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DNA鑑定で生物学的な親子関係は証明できるけれど、子どものDNAは半分は父親から半分は母親からなので、その親子の遺伝学的な証明は半分でしかないということ。その半分も親の遺伝表現と子の遺伝表現は同じではない。
嫌いなおじいちゃんの遺伝形質が表現されているかもしれないし(隔世遺伝)親とはまったく違う形質が出てきているかもしれないし(突然変異?)遠い先祖の形質が出てきてるかもしれないし(漂流遺伝子?) しばしば系統樹、家系図のような一本の線が枝分かれして行くイメージで遺伝が伝えられて行くという説明がなされます。そこに誤ったダーウィニズムが重ねられ、適者生存、すなわち優生思想が導かれます。これが現代人の遺伝を巡る親子幻想に繋がっているのでしょう。 クラゲやミミズみたいな形質も行動もそのほとんどが遺伝情報に支配されている生物なら、かような(系統樹のような)概念で親子を語るのもウソではないでしょう。 けれど、遺伝情報でも表現される形質とされない形質(優性遺伝・劣勢遺伝)偶然や条件で表現される形質等、様々な遺伝情報が個人を越えた社会の中に保存されています。ある程度の遺伝集団の規模がないとうまく遺伝情報が伝えられないと言う事でしょう。それを別の表現で言うなら「血が濃くなると家が絶える」ということ。 しかもこれは人の親子関係の基本部分でしかありません。実はDNA情報よりもさらに多くの部分を大脳の学習機能に委ねていると言う現実があります。すなわち、DNAの情報は設計図を描く道具箱の情報でしかありません。パソコンの作り方という情報です。 OSもアプリもDNA情報の中にははいっていません。生まれて以後環境に相応しいプログラムを大脳に書き込むことで、子どもは、生存可能性を高める事が可能になります。人類は大脳を進化させ養育(教育)の時間をとくに長くする事で生存のための膨大な情報を取り込めるようになったればこそ、他の類人猿が衰退する中爆発的に繁殖して行ったと言う事でしょう。 チンパンジーが他の集団と殺しあいを続け子どもを殺して顧みない進化戦略を続けたのに比べ、言語による集団間の対話と共存を可能にし、子どもの安全を確保する事で種全体の個体数を増やして行った人類の進化戦略が別れたのが、およそ七百万年前くらいの事でしょうか。その結果の現在です。その中間的な進化戦略をとったのがボノボと言えなくもないのかもしれません。もちろん闘いと殺し合いと言う先祖返りを志向する行動様式も人類はまだ完全に手放せている訳ではないようですが。 DNAは枝分かれする一本の線ではなく、女と男との間と親世代と子世代の間を編み目のようにつなぐレースの布のようなものと概念した方がより適切だろうと思います。レースの所々にまとまったこぶのような模様ができているのが個人と言う風に理解できます。 このレースの布は一枚の平面ではなく、不定形な袋状になっていて、中には生存のためのデータツールがはいったボールがはいっています。このボールの中身はレースの素材とに関わりなく大人世代から子どもがコピーして保存するものでしょう。この中身こそが親子の本質と言えなくもないのですが・・・。 親子関係をこんな妄想で形作ると、いわゆる世間の常識的な親子概念がいかに陳腐で荒唐無稽か、相対化できると思うんだけれど・・・こんな私の突飛もない妄想・・・理解不能でしょうかねえ・・・世間様にはとても理解できない事だろうとはわかるのですが・・・(笑) えっ私ですか?私の息子はもうすぐ三十歳。恋愛や結婚とも無縁な日々を送っているようですが(笑)特に家をつぐとか血が絶えるとかの言葉を私は使う事はありませんし、息子の人生は息子の判断に委ねています。 むしろ、私の親としての行動は他人の生き方に関わる事で表現されて行きます。いろんな当事者に対して味ママとして関わったり、その子どもたちの成長に関わって育てる快感を感じたりもしています。血は繋がっていないけれど食べたり語ったり遊んだりする事で、生き抜いて行く力を蓄えて行く、そんな疑似家族としてのグルメナイトもそんな場でしょうか。 個人と家族、社会とか人類とかの関わりも、いろんな可能性や選択肢があるってことで、一人一人が自分を自由に概念する事も可能、小さな親子幻想に縛られて辛い思いをする必要なんかさらさら無いってことですよねえ。DNA鑑定の結果がどんなものであっても。 だいじょうぶ、あなたはみんなに愛されみんなに育てられているからねって、子どもたちに伝えてあげたい私。なんだけれどなぁ。「明日ママ」がいいとか悪いとかの議論もあるみたいだけれど、家族とか親子とかについて、あらためてその幻想についてもの申したい私でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2014/01/28 03:52:40 PM
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