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昨夜は月一恒例のグルメナイト・・・入れ替わりなどがありながらも結局大人10名子供5名の参加になりました。
メニューは相変わらず50品くらいのフルメニュー 昨夜のお勧めは鮭と鯖の押し寿司・・ 参加された大人たちのうち未婚は1・既婚は1・離婚は8と離婚率は8割でした。五人の子供たちは全員親が離婚しています。しかも参加者の男女はほとんど、DVモラハラがらみで離婚した、当事者たち。その当事者たちの語りの濃いこと。 彼らは世間の常識や制度がいかに当事者に対して、無理解で冷淡かということを身にしみて体験しています。アルコール依存とか、うつ病とか、原因と対策(実は虚構の)がすでにある事柄に対しては共感的というより同情的な扱いを受けるから、まだ当事者として語ることは可能です。 けれど、DVになるととたんに世間は「とんでもない家族で離婚すべき、子供がかわいそう」とのラベリングをしてしまいます。なぜならD加害者はVは治らない危険な存在、あってはならない社会的害悪だとの誤った認識があるからでしょう。さらに離婚しても「DVで離婚したかわいそうな家族」でしかありませんから、離婚していてもしていなくても当事者は、本当のことは誰にも語れません。 昨夜も一通のメールが届いて、久日に一人で飲み屋さんに行ったけれど、結局自分は社会には受け入れられない存在、存在すべきではない存在なんだと感じさせられた・・との、孤立する虚しさを語っておられました。 ほんとは、DVだから不幸なわけでも離婚したからかわいそうなわけでもなくて、あるがままの自分を語ることもできず、誰かに支配されコントロールされること、社会的に排除されること、孤立することなどがあるから、DVやその離婚は不幸になるだけ。DVそのもので不幸になるわけではありません。そして、それらの要因は当事者にあるのではなく当事者に対する社会のありようそのものの問題なのです。 もちろん、本人の認知や行動に問題があるからDVに発展したということは否めません。けれどその行動や認知に対して適切な支援があれば、必ずしも離婚する必要もないし、離婚しても不幸になるわけではありません。 この社会病理の視点・・・・問題は社会にあって、私はその社会の構造や偏見、圧力に屈しないで、あるがままの私で生きていいんだ、という気づきを得た当事者は、修復的離婚を達成したり、自分の生き方を変えて職場のありようすら変える力を持ち始めます。パワーコントロールしないで極力、対等で自由な関係を作りはじめます。 ある参加者は「私バツいちですよ、ははは」とバツ語り入りで仕事先で語ると、意外と相手の防衛が取れて仕事がスムーズに行くとか「私はダメ社員ですから、あんまり仕事させないでくださいな」とか言えるようになったり。 暴力的な社会の中で非暴力的に生きていくには、当事者の体験とその回復はとても大切。そのための支援があれば当事者は世間の人たちより、より深くて豊かな人生にすることもできるし、そんな人たちは社会を変えていく可能性を秘めています。 当事者の自覚がない多くの世間の人たちは、暴力的社会に適応して生きてますから、無自覚に人を傷つけ、差別します。しかも社会からドロップアウトすることに対する不安や相互不信の中を生きています。常識やら経済に縛られて・・ そんな常識をぶっとばして、離婚もDVも、ちんこまんこも自由に語り合えて、大笑いして会話を楽しめる加害・被害両当事者の存在はそのことを確認させてくれます。ほんとDVも離婚も悪くない・・幸せならね。そのために必要なのは・・当事者が誰にもコントロールされないで語り合える場やら、修復的支援なのでしょう。それを可能にするのがメンズカウンセリングなのでしょう。昨夜も実感でしたとさ。 多くの方にメッセージを届けるために、ブログに納得してくださったら、 ワンクリックお願いします♫ にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2015/12/19 10:46:18 AM
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