2011年8月
災害ボランティア【ラスト山元】いいうそとわるいうそがあるといいますが大好きなあべ父や、作業に行ったたくさんのおうちの人に「あやかちゃんはいつまでいるの?」って聞かれ「わたしはずっといますよ」って何度も言いました。5月から作り始めたボランティア作業マニュアルも、全ページが埋まりましたこのノートを持って、新潟県三条市に行けたらなと思っています亘理でずーーっと作業していた三浦さんという方も新潟に出発したそうですまあ、わたしはまだ未定ですが…しばらくは忙しそう~8月1日からの作業レポですその前に、7月31日にイベントが延期になり、結局雨の中での演技となりました初めてイベントに出演する子も、イベントメンバーもみんな頑張った~(^O^)/最後の集合写真になって雨が止みました~(笑)早朝の高速バスに乗って宮城へ今までの住宅で一番、家の構造が立派な家の作業に入りました鉄骨の家です床下見たらビックリ。ぶっとい鉄骨が支えてるから、余分な基礎がいらないの通気口もない、めちゃくちゃ広い床下でしたわたしは床板はがしに取りかかったのですが、これが大変でした。床材ははがせるのですが、床下地が普通はベニヤの家が多いのですが、この家はコルクボード断熱材のような作用??とにかく、柔らかすぎて、バールではがそうとするとばきっと途中でちぎれてしまいます。。。そこで、鉄骨を残して、ネタも切っていいそうなので、ネタを丸ノコで切り、一気にはがす作戦その作業を、リーダー不在の2日目の継続に、わたしが初リーダーになりました!資機材を集めてる様子↑かなり貴重なショット(笑)初リーダーの感想は…周りのボランティアさんに作業の指示を出したり、様子を見たり、うまくできているかわかりませんでしたが、でも、一生懸命にやらせていただきましたm(__)m作業をひたすらやりたい人間なので、やっぱり、わたしは部下が向いてるな(笑)ただ、リーダーをして気付いたことがあって、依頼主の依頼を聞いて作業も優先順位を決める必要があると思いました。指示を出して見て、現場での不要な作業もわかりました。クギ抜きは必要なし。かなと。危ないから、床板をはがした後のクギ抜きは大事だけど、壁面は必要ないかも。だって、それはおうちの人にでもできるから。わたしの決断ですが、その指示を、皆さんに出させていただきました。「床下の工賃が一番かかるからボランティアに依頼している。だから、全員でその作業に徹する。」と。おうちの人の話を聞いてると、リフォームだってまだ始められない。それは、行政の判断で、その土地に住めるかもまだわからないから。だから、時間が経てば経つほど悪臭を放ち、不衛生になる床下の作業に重点を置く。かなりのスピードで床板はがし、床下泥除去が終わりました。床下の泥除去についての指示も悩み→決断で出しました。「後でケルヒャーするから、泥除去は細かくやらなくてもいいです」とでも他のボランティアさんは「ケルヒャーをかけるのだからキレイにしないと」っと意見がありました。でも、ボランティアさんへの作業負担の軽減を考えての指示だから許してねあべ宅で床下ヘドロ水プールにわたしは5時間近くいました。たぶん、あの日が原因で脇に細菌が入り、しこりになったのだと思います。床下ヘドロの中には、特にベタ基礎には、吸収されない、蒸発しきれない汚染物質がたくさん含まれています。生活排水や、海から運ばれてきたもの。近くに工場はなかったけど、危険な化学薬品が含まれてることもあるから、特に、水分が残りやすいベタ基礎は要注意。あべ宅では、何時間もかけたのにヘドロが取りきらず、それを見かねて、あべ父の判断でケルヒャー洗浄に入りました。その時に、作業の効率を覚えました。ヘドロはよっぽど厚いのがない限り、洗浄しちゃった方が早い。排水の繰り返しが多くなるかもだけど、大量の水でヘドロ濃度は薄くなって、長靴でそれに浸かってる分には身体への影響もないし。排水ポンプを使えば作業も楽ちん。ベタ基礎は、即ケルヒャー推進運動!