ノーモア、G.G.ショック! 3月5日に開幕する第2回WBCで連覇を目指す
サムライジャパンにとって、"死角"が浮き彫りになってきた。それはズバリ、
左翼のポジションだ。候補選手6人の中に左翼を本職とする外野手はゼロ。
昨夏の北京五輪で、G.G.佐藤外野手(30)が急造左翼手を務めた結果、
痛恨の3失策を犯してメダルを逃したのは記憶に新しいところだ。日本にとって
"呪われたポジション"に、救世主は現れるのか。
名手の片りんさえもなかった。日本ハムの沖縄・名護キャンプで3日、WBC
日本代表候補の稲葉篤紀外野手(36)が、シートノックでほとんど経験のない
左翼に入った。しかし、これが見るも無残。何度もボールを後ろにそらすなど、
悪戦苦闘。大きくため息をつき、「全然ッスね。しかし、ひどかった...」と苦笑
するしかなかった。 (夕刊フジ)
最近の野球は、「レフト」というポジションを軽視しがちだと思う。そのツケが
国際大会(五輪やWBC)という大舞台にまわってきたんだろうな、きっと。
昔は「フェンス際の魔術師」と呼ばれるほど走攻守すべての面で優れた
高田繁(現・ヤクルト監督)ような選手も、レフトを守っていたことがある。
稲葉篤紀(中京大中京高-法政大)
<中京大中京高時代>
甲子園出場経験があると思っていたが、実はない。1990年、稲葉が3年生の
時に愛知県大会の決勝戦に進出したものの、イチローのいた愛工大名電高に
スコア4-5で敗れ、甲子園のキップを逃した。
(この決勝戦の試合、愛工大名電高の投手はイチローではなかったようだが)
■チームメイト■
プロに進んだ高校時代のチームメイトはいない。
2学年先輩に木村龍治(現・読売トレーニング兼投手コーチ)がいた。
■愛知県内のライバル■
愛工大名電高にはイチロー(現・マリナーズ)、享栄高には高木浩之(元・西武、
駒澤大)がいた。
※ついさっき夕刊フジで知ったことを追記します。(2009.2.21)
タイトルは「同じ"虎の穴"出身!?イチローと稲葉の意外な共通点」
イチローと稲葉はともに愛知県出身。小、中学生時代に同じバッティングセンター
(同県西春日井郡の空港バッティングセンター)へ通い詰めた仲。地方の一バッテ
ィングセンターから日本代表の3、4番が同時に生まれるドラマに当人も驚きを
隠せない。
「(少年時代は)お互い話したことはなかったですが、順番待ちをしながら1つの
レーンで打ち合っていました。(イチローは)当時もミートがすごかった」
と稲葉は回想した。 (以上、夕刊フジ)
■甲子園のライバル■
甲子園には出場していない。
<法政大時代>
■チームメイト■
同学年には、プロに進んだ選手はいない。
但し、3学年上(稲葉が1年生の時に4年生)のメンバーには元近鉄のエース・
高村祐(現・楽天コーチ、宇都宮南高)や諸積兼司(現・ロッテ二軍コーチ、
学法石川高)がいた。また稲葉の2学年下には元ヤクルトの副島孔太
(桐蔭学園高)がいた。
※ちなみに北京五輪で痛恨の3失策を犯したG.G.佐藤も法政大の出身。
稲葉の6学年下にあたり、佐藤の同期には元・近鉄の阿部真宏(現・オリックス)、
廣瀬純(現・広島カープ、佐伯鶴城高)らがいた。ただG.G.佐藤、大学時代は
廣瀬の控え選手に甘んじていたらしい。
■大学野球のライバル■
3年生の春季リーグから一塁手としてレギュラーに定着。
その年と翌年の2回連続で日米大学野球の代表選手に選出されている。
ちなみに稲葉が3年生だった93年、日本代表の主な選手は下記のとおり。
青山学院大・小久保裕紀(現・ホークス、星林高)
青山学院大・井口資仁(現・ロッテ、國學院久我山高)
日本大・北川博敏(現・オリックス、大宮東高)
駒澤大・河原純一(現・中日野球浪人中?、川崎北高) ほか
同様に94年の主なメンバー。
愛知大・岩瀬仁紀(現・中日、西尾東高)
大商大・谷佳知(現・読売、尽誠学園高)
東洋大・今岡誠(現・阪神、PL学園高)
慶應義塾大・高木大成(現・西武職員、桐蔭学園高) ほか
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