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昨夜の女と男のワーク、相変わらずちょーこじんまりだったけれど、回復当事者と渦中の当事者男女を交えたとてもユニークな対話となりました。
修復離婚の結果、とても家族がいい関係になったという女性にすれば、離婚に抵抗して闘いを深めて傷つけあうと言う事の意味が分からない、というのも当然の事。 渦中の当事者にしても、もう闘う意思もなくて、完全に白旗をあげて調停に臨んでるのに相手方はまったく闘いの姿勢をゆるめず、これ以上闘おうとする意味が分からないということらしい。 で話し合ってるうちに行き着いたのは、離婚を巡って、援助者がそれをビジネスのネタにしてるから、なかよくなって当事者同士で分かち合えたらビジネスにならないよねー、ということ。 離婚弁護士は修復的なメッセージは一切遮断して、相手方の悪辣さを誇示し、闘わないと大変な事になると不安をあおり援助者に依存させる。確かに裁判では、いずれ離婚と言う形にはなるだろうけれど、誤った悪意を信じ込まされた当事者には、あらためて相手と関係修復する事はほとんど不可能で、焼け野原になった家庭は二度と復興することはあり得ません。 夫婦だけの問題ならまだしも、子どもが巻き込まれ、様々な問題を抱え込まされる事で、夫婦の問題が子どもに連鎖していく事になります。昨夜の彼も「白旗揚げるだけではなくて自分の問題と向き合い、自己成長のためのワーク参加などしてるのに、彼女は自分の問題に気づかず、弁護士にあおられ、何の担保も無い離婚とその後と言う未来に進もうとしている、これから辛くなるんじゃないかな・・・どうしてあげる事もできないのが残念」とごくまともな事を話されてました。 もちろん彼は私の所で修復的・自己成長的な支援を受けているから、そのように判断できるけれど、そんな支援に繋がらず、行政相談員・離婚弁護士のコースで突き進む多くの当事者は、修復的な判断はできませんしねえ。胸痛む所です。 私がいつも言う事だけれど、離婚するしないは大きな問題ではありません。信頼関係が築けるか築けないかが問題です。家という家族の入れ物が守るべきものなのか人の関わりとしての家族という中身が守るべきものなのか、間違えないように。今の家を解体しても信頼関係ができたら、別の形の家で家族を楽しめます。 実際、昨夜の彼女の発言では、修復離婚の結果ダブルハウスの自立家族としてパパもママも成長していってるし、子どもはその間で自由に親と関わる事ができている、時に家族全員で楽しめる、そんな理想的な共同養育が達成できています。とのこと。法律や制度はなくても、適切な支援があればこういう事も可能なんですよねえ。 彼女の語りが渦中の彼の希望になってくれたらいいな、と大阪をあとにした私でした。家族での闘いは無意味だよねー。 多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、 ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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