室内ケルヒャーも推進運動!塩害について調べました。水分は蒸発しても塩は残り続ける。それが、鉄骨だけでなく、木造にも影響あり。特に断熱材ははがさないと、断熱材についた塩が各部材に密着して悪くなる…。う。。。。なんだかお腹痛くなってきた。。。。作業終了時間が迫り、半そでのままダッシュで床下に飛び込み!他のボランティアさんに混じり、ヘドロを細かく除去しましたこんなにビブスを汚して帰って来たリーダーはいないとのこと(苦笑)リーダーは床下にもぐったら周りを見渡せないし、ほんとは上で作業を見ていなくちゃなんだけど…(苦笑)あやちゃんリーダーチームでパシャみんなありがとう~~~お風呂でさっぱりして、ずっと行きたかった、亘理にあるパスタ専門店のコパンへ行きましたまーーーーったく期待はしてなかったのですが…一口目を食べてみんなビックリ…う・うまーーッッお腹いっぱいで、お店にあるメッセージノートを見てたら。亘理の地元の方が書かれていました「わたしたちは家が津波に飲まれ全てを失いました。流されたものを拾い集めていたら、こどもたちのへその緒、アルバム、たくさん出てきました。すべてを失ったけど、見ることのなかったものを見つけることができました。」今まで、たくさんの寄せ書きから、被災された方を励ます言葉はいっぱい見て来たけど、初めて、被災された方の言葉を見た気がします。涙が溢れました。わたしはそのノートに書きました。「(前略)東北のヘドロは一片残らずわたしが片付けます」ここまではいつもと一緒のスローガンなのですが…自然と「だからキレイになるのを待っててください」とペンが走りました。がんばろう。やっぱり現調し直したい…。斎藤さん宅はわたしは終わり翌日、あべさん宅へ作業へ行きましたオスバンを使っての床下消毒。換気が出来ていない床下の半端ない臭さ。お父さんと色々考えて、扇風機&除湿機を床下にセットしましたそした~ら~、いい感じに空気が循環してるこれは期待大作業を終えて、この日はあべさん宅にお泊りしました二階は被害を受けてないから、普通に生活できます久しぶりにゆっくりと湯船に浸かりました~~熊谷に帰った時は一度も浸かっていません。ホッとなんかしたくないから。常に気持ちは被災地へ向けて継続でいないと。でも、あべさんちで、被災地という場所で、頑張った作業のあとの、ほっとはすごくよかった。おいしいご飯をいただいて、ふかふか布団で…夜中ずっと巨大ハエと格闘していました(笑)起きて、そのままあべ宅の継続ほとんど仕上げでした一応終了。という感じなのですが…あべさんのさみしそうな顔を見たらつらくなりました。。。。わたしのことを新しい孫と言ってくれるあべさん。うそついてごめんね。もうしばらく来れなくなるんだ。。。あべさん宅でお風呂に入れてもらって。わたしが上がるまでお父さんがご飯を用意して待っててくれたのに。その日は仙台の花火大会で急いでて、ご飯をお釜に戻してしまいました。お父さんがさみしそうな顔をしていました。あべさんは一人ぼっちです。そばにいてあげたいと思ったのですが、できないことでもありました。復興を祈っての花火大会。ここで出会った地元の人たちにも、「ボランティアありがとうございます。」と言われました。ありがとうって言われる度に、自分に誇りを持ち、何度も何度もがんばろうがんばろうって作業を続けてきました。必要としてるから感謝をされる。でも、それができなくなるのはつらい。次はいよいよ、亘理ラストランですーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー8月15日時間ってこんなにゆっくり流れているんだと思った。熊谷のアパートの、パソコンに向かい、ぬるいアイスコーヒーを飲んでいる。これが数か月前のわたしの生活。氷の分量まで忘れてるー。スーパーでたくさん食材を買う。いや、たくさんって言わないのかも。でも、ベルクで買い物をするのも3カ月ぶり。カートを転がしてて、普通に野菜を選んでたら、目の前が急に滲みました。