漱石の生涯107:漱石家の書生の大食漢
書生さんは間もなく土屋忠治さんが加わってつごう二人になりました。二人とも五高の学生で、おおかた三年生だったでしょう。土屋さんは謹厳な人でしたが、股野さんと来たら腹も立った代わりに、ずいぶんと笑いの種を蒔いたものです。 この三平君飯を食うの食わないのって非常な大食いてしたが、ただ御飯だけではなく、お汁を御飯と同じ数だけ平らげるのですから驚くほかありません。そうして食べながら、まるで子供のように、ぼろぼろ御飯粒をこぼすのですから参ってしまいます。 学校へお弁当箱を持たせてやると、持って帰って来たことなしで、いくら女中が小言を言っても、次の日はやはり手ぶらで帰って来ます。そこでしかたなしに大きな子供の頭ほどもあるおむすびの中に梅干しを入れて持たせてやるようにして、これでようやく弁当箱の難をまぬかれました。それからよく酒を呑んでは十二時ごろにかえって来ます。冬の寒いころには、それまで私か女中か誰か一人起きて門を閉めなければならないのがつらいのですが、いつこうそんなことはお構いなしで、帰って来るなりいつの間にやら、鉄瓶の湯を一ばい呑み尽くして、からのまま火鉢にかけておくという先生です。(夏目鏡子 漱石の思い出)