2011年10月
追悼式わたしがずっと活動してきた亘理町です。亘理ボラセンが映像を作成しました。ぜひ見てください。*亘理 動画*あれから2カ月が経ってしまいました記録をする気力がなく…。ひどいPTSDになっていたということもありました。不眠の日が続き、津波に飲み込まれる錯覚を起こしたり。毎日、なんにもない時を過ごしているだけなのに、気がつくと、顔が涙でぐっしょりになっていたり。震災のテレビや、本から目をそむける生活が始まりました。ただ、ある本に出会って、気を取り直しました。そして、もう一度被災地へ行けるようになりました。それはまた後で記しますが、今は、もう震災から逃げていません。震災を風化させないために、見て来た者が真実を記していかないとですよね。8月11日は亘理町・山元町の追悼式に参列させていただきました。今でも頭から離れません。体育館、一階アリーナに集まられてた被災された方の泣き声が。あの苦しみの渦の中に、自分のような人間がいていいものかと…でも、ずっと一緒に作業をしてきた仲間たちと一緒に、亡くなられた方に手を合わせに行こうと決めました。被災された方、代表の言葉。2カ月経って、今、書こうと思ったけど、やっぱりむつかしい。タイプが進まない。。。。でも、何時間かけてでも綴るので、読んでください。代表のかたのお話。奥さんと、こども3人のご家族。奥さんが津波でお亡くなりになりました。義理の父母のお世話をとてもよくされる奥様だったと。こども3人の教育。一番下の子が今年ようやく成人して、2人でゆっくりこれから旅行にでも行きたいねと話していたそうです。その話をした時に、代表のかたは泣き崩れました。≪ヒデコ・・・ヒデコ・・・・・≫マイクを通して、会場に、その叫びが響き渡りました。同じ苦しみを抱えた会場にいる被災された方々。もう、なんでこんなことになったんだろ。わからない。とにかく、つらい、つらい、くるしい。そればかりしか、残されていない。どうすれば、救われるんだろ。考えてもわからない。みんなで、泣きながら会場をあとにしました。---------------------↑みんながわたしのつなぎにメッセージを書いてくれました。↑ボラセン受付スタッフの人たちと。わたしは、ボランティアに一区切り。荷物を全部まとめ車に積みました。最後に、ボラ友にお願いをしました。「亘理の海を見たい。」ずっと作業をしてきたハイエースを出してもらいました。向かったのは、亘理・鳥の海真っ暗の海。月がまんまるで、海を照らしてました。とても静かで、でも、その底には無数の悲しみが沈んでいます。この海のどこかに、行方不明者の方がまだいる。そして、たくさんの思い出、財産を奪っていった。海の後ろの町は、家の基礎しか残っていない町。とても恐かった。海に手を合わせて、みんなの明かりがある町に戻りました。その日の夜は、百万人線香花火ナイトの日でした。(以下、主催:希望の光プロジェクトのことば)私たちを襲った3・11の大震災日本中が涙した夜そして日本中が一致団結した夜復興にはまだまだ時間がかかります。忘れないためにも、もう一度ひとつになりましょう。花火には鎮魂の意味合いもあります。日本中のみんなで復興に願いをこめて、日本中のみんなで亡くなった方を偲び8月11日20時30分に一斉に線香花火に火をつけましょうそして花火を楽しみましょう!2011年8月11日20時30分 点火線香花火が終わって、普通の花火なんだか、普通の花火する順番と逆だねわたしたちは生きていて多かれ、少なかれ、笑顔になれる時がある人の傷は、人にしか癒せないと思うしでも、その余裕がある人間がすごく少ないわたしたちも一人一人のキャパを考えたら、そんなに大きくはなく、だから、わたしたちは、みんなでお互いを笑かし合い、力を補充しあって、悲しみや苦しみを乗り越え包もうとしている。被災された方に、気のきいた言葉なんて言えない。でも、充電した体で、汚い泥をかき出し、瓦礫を撤去し、家中を磨き、目に映るその形で、被災された方が笑顔になっている。わたしたちは不器用だから、そんなことしかできないけど、でも、人が幸せなのは人はやっぱ好きなんだよ今でも、ボラ友みんなは、土日休みの過密スケジュールで東北を往復しています。寝不足のままの東北道。ほんと命がけ。そして、月曜の仕事には出る。他人のために、そこまでできる人間。でも、そうゆう人間がもっと増えたら。山元町のニーズがまだ80件以上もある。ボランティア募集は11月まで延期になったそうです。もし、死ぬ気で他人を救うことができたら。たぶん、死ぬ時に人生に悔いはないと思う。3ヶ月間、お世話になったいちご別荘。8月11日夜。ずっと一緒に作業をしてくれたボラ友がお見送りをしてくれました。お別れの涙が出なかった!!今まで、海外で知り合った人たちとのお別れは毎回号泣だったのに!!なんでか、わかった!!この人たちとは一生の付き合いにしたいって思った!!またすぐにでも会いたい!!ってか会う!!海外でできた友達、日本人の子とですらそれっきり会うことはなくなったけど…そして、、、ボラ帰宅の2週間後にさっそくみんなでパーティーしました週一で、ボラさん誰かと会っていて、震災のお話をして、悲しみ、考え、悩んで。日常的に心にある。「何かしたい!!」って思う。それが、人とのつながりなんだね。8月のボラ一区切りから2カ月。わたしはまた東北に行けました。その記録は次のページで。忘れない支援=続ける根性ランキングに参加中です1位になってスクールバスを作るぞー☆彡あやか先生大好きと思った方♪1日1回クリックお願いします(^O^)/にほんブログ村