勝手に涙があふれてきました。別に、ふつうの買い物中だったのに。でも、一瞬、鳥の海が見えた気がする。------------この災害ボランティアのレポもいよいよ最後です。8月8日。週末の高速バスが夏休みで取れなく…、平日早朝バス。熊谷駅にて、出発の気合を入れました。気持ちが高まるのは毎回だったわけではなく、7月中旬頃は、真っ暗の駅で、下を向いて考えてしまいました。(なんで、わたしが行くの)いや(なんで誰も行かないの?)自分の周りでボランティアをしてる人なんてめったに聞かない。みんなやらないのに、なんで私だけが頑張らなくちゃなのって悩んでしまいました。駅で、宮城のボランティアさんに思わず電話しました。あんな後ろ向きな投げかけをしたのは初めてかも。「わたしが行ってなんか意味があるのかな?地球規模の被害で、わたし一人がなんの役に立つの?」って。「あやかにしかできないことがある!!!」って言われてそれがまったくわからず。あるボランティアさんからは「少し休んだ方がいい。バスに乗ってないなら今からでも遅くない。家に戻りな。」って言われました。でも、この後、あることがきっかけでふっきれました。「○○ちゃんが仕事クビになったって」それを聞いて、ビックリして、「えええッッ!?」って駅で大きい声を出したんです。よくわからないんだけど、人間ってビックリすると、我に返るんですね。よし、行くぞ!って気持ちになりました始発でさいたま新都心駅まで行きましたさいたまスーパーアリーナ前でバス待ち↑9月23日の県大会の会場ですさいたまスーパーアリーナで踊れるなんてみんな贅沢者だな~~バトン界すごいぞ「さいたまスーパーアリーナで踊ったことがある」なんて一生のキャリアだからねあんなでっかい会場を持つなんて、ダ埼玉なんて言わせないぞ夏休みの大渋滞を乗り越え亘理着みんなで“サザエ”で夕ご飯なんか大家族だわたしはもともと少なかった家族が、17の時にさらにバラバラになって、18から一人暮らしになったから。こーゆう食卓憧れてて、なんかうれしい。このあと、復興支援ムービーの再トライができました以前ブログに書いたから、忘れたけど、ってか、ブログに書ききれない事件が結構いっぱいあって(笑)とりあえず、被災地でお金を使う!っと思い名取のイオンで無事「コクリコ坂」を見れましためっちゃいい映画でした。ずーーーっと泣いてた気がする。海でお父さんを失った主人公の物語。偶然の脚本なのか、自分がボランティアをしてるせいか、今回の大震災とリンクするとこがあって…当たり前だけど、人は死んで、その人から残された人たちが今にいる。その人たちを見て、死んだ人たちのことを思い返す。自然なことが、すごく感慨深い。まだわたしにはそれがでかすぎる。作業最後の週は亘理で活動をしたいと思いました。4か月前、ここから始まった。東北に踏み入れるのですら初。なんの縁もない町を救おうと思ってやってきた。でも、今はお世話になった亘理への恩返しの作業になりました。チーム松本の案件に入りました憧れの休憩タイムのねこゆりかごチーム松本って言ったら、みんなでねこで休憩してるイメージ混ざれてうれしい~~ボランティア専門用語が多いわたしのブログですが、ねことは一輪車のことで荷子がくずれてネコになったと言われていますボランティア用語集作ろうかな~(笑)亀屋さん宅では、ベタ基礎ケルヒャーオンパレード?でしたやっぱりわたしの理想作業通り、ケルヒャーを2、3回はかけていますあべさん宅で、ケルヒャー洗浄を1回しかやらなくて、リーダーに何度も「それじゃ汚染物質は流しきれない!もう一度洗浄したい!」と抗議をしたのですが(笑)受け入れてもらえずでも、一緒にベテランチーム松本の作業に入れて、ケルヒャー洗浄を何度もしている現場を見てもらえて、考え変わってくれたかな?あべさん宅をもう一度ケルヒャー洗浄するというのなら応援行きますよ~この日の現場はみんな異様なテンションでした…前日にみんなオフを取って力が有り余ってるせいか?