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アルプ店長漂流記

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2009.10.13
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カテゴリ:カテゴリ未分類
三連休を利用して津和野に行ってきました。津和野は萩とペアで訪ねる人が多いですが、近いようでも萩は山口県、津和野は島根県なんですね。

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新山口から山口線の列車に乗ります。県庁所在地への鉄道では沖縄を除いて一番閑散とした路線です。
 列車は堂々の3両ですが、後ろの2両は山口駅で切り離しです。山口駅もとても県庁所在地の駅だとは思えない小ささ。


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10月も半ばに差しかかろうというのに、結構あちこちでヒガンバナを見かけます。

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内陸部は霧が出ていました。黄色いガードレールも山口ならでは。

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ここらの民家の特徴は赤い石州瓦と、2~3軒の別の家を合体させたような大きな造りで、建て増ししたとは思えないし何か不可解です。

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列車前方に津和野発見!!。津和野は狭い谷あいの地形なのですね。

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この石州瓦の赤い屋根を見ると、中国地方に来たという実感がこみあげてきます。いつ見ても本当に美しい風景です。

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さて、能書きが長くなりましたが、駅前でチャリを借り(2時間500円)出発。古い街並みの筋は、造り酒屋から教会から武家屋敷までおよそ一本に集約されているようです。

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この辺は商家があるあたりです。

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商家からほんのすぐ先には津和野のカトリック教会があります。幕末~明治初期の津和野での殉教の模様などを展示する資料館もあります。この教会は昭和6年建築だとか。

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教会のすぐ先は殿町の武家屋敷街で、ここは特に雰囲気のよい通りです。教会と切支丹の敵の武家屋敷などが隣り合っているようで、おかしな感じです。

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これが多胡家老門というやつでしょうか。御家老やお代官様、お奉行様の如きは時代劇中の悪役の定番なんですよね。

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藩校、養老館址というもので、この長屋門はどこかで見た記憶が。

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寅さん映画で、吉永小百合がチャリを押して出て来る場所がここだったと思います。映画では小百合は後家で図書館の職員の役でしたが、ここには資料館があるようでした。

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徒歩では射程圏外になるでしょうが、チャリの威力で少し離れた森鴎外の旧宅も見に行ってみました。

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お住まいからは、山の頂上に城跡の石垣が望まれます。鴎外が生まれた頃には、津和野城はまだ堂々と聳えていたことでしょう。

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お次は駅の裏手の山にある永明寺。広大な茅葺き屋根が見事なお寺で、鴎外のお墓はこのお寺にあるのだとか。

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永明寺近くの乙女峠のマリア聖堂へも行ってみました。川沿いの道を5分程度登った場所で、元々は光琳寺というお寺があったそうで、なるほど歴代住職のお墓がひっそりと並んでいました。幕末ごろには光琳寺は廃寺になっており、そこに長崎の切支丹らを隔離して、激しい拷問が加えられることになり、多数の殉教者を出したそうで、現在は一種の聖地とされているようです。

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さてさて、時は慶応元年、(1865)長崎のフランス人居留民のために教会が幕府の許可で大浦に建てられましたが、そこに数名の日本人が自分らは切支丹であると申し出てきたのだそうです。
 長い禁教で隠れ切支丹のキリスト教は、西洋人には理解しがたいものになっていたとも言われますが、確か切支丹解禁は明治5年頃だから早速奉行所などは内偵を開始、約3400人が流罪にされることに(浦上四番崩れという)。 
 そのうちの153名が津和野藩に預けられました。初めは神道による教化だったものが効果がないと判ると一転して拷問や体罰主体の戦術に変わり、凄惨を極めました。
 この像は、横になることも出来ない三尺牢に入れられた若者が、夜な夜なマリア様みたいなご婦人の出現を受け、物語を聞かせてもらっているから淋しくはないのだと仲間に語ったという故事のシーンです。


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ご婦人の足元ヤバヤバ・・・お話に夢中で・・お~トトト・・・

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駅に戻ったら、ロクに列車が来ない駅なのにキオスクや駅ソバ店がありました。肉うどん(420円)を食べたのですが、おいしいですが、うどん麺が細めでした。朝食べた新山口駅のもそうでした。





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Last updated  2009.10.13 22:09:42
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