天台宗 柳澤寺
古来より庶民の間に深く根付いている七福神への信仰は「七難即滅、七福即生」、私達にとって避けることができない難儀も七福神の慧力(えりき)によって福に転じうるという転禍為福の願望が人々の心を捉えてきました。ここに、天海大僧正にゆかりの深い徳川家出生の地この上州に古くから祀られてきた七福神を選んで巡拝のコースを設定しました。 山紫水明の地、自然といで湯を巡り浩然の気を養いながら、七福神の招来を願って由緒ある古寺の七福神を拝し、転変極まりない現代を力強く生き抜く福運を獲得して下さいますよう、ご参拝をお勧めいたします。 .柳沢寺では 毘沙門尊天 をお祀りしております毘沙門尊天 甲冑を身に付け宝塔を捧げ、槍を持つ毘沙門天は、仏に帰衣してからは『須弥山』を守る四天王のうちでも最強の神となりました。お釈迦様の道場でいつも説法を聞いていたことから多聞天とも呼ばれ、知恵の神様としても祀られています。日本では戦勝祈願、国土守護の軍神として武将達の信仰を集めました。 天台宗に所属し、延暦寺の直末の寺として中世には学僧も多く出現したといいます。戦国時代末には北条、上杉、武田の争覇の戦場となり、全ての堂宇を焼失しました。江戸時代に入ると天海僧正、高崎城主・安藤右京進などの尽力により"朱印地三十石"を賜り再建に着手、貞享元禄に至り諸堂の修復を見ました。 現在は境内地約3万平方米。戦後すぐ参道の巨木の並木も伐られましたが、まだ残る杉木立はその中に散在する諸堂に色を添えています。諸堂並びに庫裡は大正元年~7年にかけて大修理がなされ、茅葺きより瓦葺きに改められましたが破損著しく、昭和55年より2年に渡って大修理がなされました。 ちなみに当家は伊香保には大正初期に「系図」のみ持ちきたそうですが祖父は婿養子「旧明野町」で、当時は「これからは必要ない?」と思ったのか現在行方不明です!系図の一番上の名前がわかればいいのですが?残念!