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愛と所有・・・永遠のテーマのようですが、そもそも愛情と言う言葉はもともと日本語としては親子の情を言うのであって、男女などの性愛を含む感情は色情と言われていたように記憶しています。現代は「愛」は崇高で「色」は下劣、みたいな価値観がふつーになってるようですが・・・
独占的排他的な所有関係・・・これを愛と勘違いしてるんかなって私は思うけれど・・・先日もある人が人を好きになったら嫉妬の感情がわいてくるんよねぇ、と語っていたのを思い出しました。嫉妬が湧くのも相手が自分の所有物だとの概念から、自分のものを失いたくないという感情がわいて、それが嫉妬になってるんかなって、答えた私。 世間では、自分のものだから自分の思いの通りに扱いたいし、そうできて当たり前と考えるのも当然だろうし、そこに支配=コントロールという行為が正当化される価値観が導かれるのでしょう。けれど、人は人を所有できるのか・・奴隷制度は人が人の体を所有し支配する具体的な制度ですし、婚姻制度も程度の差はあれ、相互所有を認める制度なのかも知れません。けれど、人の心まで縛れる鎖はありません。 真実として心は縛れないにしても、その婚姻制度・・役割意識に基づいて関係が成り立つようですが、その意識が強いほど相手や自分を縛ろうとする意識も強いのだろうと思います。相手が自由に考え自由に行動する事を許さず、相互に決められた役割をこなす事が何よりの善であって、役割を放棄するなんてもってのほか。 働かない男、子育てしない女、貞節を守らない女や男・・これらは、糾すべき存在で許されてはならない・・・との価値観が巷にあふれているのを感じる私。私は家族を巡る常識にことごとく反抗して生きてきましたから、世間の評価は得られないし、世間的な成功とはまったく無関係な暮らしをしています。 私は家族を巡っても所有したいとは思わないし支配したいとも思わない。また支配されたくも有りません。常識で縛りあう関係は当初からありませんでした。こんな私だけれど、今はラッキーでちょーハッピー。こんな私は家族を愛してると言えるのか言えないのか・・そんなことはどうでもよくて、今は家族はみんな独立した人格としてともに問題なく暮らしてると言うだけの事。 こんな私からすれば、愛と所有に基づく家族幻想から自由になったらみんなが楽になれるよーって言いたいんだけれど・・・通じないだろうなあ(笑) 昔々、タレントのサンコンさんが「僕の故郷では I have ◯◯ という概念は無くて I am with ◯◯ 」という概念なんだよと話して、妙に感動した記憶があります。ネイティブな人たちは「世界は神の所有物であり、人は神の恵みを感謝して分かち合う」との意識で何万年も生き抜いてきたのだろうと思います。自然も人も所有関係にはないから、すべて世界は自分の思い通りには扱えないと考えるのは当然。ここでは貧富も権力構造も発生しにくいだろうし、差別もおきにくいのではないか・・なんて事を考える私。こんな世界になれば戦争もDVも無くなるんだろうけれど・・・これは私の妄想に過ぎません。でも、この妄想・・いかに現実のものに近づけて行くか・・・これが私の課題。 事務所前のプランターに咲く花たち・・ 多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、 ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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