現場では「○○ワッショイ!○○ワッショイ!」の元気な声出しが!やっぱりこのチームで作業してると疲れない!!!亘理のボランティア作業のレベルが高すぎると、他の地域から言ってもらえてるらしいですが、やっぱりチームワークでしょボラセンに戻って、支援物資のどんべえをみんなで食べるもうボラセンはうちのチームで貸し切り~大事なリーダーを駅まで見送りましたたくさんの現場の指示をもらって、チームを気遣うすてきなリーダーさんでした。わたしがボロボロ泣いてたら、また11日に来るよ~~~ってみんながあれ?あれ?もう来ないのかと思ったーけど、結局すれ違いで会えずでした(/_;)お見送りの後は、いちごっこへ7月23日から新しくオープンしたんです~写真を撮ってたら…ジョニー……(笑)みんなでいつもバカ笑いして、作業後のこの空間が大好きでした馬場ママいつも栄養満点のご飯ありがと~~夜はみんなで寝技の練習(笑)ほんと、この楽しい夜ももうしばらくないと思うとさみしい…【亘理ラストラン2】へつづく・・(^O^)/ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー8月20日亘理ラスト作業早く、みんなに元気になってほしい。ほんとそれだけ。無我夢中で4カ月間作業をしてきました。わたしにとっての亘理ラスト作業。ニーズ2件。なんと、大好きなチーム全員が同じ場所で作業できることになりました作業内容【土のう袋作り】みんな ? ? ? 現場に向かうまで冗談を言い合ってました「ニーズなくなって、ボランティアが暇してるから、ボラセンが防波堤に土のう袋1000個作れとか~?なーーんて笑」「土のう袋を持ちあげて、筋トレしてくださいとか~?笑」7~8台連なって向かっていると…あれ、、、普通に住宅に入って行く…((え…公用じゃなくて依頼主いるの!!!??))依頼主との対面第一印象。とんでもねーーーー周りにとにかく暴言を吐きまくるッッ!!!何かのはずみにキレたのかと思いましたが…なんか違う。。独り言を話してるところを見て様子が変だと気付きました…失礼な言い方になってしまいますが、、、心の病を抱えた方でした。それがわかった瞬間、すぐに自分の中で切り替えができました。【健常な人だけが被災者じゃない】わたしたちは忘れていたと思う。どの現場に行っても、被災された方は笑顔で。温かくて。がんばっていて。被災者=≪がんばって乗り越えてる≫って勝手にわたしたちの都合よく解釈していたところもあったと思います。でも、それは違かった。コインランドリーで被災された方とお話してわかりました。ボランティアに依頼を出してる人と、出していない人。片付いていない家屋がある。重機が入って、大事な家を崩している家族もいる。みんながみんな、元気じゃない。乗り越えてない。前向きなんていってられない。メディアで綺麗な部分(前向きな発言をしている人)をうつし過ぎてるし。わたしたちは被災地にいて、【現実】をわかった気になっていた。でも、なんもわかっていなかった。わたしたちは偶然、いい待遇を受けてただけ。何棟って家が全壊していて。1万5千人以上って人が亡くなっていて。その環境の中にいて。偶然、よそものを大切にしてくれる人に出会っていただけ。ほんとは、そんな余裕ないよね。当たり前だよね。わたしたちにやさしくしてくれた依頼主さんだって、ギリギリだったのかもしれない。今回の暴言を吐いてた依頼主を擁護したいのではなくて、わたしたちが今、どこで誰と、何をしていて、誰と出会って、どんな気持ちになって、って。そうゆうことを考えることができました。今回の依頼主さんでたくさんのメンバーがひどいことを言われました。でもうちのメンバーはめげません。「あっち行け!」と言われても、頑張ってお母さんを笑わそうとしたり、みんなでギャグを言い合って、現場のテンションを上げたり。すごいよ。みんなのことがよく見えた。うれしくて、だから炎天下の中、頑張りすぎちゃった。