|
美智子1号と2号【転載ご自由に】
まとめてみました。 美智子1号は、正田夫婦の長女です。 小学生頃に病気で亡くなったようです。 この子が生きていれば12歳頃に、GHQと吉田茂らが純粋な日本人でない女性を皇室へ入れる計画へ向かって動き出したようです。 そこで、正田トミと堤康次郎との不倫の子(祖父母に預けられていた)を美智子として背乗りさせて家へ迎え入れたようです。それが美智子2号です。 wikiより:康次郎の女性関係は派手だった。下は お手伝いさんから上は華族まで“女”と名のつくものであれば“手当たり次第”だった。お手伝いさんから女子社員、部下の妻、看護婦、マッサージ師、乗っ取った会社の社長夫人、秘書、別荘管理人、旧華族…社員たちの言葉の端にのぼっただけでもざっとこんな具合である。このあと始末は部下の仕事だった。愛人の数は有名な女優を含めて、正確な数は誰もわからないし、本人もわからなくなっていた。子供12人というのは嫡子として認めた数にすぎず、100人を超えるという説もある。葬儀には康次郎そっくりの子どもの手を引いた女性が行列を作ったという。股子の父と同様のようですね。 さて、正田家ですが他にも次女がいるのに、皇太子ヒ候補に差し出さなかったのは、正田家の男性は乗り気でなかったようです。正田家の女性たち(トミと美智子本人)が乗り気だったとか。他の理由として堤康次郎の血筋を吉田らが選んだ、ということも考えられます。 正田夫妻は、当時としては夫婦揃って高身長で、他の子供たち3人も揃って高身長ですが、美智子2号だけは猪首、低身長です。堤康次郎は、ずんぐりむっくりの3頭身だったそうです。 正田トミは、上海夫人とよばれており中国上海で育ったようです。おそらくロシア人の父と中国か朝鮮女性との間の子ではと言われています。トミの産んだ美智子1号も2号もクォーターになりますから、いずれも見方によってはハーフっぽく見えたりします。 右は美智子2号のヤンキー時代。他の3人の兄弟たちはそこそこの家庭で育った雰囲気なのに、この美智子だけグレたような雰囲気になったのは、おそらく育つ家が途中で変わったり、一人だけ特殊な環境にあったからではないでしょうか。 兄弟にしてみれば、グレて不良の姉がある時期を境におしとやかな女性に変身してびっくりというところでしょうか。 美智子2号と3号をアップしてみました。 赤枠が美智子2号メインです。ピンク枠が美智子2号サブです。サブの特徴は豆あごです。このピンク枠下サブは目を整形してピンク枠上になったと思います。 しかし、オリジナル美智子が静養中に亡くなってしまい、トミは天皇脅迫もこめて「おかわいそう美智子様、おやつれ美智子様路線」を進みだしますので、このお多福系美智子は一瞬で不要になったようです。 あとは3号ですが、青枠がメインだと思われます。(3号メインは、2号が生きている間はサブだったようです。)それ以外は3号サブ。3号はかなり長期間でしたので、サブも多いです。緑枠は、1960年サンフランシスコ訪問時の3号サブです。頭がかなりデカくて、なで肩です。おそらくメインの美智子は英語がダメで、この人は英語ができたのでしょう。海外訪問以外ではほとんど出てきていない美智子です。 このブログは、リンクフリー、皇室関連転載フリー、皇室関連画像ご使用自由です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年10月23日 22時36分36秒
コメント(0) | コメントを書く
[秋篠宮ご一家を捜して。。皇族に成りすます人々] カテゴリの最新記事
|