でひとつの物語りを紡ぐ事も可能です。 その新しい物語りを産み出す産婆さんでもあり、ともに物語りを育てる共著者でもある私は、なんと素敵な世界に生きてるんだろう・・・と自画自賛・・・わくわくの毎日・・・今日もこれからどんな物語りを紡ぐかな・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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