手足が痙攣してきて、やばいかもって思った。でも、少し体を休めて、みんなの輪の中にいると、すーっと疲労が消えて行く。お母さんは結局戻ってきてくれなかったけど。最後の最後までお母さんの暴言を聞いての現場解散も嫌だったし(^_^;)よかったかな。ほんとあの現場がなかったら、みんなに対しての気持ちは上っ面に過ぎなかったのかもって思う。みんなに出会えてよかった。それだけです。ありがとう。現場に向かう時にいつも通ってた家の前がありました。何十回も往復した場所。ビニールハウスが流された家で≪あ、骨組みを立ててる≫≪あ、今日はビニールを張ってる≫ハウスが立って、よかったと思っていました。そして今回。ビックリして車を止めました。ハウスの前に立って大泣きしました。。よかった。こちらこそありがとうです。その日の夜は、みんなでどんぶり亭松本で、バカ騒ぎ男VS女の闘いになったり(笑)≪今日という今日は言ってやる~~~!!≫っていう元気な女パワーそれが日本を救いますよね。みーーーーんな酔っぱらったのに…なぜか、わたし一人だけ飲んでいませんでした。その時は、なぜだかわかりません。運転手が私だけになって、5人乗りの車に10人寿司積め状態になって(笑)後ろは人が2段になってるし、ギアのとこにはゆかさんの頭あって、P→Dの時はゴツってぶつかって、それがまたウケルし(笑)「どこか半ドアだよ!!!」って言ったら「開けちゃダメ!今開けたらマジヤバイ!!!!」ってーーー(笑)ありえない人数の声が後ろから聞こえて、誰がいるのかもわからんかった(笑)ほんとアホなみんなが大好き見送りで駅に着いて・・・みんなが降りたら駅でたむろってた不良女子高生が「なんかいっぱい出てくるしい~~!!」って言っててそれがウケタ(笑)そりゃー、乗用車から10人が降りてくりゃビビるよね(笑)メンバーは駅改札でハイテンションで≪ワッショ――イワッショ――イ≫って言い続けて駅員さんのアナウンスが入った瞬間≪間もなく電車が発車します…ッショーーーイ!!!≫ってーーー駅構内にマイクを通してワッショイが全開だしッッ!!!!もう腸がねじれるほど笑った。。。。。電車が発車して、ホームをダッシュする子!!!おいおいおい電車抜かしてるしッッッ!!!!!もーこれ以上笑わせないで~~~~(涙)別荘に戻って、みんなでボランティアについての熱い討論会だったのですがこの時も不思議だったんですよね。なぜか、わたしめずらしく一滴もお酒を飲まなかったんです。そのわけが、深夜2時にわかりました。神様がわたしをセーブさせてたんだって。討論もヒートアップしてた時でした。≪ズドドド―――ンッ≫ってビックリして、みんな振り返る。メンバーの一人が階段から落ちました。みんなが一斉に集まる「大丈夫です。」っと言った途端、グテっと倒れてイビキをかきだしたんです!!!!みんなで運び出そうとしたら、痙攣が始まって!!!!「救急車呼べ!!!!」って!!!!でも、諸事情により、救急車がなかなか来てくれなく。病院まで乗せて行こうってなったけど、やばい、みんな酒飲んでるどうすんだよーーー!!ってなっててあれ「わたし、お酒飲んでないです!!わたしが病院まで送ります!!」わたしが運転手になりました。すごく不安だったけど。メンバーが3人付いてきてくれました。車を1時間程走らせ、仙台の病院へ。検査をしたら・・・・・異常なし。よかったああああーーーーってみんなで安心。。。。。冷静になって、自分たちを見て見たら…体中にラクガキ(笑)ガムテープで胸に『LOVE&PEACE』(笑)うちら、冷やかしだと思われただろうね…とにかく、亘理最後の夜は大変な日でしたが、何事もなく、今となっては良い思い出でした(>_<)ラストラン2も下書き保存したままでしたがようやくアーップ。翌、亘理最終日は追悼式に参列した時の出来事です。【亘理ラストランファイナル】へつづく・・・ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー